第28話  幻影

 楓が父親の借金を払っていることを知ってから、僕はなんとかしたいとずっと思っていた。だが、相変わらず打つ手が無かった。学校をやめて働いたとしても、普通の給料では楓を救えない。遠洋漁業に出ようかと真剣に悩んだ。しかし、それだと何ヶ月も楓とは会えなくなる。贅沢だが、楓と会えなくなるのは耐えられなかった。


 楓は、


「毎日、一緒にいられるだけでええやんか」


と、いつも言っていたが、やっぱり僕はそれだけでは気が済まなかった。楓のために、何かしたかった。何が出来るのか? それがわからなかった。だから、シゲさんに会いに行った。シゲさんなら、今の僕に何が出来るのか? 教えてくれると思ったからだ。僕は、人生で悩むといつもシゲさんという人に相談していた。



 シゲさんと出会ったのは2年前。僕は繁華街でチンピラ2人組に絡まれた。つまらないことで言いがかりをつけられた。スグに謝らず、反発した僕も悪かった。穏便にすませれば良かったのに、その日の僕は機嫌が悪かったのだ。売り言葉に買い言葉という感じだった。


 結果、一方的な暴力を振るわれた。僕は威勢は良かったが、その時、全く反撃をしなかった。手を出せば、慰謝料を請求されたり、いろいろ面倒なことになりそうだと思ったからだ。だが、僕は謝ることもしなかった。僕は自分に否があると思えばスグに謝るが、自分に否が無いと判断したら基本的に謝らない。だが、この時は謝った方が良かったのだろう。


 せめてもの抵抗として、僕は殴られても殴られても立ったまま、膝を屈することは無かった。僕は打たれ強い。“打たれ強さも強さの1つだ!”と言っていた。だが、打たれ強い僕にも限界はあったようで、僕が限界を越えた時、僕は膝を屈するどころかうつ伏せに倒れた。僕は動けなかった。自分の身体がどうなったのか? わからない。初めての感覚だった。身体が重い。だが、僕よりもチンピラの方が驚いていた。


「おい、やり過ぎたんとちゃうか?」

「ちょっと、やり過ぎたかもしれへんな」

「まさか、こいつ、死んでないよな?」

「いや、さっきまで立っていた奴がいきなりバッタリ倒れるか? 死んだフリとちゃうか? ……アカン、触っても、揺すっても、こいつは動かへんわ。マジでヤバイ」

「お前が強く殴り過ぎたんやろうが!」

「おい! 俺のせいにするのかよ、ずるいぞ、俺達は同罪だ」

「このまま放っておくか?」

「いや、それもまずいやろう」

「そうやな、放っておいてマジで死んだら困るしな」

「病院に連れて行くか?」

「それもまずいよなぁ、どうするか……」


 そこで、第3者の声が聞こえてきた。


「お前等、こんなところで何やってんだ?」

「あ、シゲさん。良かった。いいところでお会い出来ました。ちょうど困ってたんですよ、助けてください」

「なんだ? このボロボロのガキは?」

「いや、生意気だったんでしめてやろうと思ったんですが、こいつ動かなくなっちゃって。困ってたんです」

「どれどれ」


 誰かが、僕の身体のあちこちに触れるのがわかった。


「大丈夫だ、死んでねえよ。こいつ、俺ん家まで運べや」

「はい」


 左右両側から支えられ、僕は立たされた。身体に力が入らない。こんなのは初めてだ。僕は眠くなっていた。今スグにでも眠りたい。だが、身体は痛い。痛みで眠気は冷める。僕は眠いんだか、痛くて眠れないんだか、よくわからない感覚だった。


 高級マンションの一室だということはわかった。僕はベッドの上に寝かされた。


「後は任せとけ、あんまりやり過ぎるんじゃねえぞ」

「はい、すんません」

「後、よろしくお願いします」


 僕は、いつの間にか眠りについた。痛みよりも睡魔の方が勝ったのか?


 目が覚めると、身体中に湿布が貼られていた。全身が痛い。だが、僕は肉体的な痛みに関しては我慢強い。これくらいなら、我慢して動ける。重症じゃなくて助かった。この家の主が手当てをしてくれたようだ。そうだ、礼を言わなければいけない。


「おう、起きたか? 坊主」

「あなたが助けてくださったんですね? ありがとうございました」

「体調はどうだ?」

「全身が痛いですが、我慢出来るレベルです。ちょっと微熱があるような気がしますけど、大丈夫です」

「打撲が多かったからな、そのせいで微熱があるのかもな。まあ、コーヒーでも飲めよ、淹れてやるから。よく味わえよ。こだわりのコーヒーだ。この味は、俺以外には出せない味だからな」


「ほら、飲め」

「いただきます。……痛たた」

「ああ、口の中を切ってるんだな」

「でも、確かに美味いです」


「歩けるみたいなので、僕はこれで失礼します。ありがとうございました」

「おう、ここで会ったのは何かの縁だ。悩み事とか、困ったことがあれば俺に会いに来てもいいぞ。俺は夜、ここのスグ近くのSinっていうBARにいる」



 それから何回か、僕はシゲさんと会っていた。シゲさんが何者なのかわからない。反〇会的〇織の人ではないようだった。だが、夜の世界では有名人らしく、“シゲさん、シゲさん”と、シゲさんに相談事を持ち込む人間を何人も見たことがある。シゲさんの元を訪れる来客は幅が広く、男女や年齢を問わない。やがてわかったが、夜の人達だけではなく、昼の仕事の人達からも慕われているようだった。“この人は、いったいどういう人なのだろう?”といつも思っていた。だが、結局、いまだにシゲさんが何者なのか? わからない。とにかく謎の多い人だが、僕はシゲさんの謎の部分には触れないようにしていた。興味はあったが、僕なんかが簡単に踏み込んではいけないと感じていたからだった。



 BAR、Sin。シゲさんはいつもカウンターの奥に座っている。隣には、シゲさんの恋人の美香さん。美香さんは美し過ぎると思うくらいキレイで、スタイルも抜群、年齢不詳、謎めいた美女だった。あまりにも美人なので、芸能人だと言われても信じてしまうだろう。服のセンスも抜群、美香さんは自分の武器を自覚しているようで、いつも胸の谷間が強調された服を着ていた。よく似合うが、刺激が強すぎる。


「なんだ、崔じゃねえか、久しぶりだな」

「お久しぶりです」


 美香さんが、1つ席をずらしてくれた。僕は、シゲさんと美香さんの間に座った。


「お前、幾つになった?」

「19です」

「じゃあ、まだジンジャーエールだな」

「実は今日は、ちょっと相談があって来たんです」

「まあ、お前は相談することが無いと来ないからな。それで? どうした?」

「僕、やっと恋人が出来たんですわ」

「良かったじゃねえか。童貞も卒業したんだろう?」

「どうしてわかるんですか?」

「美香の胸元を見る目が、今までと違うからな」


 美香が妖しく微笑む。


「そうなんですか? そう言われると恥ずかしいです。で、恋人の話なんですけど、それが……実は恋人が風俗嬢でして」

「それがどうかしたのか?」

「親の借金を払うために風俗をやってるんですよ」

「そうか、まあ、よくある話だ。かわいそうだけどな」

「で、要するに金さえあれば彼女は風俗をやめれるんですわ」

「そうだな、それで?」

「僕、何か荒稼ぎ出来ないですかね? 僕に出来ることはないのでしょうか?」

「……そうだな、ついて来い」



 僕達は、シゲさんのマンションへ移動した。“何をするのだろう? 何をさせられるのだろう?”などと思ったが、言葉にはしなかった。シゲさんに従っていれば間違いないという確信があったからだ。そうだ、シゲさんはいつも正しい。だから僕は今までも頼ってきたのだ。


「ここで座ってろ」


 リビングのソファに座るように指示された。シゲさんのマンションは4LDKだ。広い。シゲさんは奥の部屋に入って、箱を持って戻って来た。


 箱の中身は、拳銃だった。


 弾も箱に入っていた。シゲさんは、弾を1発だけ込めて、回転式弾倉を回して銃をセットした。


「お前、こいつで自分のこめかみを撃てるか?」

「撃ったら、どうなるんですか?」

「金をやる。見物料だ」

「もし、弾が当たって死んだら?」

「上手く死体の処理をしてやるよ。見物料は何らかの手段で親に渡してやる。葬式代くらいは払ってやるけど、どうする?」

「ほな、やりますわ」

「いいのか? 少しも考えないんだな」

「僕は、何かを得ようと思ったら、何かを失っても仕方が無いと思ってるんですわ。今回は、その失うものが命だというだけのことです」


 僕は拳銃を取り上げた。思っていたよりも重い。銃口をこめかみにあてる。静かだった。走馬燈を見ることは無かった。思い出す“思い出”は楓のことばかりだ。後は、両親。そういえば、両親には何の親孝行もしていない。今頃になって気付いた。他には何も思い浮かばなかった。意外に、恐怖感は無かった。もしかすると、死ぬときというのは静かなのかもしれない。


 僕は、思っていたよりもスムーズに引き金を引くことが出来た。


 カチッ!


 不発だった。


「よくやったな」

「いや、まだです」

「どういうことだ?」

「もう1発、もう1発やらせてもらいますわ」

「そうか、じゃあ、やってみろ。それで気がすむならな」

「すみません、2発目もお金をもらえますか?」

「おう、見物料は払うぜ」

「じゃあ、当たってしまった時は、マーメイドという店の静香にお金を……」

「ああ、わかったよ」


 僕は、日々苦しんでいた。楓のお客さんにヤキモチを焼くようになり始めたからだ。楓が仕事に行っている間、僕はヤキモチの炎に焦がれていた。その苦しみから、解放されるのかもしれない。そうだ、どうせ、生きていても地獄、死んでも地獄だ。


 僕は2回目の引き金を引いた。


 カチッ! また不発だった。


「ほな、もう1回」

「もう、やめろ。充分だ」


 拳銃を取り上げられた。シゲさんはパカッと銃を開いて回転式弾倉の中身を見せた。弾丸は入っていなかった。


「え! 確かに弾が入っていたはずなのに!」

「俺は手品も出来るんだよ。まあ、何回引き金を引いても弾は出ないんだ。弾は出ないんだが、よくやった。お前がどれだけ真剣なのかはわかったぜ。お前、本気で彼女に惚れてるんだな。惚れた女のために命を賭ける、いいじゃねえか」

「そうだったんですか、結局、度胸試しだったんですね」

「当たり前だ。弾が当たれば血が飛び散って、この部屋の掃除に困るじゃねえか。ちょっと待ってろよ」


 またシゲさんは奥の部屋へ消え、何かを持って戻って来た。


「ほら」


 シゲさんから渡されたのは札束だった。束が2つ。200万か?


「これが今日のお前の稼ぎだ。今日はそれを持って帰れ」

「いいんですか?」

「ああ、いい見世物だった。見物料だ。それに、お前とは今度いつ会えるかわからねえからな」

「いつ会えるかわからない? どういうことですか?」

「ああ、俺、入院するんだ。いつ戻れるかわからない」

「大丈夫なんですか?」

「心配するな。お前は彼女のことだけ心配してろ」

「でも、もう会えないなんて」

「まあ、いいじゃねえか、もしかしたら、また会えるかもしれねえよ」

「でも……」

「崔」

「はい」

「今日はこれで帰れ」

「ありがとうございました」


 僕が去る時、美香さんが微笑みながら手を振ってくれた。


「バイバイ、崔君」

「美香さんも、ツライですよね」

「うーん、私はシゲ以外の男には興味無いから、ずっとシゲとの思い出と一緒に暮らしていくかも。でも、崔君はまだ19歳、私の心配なんかしなくていいの」

「そうですか、それじゃあ、美香さん、さよなら」


 僕は家まで堪えることが出来ず、路地裏で涙を流した。“シゲさん、お世話になりました!”僕は他人のためにこれだけ涙を流せるのか? というくらい泣いた。



 楓のマンションに帰り、喜んでその200万円を楓に渡した。


「楓! ほら、お土産!」

「何これ? どこで手に入れたの? こんな大金」

「ロシアンルーレットをやったら、見物料として貰えた」

「崔君、何をやってるんよ」

「でも、これで楓の借金が200万減るやんか」

「でも、そんな危ないことしてほしくないねん。ごめんな、崔君」



 喜ばそうと思ったのに、楓が泣き始めたので僕は困った。困った僕は、楓を抱き締めた。ただ、抱き締めるだけ。僕はまた抱き締めることしか出来なかった。







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