第11話 崔はチャンスに挑む!
土曜日、僕は緊張して律子を待った。待ち合わせに5分だけ遅れてきた律子は、
「ごめんねー! ほんまにごめん。遅れちゃった」
と、いきなり謝っていた。勿論、僕は気にしていない。
律子は年上だけど、やっぱりかわいかった。正直、バイト中はアイスクリーム屋の制服姿の律子に萌え萌えだったが、おとなしめの私服の律子には、私服の良さがあった。私服姿の律子が新鮮だった。僕も今日はジャケットにコート。ちょっと背伸びをしていた。しかし、緊張で既に喉はカラカラだった。
それから、予定通り水族館に行った。道中、会話を膨らませるのに必死だった。共通の話題が欲しかったので、バイト先のことを話すことが多かった。亜子は“無理して会話をリードしようと思わなくていい、相手は年上なんやから甘えたらええねん、きっと会話をリードしてくれるわ!”と言っていたが、僕は沈黙が怖かった。沈黙の時間があると、“こいつ、おもしろくない奴だ”と思われそうだからだ。関西では、勉強が出来る男ではなく、スポーツが出来る男でもなく、おもしろい男がモテるのだ! 少なくとも、当時の僕はそう思っていた。
僕は汗を掻きっぱなしだった。だが、なんとか水族館まで会話を繋ぐことが出来た。しかし、水族館に着いた時には、僕はかなり疲れていた。女性と会話をするだけなのに、驚くほど疲れる。僕の“女性と何を話したらいいのかわからない病”は、まだ重症のようだ。
でも、自分が以前よりも成長していることは実感出来る。困りつつも、話した。話せた。バイトの話でいいじゃないか! 好きなアーティストの話でいいじゃないか! とにかく話せたのだ。律子と僕は、好きなアーティストが一緒だ。その話題もかなり膨らませた。CDを何枚か貸した甲斐があった。それも共通の話題になってくれた。
会話を続けるのに苦戦しながらも、僕という人間は本当に女性が好きなようで、身体のラインがわかる律子のニットシャツの胸のラインはしっかり見ていた。思っていたよりも大きいようだった。僕は、律子と結ばれたいと思うようになっていた。そのためにも、今日のデートを頑張らなくては!
水族館に入ってからは、お魚さんという共通の話題があったので助かったが、僕は変わらずトークに必死だった。ただ会話をすればいいというわけではない。とにかく、笑わさないと! と、僕はそう思い込んでいた。今にして思えば、僕は根本的に間違っていたと思う。笑わさなくても楽しめる会話というものがあるのだが、その頃の僕は、楽しい=ボケる(笑わす、ウケを狙う)ということだと思い込んでいた。
水族館の中の休憩スペースで休息をとった。コーヒーを飲みながらも、僕の心は休めていなかった。気を抜いてはいけない。重複するが、とにかく律子を笑わせないと! という感じで、当時の僕は必要以上に女性を笑わせようとして墓穴を掘っていた。そう、墓穴を掘っていたのだ。だが、そんなことにも気付けないでいたのだ。
その後、そんな僕でも女性と普通に話せるようになるのだが、それはあくまでも未来の話。当時は、“おもしろい男の子”にならなければならないと思い込んでいただけのつまらない男だった。それでも、僕なりに必死だった。頑張り方というか、頑張る方向性は明らかに間違えていたのだけれど。
だが、いつものことだが、おもしろいことを言おうと思えば思うほど、緊張と焦りで頭の回転が鈍くなる。おもしろいことが言えない。僕は、とうとう諦めて、正直に言うことにした。正直に言って、楽になりたいと思ったのだ。その一言を発するだけでも、僕には勇気が必要だった。
「律子さんを笑わせよう、笑わせようと思ってるんやけど、緊張しておもしろいことが言われへんねん。ごめんなさい」
「そんなこと気にせんでもええんやで、リラックスして楽しもうや」
「はあ……すみません」
正直に、“笑わせたいけど、無理!”と言ったら気が楽になった。それからは、律子が会話をリードしてくれるようになった。楽にはなったが、律子に気を遣わせてしまって申し訳無いと思った。だが、まあ、律子は年上だから甘えることにした。これでいいのかな? と疑問に思いながら。結局、亜子の言っていた通りになったわけだ。亜子はこうなるのを見抜いていたのだろうか? 恐るべし、亜子!
水族館から出ると、海。恋人達が海を眺めながらイチャイチャしている。解放感があるのか、どのカップルも人目を気にしないようだ。キスしてるカップルもいる。
僕と律子も海を眺めた。
「海って、いいよね。私、海は大好き。崔君は? 崔君は、海は好き?」
「はい、僕も海は大好きです。なんか、いいですよね? 夏の海も冬の海も好きです。冬の海にも、その良さがあって」
「夏になったら思いっきり泳ぎたいね-! 崔君、海とか行くの?」
「行きますけど、海に行くってことは……え! ほな、水着?」
「崔君、Hやな! 泳ぐイコール水着って、さては本音が出たな。仕事中は話しかけにくいくらい真面目やのに」
「すみません、つい本音が出ちゃいました。僕は律子さんに興味があるんですよ」
「本当に私の水着姿を見たいの? それマジ?」
「めっちゃ見たいです。写真も撮りたいです」
「どうしようかなあ、うふふ」
「お願いしますよ-! 出来ればビキニで」
「あ、黄色いビキニなら持ってるけど」
「お願いします。僕、律子さんの犬になりますから」
「犬にならなくてもいいの。水着は考えとく。ところで崔君」
「何ですか?」
「気になってたんやけど、なんで私なん?」
「え?」
「操さんや、明美さんじゃなくて、どうして私なん?」
「それは……わかりません。僕は律子さんに惹かれたんです(操と明美は年上過ぎて諦めたとは言えなかった)。律子さんは僕の憧れなんです。こういうのって、理屈じゃないでしょう? 人を好きになるって、理屈じゃないです。律子さんが素敵だから好きになった、それだけです(←ここまで告るのに必死)」
「ふーん、そうなんやぁ」
一瞬、見つめ合った。キスしてるカップルが視界に入った。ここは僕もキスするべきなのだろうか? まずはハグをして……それから……キスをするべきなのか? キスをしてもいいのか? キスをしても許されるのか? キス、キス、キス……。
“って、そんなハードルの高いこと、今の僕に出来るわけ無いやーん! そんなことが簡単に出来たら、今頃は童貞卒業してるわ!”と思った。無理だ。無理なものは無理なのだ。これも理屈じゃないのだ。抱き締めるべきだとわかっていたのだけれど。
それで、結局キスは出来ず、2人でしばらく海を眺めてから移動した。これは、絶対に後で亜子に怒られるなぁと、怒られるのを覚悟した。
僕達は洒落たレストランで食事をして帰った。律子が店の雰囲気と料理を気に入ってくれたようなのでホッとした。良かった。キスは出来なかったが、律子は別れ際に笑ってくれていた。ちなみに、店は亜子のオススメの店だった。店選びにも亜子のアドバイスを貰っていた。なのに課題は達成できず。ごめんね、亜子。
その晩、亜子から電話があった。僕は電話に出たくなかった。
「崔君-! 近況報告の時間やで-!」
「師匠、なんでそんなにテンション高いん? 今日はいつもよりハイテンションやね。どうしたん?」
「だって、今日はキスしたんやろ? 初キッスやろ? テンション上がるわ」
「それが……キスは……できへんかった」
「なんで! 1回くらいはそういう雰囲気の時間があったやろ? あの水族館は海が見れて雰囲気がいいから、キスくらい出来たんとちゃうの?」
「うーん、もしかすると1回だけ、チャンスはあったのかもしれない」
「ほな、なんでキスせんかったん? 崔君のアホー! 根性無し-! 呆れるわ」
「いきなりキスなんて出来るか-! そんなことが簡単に出来たら、とっくに童貞卒業してるわ-! と、僕は言いたい」
「キスするムードの時にキスせえへんかったんかぁ、これは痛いなぁ、でも、過ぎたことを言ってもしゃあないからなぁ、うーん、これからどう攻めるか? 今晩私が考えるわ。ほんで、明日また電話するから」
「よろしくお願いします、出来の悪い弟子ですみません」
「作戦は私が考えるけど、崔君はちゃんと実行してやー!」
「……マジですみません」
僕の師匠は、やっぱり厳しい。とてもかわいい女の子なんだけど。
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