第30話  崔は怪我をする!

 目つきの鋭い男が、大男とバトンタッチした。

 それから、何度蹴られて、何度踏みつけられたかわからない。


「もう、ええわ」


 大男がさがった。もう一度、目つきの鋭い男がそばに来た。そして、ポケットからナイフを取り出した。ナイフは、僕の左の手の平を刺した。血が流れる。思ったよりも痛くはなかった。ナイフが骨で止まっているのだ。なるほど、傷は浅いだろう。


「大丈夫や、骨で止まっとるやろ」

「……」

「これだけやられても、まだ睨む力だけは残ってるんか、気に入ったで、兄ちゃん」

「強さにも種類があってなぁ、打たれ強いのも強さの1つやで」

「打たれ強さか、ますます気に入ったわ。今日は、もうええわ。楓ちゃんによろしく」


 2人組の借金取りが立ち去った。僕は、起き上がるのに時間を要した。ただ起き上がるだけのことがしんどい。勿論、こんな姿を楓に見られたくない。見られたくないのだが、自分の家まで辿り着ける状態ではない。結局、僕は楓のベッドで寝込んだ。自分の未熟さ、小ささを痛感した。すごく惨めな気分だった。何より、楓を心配させてしまうのが申し訳無い。この姿を見たら、楓は絶対に心配する。それが悲しい。


 やがて、楓が帰ってきた。どうしよう? でも、どうしようもない。


「ただいま」

「お帰りなさい」

「あれ? 崔君、今日は玄関まで出て来てくれへんの?」

「ごめん、今、ちょっと寝かしてもらってるねん」

「どうしたん? 眠いん?」


楓がダイニングキッチンを通って、部屋のドアを開けた。


「どうしたん? 崔君!」


 楓が驚いた。まあ、驚くだろう。タクシーを使って自分の家に帰った方が良かったのだろうか? 楓の部屋に辿り着いて、しばらくタクシーという発想が無かった。ついさっき、タクシーという交通手段を思い出した。ボコボコにされたときは、咄嗟にタクシーで帰るという手段が頭に浮かばなかったのだ。だが、僕が部屋で待っていないと楓は不自然に思うだろう。それに、怪我が治るまで楓と会わない、というわけにもいかない。結局、僕はこの姿を楓に見せるしか無かったのだ。楓の役に立ちたいと言いながら、楓を心配させてしまう自分自身を呪った。自己嫌悪で死にそうだった。


「ちょっと、転んだわ」

「嘘! 転んでもそんなにメチャクチャにならへんやろ」

「気にせんでええよ、スグ治るから。今だけ、今だけ寝かせてほしいねん」

「ちょっと、ほんまに何があったん? 教えてくれへんのやったら寝かせへんで」

「なんも無いよ、ほんまに、ちょっと階段から転んだだけやねん」

「その傷、殴られた傷やろ? 階段から転んだ傷とは思われへん」

「大丈夫、殴られてへんよ」

「なんで左手にハンカチ巻いてんの?」

「気にせんでええよ、たまたま転んだところが悪かっただけやねん」


 楓がハンカチを解いた。やっぱり傷痕と流れる血を見た楓は息を飲んだ。


「ちょっと、これ何なん?」

「転んだときに、たまたま硝子の破片が刺さったんや。大丈夫、傷は骨で止まってる。血も止まりかけてるねん。大丈夫やから、ちょっとだけ寝かせてや」

「もう、ちゃんと話してくれないと、何が何だかわからへんやんか」


 その時、電話が鳴った。楓はスグに電話に出た。


「もしもし、はい、はい、はい、わかりました。わかりましたから、もう崔君には手を出さないでください……」


楓は電話を切った。


「そういうことやったんやね」


 楓が言った。


「え? 何のこと?」

「全部聞いたわ。崔君をボロボロにしたのは借金取りやろ? 私のせいやんか」

「楓は悪くないよ。ピンポンが鳴って、外に出た僕が悪かったんや。僕は大丈夫、大丈夫やから。明日には怪我も治ってるわ。ほんま、心配せんでええねん」


 楓は泣き出した。僕は、痛む身体を無理に起こしてベッドから降りた。僕は楓を抱き締める。ただ抱き締めるだけ。僕はいつもそうだ。抱き締めることしか出来ない。


「ごめんな、ごめんな……」

「大丈夫やって、僕は大丈夫、大丈夫やから。楓は悪くない。泣かんでええねん。泣かんでええから……」

「崔君、私と一緒にいると、いろいろツライよね。ろくなことがないよね」

「ツライとは思わへんよ。僕は、好きで楓のそばにいさせてもらってるんやから気にせんでええよ。もし、少々ツラかったとしても、僕は楓のそばにいたいねん」

「私、崔君のことが好き。大好き。愛してる」

「僕も、楓のことが大好きやし、愛してるよ」

「私、崔君を苦しめてばかりや。でも、それでも崔君と一緒にいたい。私、ワガママな女やなぁ。ごめん、崔君。でも、一緒にいてちょうだい」

「一緒にいようや、ずっと、ずっと。一人ではツライことでも、2人なら耐えられることもあるんやから」

「私、本当に崔君と一緒にいてもええの?」

「ええに決まってるやんか」


 楓が、救急箱を取りだして手当てをしてくれた。無言の楓を、僕は抱き締めてキスをした。そのときのキスは、楓の涙でしょっぱかった。長い、長いキスだった。



 しばらく身体中が痛かったが、僕は少し無理をして、翌週には楓と弾き語りに出かけた。ツライ時に歌うとスカッとすることを改めて知った。







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