第6話 アネモネ

 ああ、朝になってしまった。


 結局俺はちゃんと眠ることができなかった。無駄に広いベッドの上には俺だけでなく、パジャマ姿で幸せそうな寝顔のサードがいる。背中越しに聞こえた寝息と寝言。寝言……って複製体ふくせいたいも夢を見るのか? ずっと距離をとっていた俺は彼女たちの生態せいたいを知らない。


 彼女によると日中の活動時間には制限というか限界があるようで、それを超えると身体機能が強制停止、スリープモードに入ってしまう。たしか6時間15分だったか。途中15分程度の仮眠をとれば最大10時間まで伸びるようではある。俺との距離が屋敷を出て離れたくらいの距離になれば勝手に目覚めるように自分で設定したと言っていた。


 そういえば、あっちで彼女たちがそろっているのを見なかったのはそういうことか。普段は交代で眠っていたようだ。俺は本当に彼女たちについてくわしいことを知らない。サードには起こさなくてもいいと言われていたので、静かにベッドを出て俺は着替える。飛び回っている擬似妖精ぎじようせいももう気にならなくなっていた。


「おはようございますカイト様。朝食の準備はできております」


 部屋を出ると執事のクライフさんが立っていた。俺が起きてくるのが分かっていたようだった。有能すぎる。


「ああ、おはよう。えっと、クライフは人間なのかな……?」


「フフッ。ええ、カイト様と同じ人間でございますよ。旦那様やサードさんのような少し変わった存在とは違います。その証拠に私には見えませんが『擬似妖精』なるものが私の周りにいるのでございましょう?」


 たしかに三つの異なる光が彼を見張るように飛んでいる。


「これって人間にしかつかないの?」


「そのように旦那様からうかがっております。人の魂を感知かんちするのだとか。ああ、ご伝言がございました。旦那様は教会の仕事で出ておられます。本日は自由になさって構わないとのことです」


「ああ、そう」


 用意された朝食をひとりで食べ、眠くなったので広い応接間のソファで仮眠かみんをとる。しかしすぐに目が覚めてしまったので仕方なく屋敷をウロウロすることに。


 クライフさんが中庭で花壇の手入れをしていた。


「綺麗な花だね。見たことがある気がするんだけど名前までは知らないんだ」


「これはアネモネというらしいです。旦那様がカイト様の世界から持ち込んだものでございます。ですからカイト様もご覧になられたことがあるのだと思います。はる太古たいこの昔にはこの世界にも咲いていたそうです」


 ほう、地球の花がこっちにも。アネモネね。内容は忘れてしまったが、アカリからギリシア神話だったか何かの話を聞かされた気がする。


「これから私は買い出しに出ます。屋敷は旦那様の結界で守られておりますので、もし外出される際はそのままで結構です。街の案内はサードさんがされるでしょう」


 クライフさんについていこうとも思ったが、屋敷を出たらサードが目を覚ます。彼女をゆっくり寝かしておいてやりたい気がしたので、彼が去るのをそのまま見送った。


 白やピンクの花をぼーっと眺めていると。視界のすみに人影が。


「ん?」


 どうした悪魔の結界、全然機能していないじゃないか。そこには水色のワンピース姿の小さな女の子が俺をじっと見つめて立っていた。


「やあ、おはよう。いや、こんにちはって時間かな。君は近所の子かな?」


「……!?」


 声を掛けられて驚いた顔をする女の子。そういえば俺ももういい年したおじさんか……。ずっと複製体と引きもり生活してたから感覚は高校生のころのままだ。見知らぬおじさんから声をかけられたらさすがに驚くよな。


「お花を見ていたの……」


「そうか、綺麗だよね。君はこのお花が好きなの?」


「うん!」


 そういうと笑顔で俺の方に駆け寄ってきて隣にしゃがみ込む。じっとアネモネの花を観察しているようだ。怖がらせなかったことにホッとするが、知らないおじさんに近づいてはいけないのだよ。こっちの世界ではどうか知らないが親はそう言っているのではないだろうか。


「俺はカイト。君のお名前は?」


「カイト? ……ん。私の名前?」


 俺の名前をつぶやき、それから首をかしげる。すると興味を失ったのか再び花の方をじっと見つめはじめた。うん、これくらいの年齢の子の考えていることは俺には分からない。まあ、いいか。そのうち親が探しにくるんじゃないだろうか。


「あれ?」


 そういえば擬似妖精が一匹も飛んでいない。辺りを見渡し、空にも目を向けるがいない。こんなことはこっちに来てから初めてだ。


 再び顔を下げると、女の子の姿は消えていた。


 えっ、どういうこと?  

 

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