二、長い長い旅路へ


 どこかの総団長閣下が敗北を喫して書類に忙殺されている表で、兵団の団長を務める一人が任を終えての休日を過ごしていた。

 シルトヒストリカ家の現当主であり、二児の父親でもある彼は今、遊びたい盛りの息子にグイグイと腕を引かれ、子どもの行きたい場所へと案内されていた。その少し後ろでは、黄金の髪の長い女性が柔らかな微笑みを浮かべながら、抱き上げた少女と一緒にその光景を眺めている。

「おとーさんっ! あっち! あっちいこっ!」

 指先を見れば、肉を焼いている屋台がある。時刻はちょうど十二時で、日黎を回ったところだ。どうやらそれと同時に腹が空いたものらしい。

「ルークは串焼きが食べたいのか」

「うんっ! うんっ! くしやき!」

 一度妻へ振り返れば、ニコニコと頷いている。どうやら決定らしい。

 息子に引かれるまま屋台へ寄れば、網の上で炙られたプリリっとしたもも肉が焦げ色を付け、濃厚なソースの匂いを漂わせている。ついついその匂いに腹が鳴る。串の長さは大体十五センチほどで、食べ応えにも満足がいきそうだ。

「へいらっしゃい! 特製ソースが自慢の激ウマ焼き鳥だよ! ボウズ、何個欲しい?」

「じゅっこ!!!」

「ははは! パパやママの分まで頼むとはな! ボウズはその年でよく気が利くな!」

「ううん! ぜんぶぼくのだよ!」

 ……これは六歳の息子の一人分だ。気を利かせて家族四人の分を一度に注文したとかでは、残念ながらにないのだ。

「!? い、いや、ははは……いやいや、大の男でも二、三本で満足する代物なんだが……」

 店主がチラチラと視線をよこす。大仰に頷いて見せれば、どうやら戦慄したようだ。

 家の息子はどうやら、母親に似──

「……にこにこ」

「…………どうした、セラ」

「いいえ? なんだか無性にニコニコしたくって。あまり気にしないで? ──あ、私にも串焼きをじゅっ……五本くださいな」

 妥当な数にまで減らしたと考えていそうなセラフィーナだが、傍から見ればその光景は、上品な真紅のワンピースドレスを着用している綺麗な女が、大の男でも食べない量を然も当たり前みたいな顔で頼んで食らおうとしている図、だ。──今更取り繕ったところでもう遅い。

「ルカも! 十本ほしい……です!」

 可愛い顔をして、娘の方も食べる量は凶悪だ。これで前座のやっつけ、メインディッシュの前の腹慣らし程度の分量でしかないのだというからやはり、娘も母に似て──

「……ふふ。私、あなたのことなら大体は分かるのよ?」

 ゴゴゴなんて効果音を発していそうな、暗雲の立ち込める大圧力は無視する。マシマシな威圧感などは無視する。

 息子が八本目を食べているのを横目に見ながら、炭火で熱いだろう店主が冷や汗をかいている様子を目撃。目を逸らしながら言う。

「…………私には四本もらえるかね」

 女の勘というものは、存外バカにならないらしい。甘く見てはいけない。特に、妻の家系であるルーンカヴェルフェは『火炎系ゴリラ』などと揶揄される家柄で──

「今日はなんだか、雨が降りそうね。」

 日常の何気ない会話みたいな擬態フリをして呟かれた言葉。だがそれは、言葉通りの意味ではあるまい。しかしその意図までは掴めない。

 瘴気に鎖された天は黒く、陽光もあまり通さない。当然壁外は非常に寒くなっていて、つまり降るならば雪だ。と言うより、雪ならば常にふぶいている。

「いや、雨なんて……」

「これから降るのよ」

 その声色は確信に満ちていた。彼女の視線をたどれば串焼きを食べ終えて妙にそわそわし始めたルクセリアがいて、その様子を見ただけで確信したようである。



     ◇



 機動輸送機の中、高速で流れていく自然の景色にルクセリアもルカリエルも目を輝かせて見入っている。都市と都市とをつなぐ防壁間の路から見える光景は、広原と森林、遠方に黒く影を伸ばす山の稜線くらいのものだ。そこに時たま、小都市の壁や街や村が映る程度だ。

 正法国の民の意識や国柄、壁による逃走の場の欠如などが理由で、盗賊なども出ることは基本ない。だから最外層以外の壁なら、一定の年齢に達していれば自由な出入りも可能だ。

 しかし八才のルカリエルも六才のルクセリアも、当然まだその年齢には達してはいない。だから中央都市からの外出は、二人にとってはこれが初めてのものだ。周りの全てが初めて目にするもの、触れるもの、感じるものであり、もともと好奇心も旺盛な子ども達にとっては、たとえ大人には見入るような風景でなくとも、その全てが刺激的で心躍るような楽しいものに映るのだろう。

「おとーさん! つのが生えてるっ!」

 グイグイと指でさし示している先には、野原で草を食む野生のシカの群れがある。

「おっ、よく見つけたな。ルークは良い目を持っているな」

 アーレントはそう言って、息子の頭を優しく撫でる。褒められたことに喜んだルクセリアは、更に動物を探そうと窓に張り付いた。

「──子どもというのはいつ見ても可愛いものだな」

「そうね。笑顔を浮かべているだけで周囲を幸せにしてしまうのだから、私達なんかよりよっぽどすごい力を持ってるわよね」

「ああ、まったくその通りだな。これも我らが神の恩恵だ」

 窓から、淡く黄金色に光る空を眺めてしみじみと言う。

「違うわ。ペルフェリーナ様の恩恵はもちろんだけれど、アルくんたちや他の人達の努力の賜物でもあるのよ」

 アーレントは驚きに目を見開いた。まさか突撃アンド爆発が常識デフォルトだった脳筋女のセラフィーナが、こんなことを言えるようになるなんて……!

「───そうだな。先代たちが守り紡いで、託してきた壁内の平和だ。そんな全ての人達に感謝をし、そして次に渡していかないとな」

「ええ。……出来ることなら、私達の代で蒼天を取り戻したいという気持ちはあるのだけれどね」

 幸福だけに彩られた表情とは一転、憂いが混じる。

 そう──世界は未だ瘴気に蝕まれていて、人類は壁が無ければ生きてはいけない。だからそれを取り戻す為、人々は、神は、戦っている。

 かつて天が堕ちて鎖されて、その闇を晴らす為に。

 現在の壁内は、言ってしまえば仮初かりそめの平和で満たされている状態だ。

 防敵の役割を果たす壁が同時に、人間の生存圏を保存する目的で広原を切り取る役目も果たしている。だからその更に内側にも、都市の大きさによって壁があったりなかったりと様々だし、当然の様に自然は広がっている。しかしそれは、世界からの隔離措置であって、本来の自然ではない。

 本物の自然はとっくに、荒れ狂う野生動物と魔群、そして人間ではもはや留まることすら出来ない極寒によって真の魔境と化している。

「……近い内に、六座の神は〈欺瞞の神〉へと戦争を仕掛けるつもりでいるようだ。何年掛かるかは誰の予想にもつかないが、──きっとそれで世界は変わる。残り二つの心臓と一つの原典さえあれば、すぐにでも星杯は呼び出せると聞いたんだ」

 二つの心臓、一つの原典。それはどちらも、冷帝国にあるとされている。少なくとも心臓に関しては確認も取れており、絶対に存在している。

「! もう、そんなところまで……?」

「ああ、ペルフェリーナ様が仰られていた。──もうすぐ世界は、本当の平和を取り戻すんだ」

 戦争になれば、日々の生活はしばらくは苦しい状況に陥るだろう。だが、それを越えた時、世界は初めて、悠久の暗黒を打ち晴らすことになる。

 そしてその戦争も、恐らくそれほど長くは続かない。開戦するとしたら、八座の神々はお互いに武器も道具も技も、全ての準備を終えているはずだ。ならば、六座と数の多いこちら側が勝つのは明白。

 世界の解放までは、あと少しだ。

「……頑張りましょう。この子達の、未来のためにも」

「そうだな。二人は俺たちの宝だものな。少しでも輝いている世界を、残してやりたい」

 急に視線を向けられたルカリエルとルクセリアは、何が何だか分からない、というように首を傾げた。姉弟揃って、同時に。

「??? なんのお話してるのー?」

「? んー、たからものー?」

 そんな二人の様子に、父親であるアーレントも母親であるセラフェーナも、優しい笑顔を浮かべる。

 ──この子達だけは、何としてでも守り抜く。

「ルカもルークも可愛い、って言っていたのよ」

「やったー! ルカかわいいー!」

 両手を上げて喜んでいるルカリエルの声に混ざるようにして、キュルルと間伸びのしたなにかの音が鳴った。

 それに対する四人の反応は明確に分かれる。

「「……?」」「!?!?!」「!」

 都市を出てからは既に二時間ほどが経過し、最後に焼き鳥を腹に収めてからは大体三時間程度経っている。

 音が鳴ったと思われる方へ向かう子ども二人の視線と、顔を引き攣らせた者と、急に窓の外を眺めはじめた者。

 アーレントは念じていた。──俺はなにも聞いていない。俺は何も……。

 セラフィーナは誤魔化した。

「そ、そうだ! もし動物が気に入ったなら、また今度お母さんと一緒に捕まえに、、、、来てみよっか!」

「! いく! おかーさんといっしょにいく!!」

 喜色を浮かべたルクセリアが、膝に抱きついたままワサワサと黒髪を揺らす。

「そっかそっかぁ。それじゃあ、今度また一緒にこようね」

「うん!」

 ──まずは一人。

「ルカちゃんは今度、可愛い服でも見に行こっか!」

「!? ほんとー! いくいくー!」

 満面の笑みで頬ずりをはじめた。

 母親譲りのサラサラな金髪が揺れて、ルクセリアの黒髪と混じって真紅の布にコントラストを映えさせる。

「よしよしよし! 可愛いのを選ぼうね!」

 ──二人目。

 そしてその目が、暑くもないのに冷や汗を流しているアーレントへと向いた。まるで蛇に睨まれて動けなくなった蛙のようだった。

 しかしそこで、救いの光が射し込んだ。

「団長、セラフィーナ様。もうそろそろ到着しますので、ご準備の方お願いします」

「も、もちろんだ! よし! 準備をするぞ!」

 などと大声を上げて誤魔化した。

 機動輸送機が停止して降りる間際、アーレントはソッ、と卵サンドを差し出した。



 ユスティリアード正法国を含め、神が執政や統治をしている四つの国家は漏れなく全てに壁が切り立つ。加えてその壁内には、神の力に依るエネルギー障壁が常時展開されている。前者は対魔群用のものであり、後者は対気候用のものだ。

 現在、世界は瘴気に蝕まれて黒く濁り染まっている。それは魔群の発生源となりながら、天空からは群青を奪って地上へ注ぐ太陽光を減衰させる。だから人類は、神の恩恵が無ければ生きられない。たとえ炎を持った者であっても、枢機への受力量には限度があり、それがそのまま機力への変換上限を表すことから、無限に炎を生み出し続ける事が出来ない。

 人類は、壁外へ出て暮らすことが不可能なのである。

 しかし当然、神にも機力の上限というものはある。人間よりも圧倒的膨大の枢基を持っていようとも、エネルギーを使い続ければ当たり前に減っていく。

 正法国の防壁は三重。第一区最中央から最外層第一防壁までの距離は、二百キロメートル。単純国土面積にして、百三十万平方メートルだ。

 誰も神と神が争う場面を見たり、制限がない場合の戦闘能力に関して聞いた事はないが、全盛と現在とで発揮出来る力に乖離かいりがあるのは想像に難くはない。

 それは、〈正義の神〉が普段からあまり枢基を行使しようとしていないことからも察せられる事実だ。

 故に国家における執行機関の存在意義は、神にこれ以上の負担を掛けないよう務めることだ。

 中低位の魔群の討伐・壁内の治安維持・枢機の実験的研究など、全て人類が担えばよい。


C区画八番中奥部ポイントC-8-2、魔群三接近!」

「こちらC8小隊了解。討伐を担います」

B区画二番最奥部ポイントB-2-3、魔群六の徘徊確認!」

「こちらB3小隊了解。中央部誘引後、討伐を担います」

B区画六番最奥部ポイントB-6-3、魔群一の発生──」


 時刻は夕黎せきれい。場所は正法国第一区より最外層・北部都市第三十六区へ移り、その防壁上。アーレント達一家は現在、ルクセリアの強い要望にて旅程を急遽変更し、執行兵団が担う任務の見学に訪れていた。

 通常であれば壁の上になど登れぬし、登ろうとすれば常駐警備をしている兵団か、あるいは治安維持を担う執行警団の世話になる。

 ならば彼らは、マヌケにもコソコソと壁をよじ登ったのか。違う。ここには、現役の団長位を務める者がいる。

「「「「「兵団敬礼ッッッ!!!」」」」」

 一糸乱れぬ統率のとれた動きで、左腕を水平に胸へと当てて敬礼を送る。対してアーレントは、左手を掲げることで答礼とする。

 仕事の都合上で訪れている訳ではないから、任務をこなしている者達を緊張させてしまっている現状は、彼としては正直気まずい。

「全体、敬礼なおれ。現在は団長位として来ているわけではないので、私のことは居ないものとして扱ってもらって構わない。それでは各位、任務へ戻るように」

「「「「「はッッッ!!!!!」」」」」

 とは言え、彼らからしてみればある日突然雲上人がやってきた、というような状況だ。緊張するな、はい分かりました! では纏まらない。実際、任務に戻って行った団員達は、明らかにソワソワと落ち着きがない。加えて、ここには現在、ある意味で団長よりも畏怖されている伝説の女が歩いているのである。

 耳をすませば、「あれが、『爆炎ゴリラ』……」だとか「ひっ……『燼滅』がなんで……」といった疑惑の声やら悲鳴やらが小さく聴こえてくる。

 横目に見れば、笑顔が黒かった。とんでもなく。こんなところで爆裂し始めるような考え無しでないことは理解しているが、いつ爆発しても───

「すこし、前線が慌てているわね」

 流し目で見て、妻が呟く。

 団員達が震える。

「「「「「……っ!!!」」」」」

 ごまかすように北部へ視線をやれば、確かに若干、戦線が荒れている。魔群の発生速度が急激な上昇を見せ、等間隔で設置してある光源鉱石に照らされて伸びる影が十、二十と一気に増した。前線へ出ている者達も戸惑いを隠せておらず、やや押されてきている。

 何かを感じ取ったのか、ルークが言う。

「おとーさんおとーさん! 黒いのいっぱい!」

 まだ六歳なのだからソレがなにかも分かっておらず、そのことについて責め立てられるようなことはないが──しかし、無邪気な子供の声音でその事実を聞いた大人達を焦らせるには、それは十分な威力を持ったものだった。

 実際今の壁上は、空気がピリリと張り詰めている。

「ポ、ポイントD-2-1、魔群六発生!」

「ポイントA-4-1、魔群八発生!」

「ポイントA-2-2、雪が盛り上がっています!」

 今日は新人が多いらしい。

「ポイントB──」

 一度誰かが慌てると、その焦燥感は伝播する。特に緊張感の強い前線ともなるとその傾向はかなり強くなり、時にはそれだけを原因として隊が壊滅的被害を受けることもしばしばだ。

 だから団長や大隊長には、司令官という役割以上に強さが求められる。最悪の場合、指示司令は参謀や副官に頼れば良い。

 広がり始めた焦燥は、上の位に就いたものが即座に鎮める。そのためには絶対的な安心感──すなわち、一撃における大火力が必要だ。

「わっ! おかあさんがいなくなった!! おとうさん! おかあさんが!」

 突然のことに驚きの声を上げながら、壁上に降ろされた娘が大声で伝える。

「ああ。……おかあさんは少し、ストレスの発散に行ったんだ」

 北の方を指でさすと同時に、焔の雨が降った。



 前線。遥か空の黒の先にある至極を捻じ曲げて大地へと降り注ぐ夕黎の刻の、光を鈍く返す寒冷の白の銀の庭。最も不気味な時間帯で、最も恐怖の続く場所。思いつく限りでダントツに最低最悪な状況下。

 こんな薄気味が悪い状態は、炎で一度に焼き払うのが最良の定石マイポリシーだ。現在のような、機力量に不安が生じたならば即時に防壁へ退避すれば良い、という状況かつ瞬間戦闘が求められている場面ならば殊更に。

 魔群などというクソども相手に、遠慮してやる必要もない。端から火力全開だ。

「──砲装『燎原りょうげんノ火』」

 足元が赫赫と赤く燃え、放熱によって周囲の雪を激しく溶かす。

 不気味な演出ばかりしてくれる冷たい絨毯が黄金の赤一色に染まり照り、空の黒を跳ね返していくこの瞬間はやはり、見ていてとても気分がいい。

 あとは魔群ども──テメェらは死ね。

「──穿ち焔・焼爛」

 物量をもった炎熱を空に放って、そのまま敵を穿つ機式だ。

 目印は人喰いの黒蜘蛛の、催眠効果を持った光珠。夕黎せきれいから黎闇れいあん暁黎ぎょうらいの時間帯にかけては催眠洗脳の成功率も高まる反面、不自然に闇の中に浮遊する珠は目立ってそれで、クソ蜘蛛の位置は判断できる。だから夜の広原は、砲装持ちの独擅場ワンマンフィールドになりやすい。

『『『『『ギッッッッッッェェェッヅギァ………』』』』』

 雪が蒸発する前に走り抜けるという高速軌道の中で絶えず、遅れた爆轟と引き伸ばされた魔群の断末魔を耳にしながら、己の技の冴えを確かめる。

 最高の見栄えに、良高な火力。範囲も上々だ。夜に咲かせば赤き黄金の彗星が降る。彼女が雑魚敵モブの殲滅には最高効率だと気に入り、しかし広範囲を穿つ特性上から、使用する場合は仲間のいないタイミングや場所を狙わなければならないという制限のついた技。

 推進力を受けて飛ばされた爆炎は水平に、打ち上げられて降下を始めた爆炎は斜に、それぞれ火の尾を伸ばして闇夜を照らす。

「今日は特段に数が多い……なにかデカいものでも……?」

 カウントは大雑把なものだが、わずか二、三分という極短時間ゼロスパンで、セラフィーナはすでに五十以上を屠っている。しかし未だに、魔群の発生がとどまる気配はない。それどころか、加速度的に増しているくらいだ。

 いくらなんでもこれはおかしい。──なにか、ある。

 今までの戦場で培ってきた経験の鳴らす警鐘を、彼女は確かに耳にした。瞬間、条件反射のように腹から叫んだ。

「戦場に出ている者達ッッッ!!! 一度防壁まで後退し、常駐戦力以上の応援を要請! 壁上には団長位のアーレントがいる! 彼に『戦火燼滅』が戦力を要していると伝えろッ!!!!」

 夕黎から黎闇へ。見たことのない空の、その向う側にある太陽が沈みきって完全なる黒の世界が訪れる。ただでさえ届かない陽光の熱が隠れ、ここからは更に寒くなる。それはつまり、己の身体に纏うエネルギー障壁を切らせば即座に体の凍結が始まるということだ。

 ここから激化していくであろう戦局。そして、切らせば終わりのエネルギー障壁機力食いの命綱。先程までとは状況が変わり、今は機力を温存しなければならない。

 脳筋ゴリラ集団などと揶揄されることの多いルーンカヴェルフェ家の、最も血の気の多いセラフィーナが今、〝戦い勝つ〟ことを決めた。

 焼け焦がした人喰いの黒蜘蛛の残骸を掴んで簡易的な防御機構を構築。砲装を解く。纏っていた炎が消える。

 機装マキナを展開する時と転換する時は、どうしても隙が生じる。機装を跨ぐときは、特に長く。

「……ふぅ──」

 人間という生物は、枢基を持っているだけでは攻撃できない。もっと言うなら、枢基に刻まれた事象を再現する事は可能だが、枢機が強すぎてそのまま使えば人体が破裂する。

 故にシルトヒストリカ家とカグラ家の先祖は、なんとか戦う力を得ることは出来ないかと知恵を絞った。そしてその結果生まれたのが、機装だ。

 星のエネルギーを個別に持った枢基によって取り込んで機力へと変換し、その機力を用いて枢基から機装を現す。そしてまた機装を通して枢基に刻まれた事象を変換し、実際の形としてうつすのだ。

 簡単に言うならば、人体が破裂するほどに莫大な星のエネルギーを利用するため、外部にもう一つの機関を作って破壊力を分散しよう、と考案されたものが機装だ。

「──……転換・御佩刀みはかせ──武装『日輪』」転換が完了。赤く燃える炎の直剣が握られる。

 貫通力と広域攻撃に特化させた先程の独自機装オリジナルマキナとは違い、武装『日輪』は汎用機装だ。機力の消費を抑えて誰にでも使えるように調律されているという性質上、威力にはあまり期待が出来ない。ただしその分、機力の消費量はかなりの分が抑えられる。特に武装は、砲装に比べて制御面が少ないことから継戦性能も高い。また、足りない威力を技術で埋めることもしやすい。

「『日輪』──炎舞」

 円に舞う炎の剣閃が、流れるように一枚二枚と燃え盛る。

 接近したなら、黒蜘蛛の珠は直視できない。すれ最悪、即死する。しかし、全長で四メートルもある巨体だ。遠くから一瞬の内に確認してゼロ距離にまで肉迫し、敵の体躯で珠を隠せば後は突進と肚に開く劫火の焔の口だけを警戒すれば足りる。

「──」

 突進を見極め、長く伸びる節足に絡められぬように右へと抜けて、やや無理を利かせて剣を振るう。力んで重く振るった炎の剣が、ごう、と唸って黒蜘蛛の横腹を切り裂く。

『ギゲェィァッッ!!!』

 黒蜘蛛が暴れて、黒の闇の中に朱と橙、口腔の猩々緋が光線となって奔る。武装の炎に斬り照らされた右腹から、焦げた紫色の血が舞った。

 汎用機装の『日輪』では、魔群を一撃で屠ることが出来ない。だからと言って負けることなどはなく、二、三撃を加えれば大抵殺せる。

『ギギァ……』

 だから問題なのはそれよりもむしろ、黒血の天秤の方だ。

 砲を担いで高威力爆撃を激射するスタイルを好む彼女は、斬るのはあまり得意ではない。黒蜘蛛のようにデカければ問題ないが、天秤は全長三十から四十センチほどの小躯でそれは、己の身の五分の一程度の大きさだ。だから剣を当てるのにも苦労する。刺し殺すだけなら簡単だが、魔群の死骸は暫く残る。黒血の天秤の肉体は細かい筋繊維で編まれて形成されているから、引き抜くのも楽ではない。だから結局、トライアングルの中央部にある核を狙って斬り殺すのが一番早い。

「『日輪』──炎舞』

『『『ギギィェェッァ……ギェ……』』』

「……ん、」

 一息ついて見渡せば、蒸発した雪とそのまま残っている雪とでかなりの高低差が出来ていた。その黒く鎖された白の銀の戦場のそこここに、焼け焦げて炭化した人喰いの黒蜘蛛とついでのように屠られた黒血の天秤の残骸がかなりの数転がっている。

 夜は黒く、光源鉱石の並べられた壁付近であってもやはりそれは変わらない。

 右手に握った炎の剣の朱が残骸の山に影を与え、二対の節足が細長く伸びている。

 白と黒の戦場に静寂が降る。黎闇の深更が進む凍てつきの夜に一人、しんと静まり返った雪の原を踏みしめて歩く音と己の息遣いだけが耳に聞こえてくる。

「…………」

 警戒は解かず歩く。何をも見逃さないように、即座に動けるようにして。

 残骸の山の中から、残った雪の中から、ざっ、と一斉に音が上がった。

「『日輪』──」

 黒血の天秤を二十、人喰いの黒蜘蛛を五十、発生確認。

 血の皿が上がっている───肚の煉獄の口が開いている───砲撃が、突進が来る。



 前線に出ていた団員達がどこか必死な様子で戦線を引き上げて戻ってきてから、展開されている機装マキナが変わった。彼女の好む豪華の炎から、三種持つ機装の中で最も汎用性が高く一般的で、しかし性格上から最も嫌う武装『日輪』へと。

 現在の前線では、ポイントAからFまで、それも三段階の戦域のすべてで、魔群の爆発的な発生が確認されている。戦況の変化に伴い、戦略は間引くことから勝利することへと、戦局は防壁まで押し込まれないことへと移行した。

 現在前線に出ているセラフィーナは、魔群の発生タイミングや速度からそれを察知し、比較的経験の浅いであろう全隊を防壁まで下げた。

 その行動が現すのは、かつて『戦火燼滅』と呼ばれた大隊長が戦場に立ったということだ。母になるのだからと一線から退き、同時に子どもたちの手本となるために粗暴な言動も改めた女が、その場に立っている。

 全てはこの戦場・戦局で、勝つためだ。ならば己も、ここで出張らなくては格落ちだ。

「『雷響』や他の者達への連絡はまだつかないか」

「は、はッッッ! 申し訳ありません!」

「いや、責め立てているわけではないから、そのように恐縮しなくてもいい。連絡が上がったら教えてくれ」

「はッッ! 了解しました!」

 前線の状態が明らかに異常であること、そして現状、その前線には一人しか立っていないことなどから、常駐していた兵団員達は明らかに浮足立っている。

 無理もない。見たことがなければ、現象について教えられて想像しろなどと言われても完全な理解に繋がるなどあり得ないし、普通はこういった異常事態には、壁外征伐の場で安定した大隊長位や隊長位に囲まれながら遭遇し、そして学ぶのだから。

 そしてまた、通常では八人一隊として討伐に当たるところ、大隊長位からは単独でもこなすという力量の隔絶を学ぶのも壁外征伐の場だ。

 二ヶ月に一回の征伐。往復で二週間の日程、というスパンと時間は、新人を育成しつつも無理はさせないギリギリのラインとして、そう決められている。

 兵団に所属すると決めて訓練校を卒業してきた団員達には、それでも一年の間は無条件に所属先を変更する権利が与えられているのだ。だから早めに、兵団に属するとは〝どういう意味をもっているのか〟という残酷を、体験によって教えなければならない。

 そして一年の内に六度もこなせば、たいてい〝そういった〟場面に鉢合わせる。常に軍団規模で移動し、廃棄されて倒壊と風化の尽くされた大昔の廃墟や廃村が一応は利用できるとは言え、それでも壁外で二週間を過ごすというのは、過酷を極めるのだから。

 今兵団に残っている者達のほとんどは知っている。魔群に規則性だとか規律だとかいうものは存在せず、しかし今回のように爆発的連鎖的に次々と魔群が発生するなんてことも起こることがあると。そしてその場に大隊長位以上の者がいなければ、その戦域はそのまま崩れて団員たちは死んでいくと。

 今大隊長や団長を務めている者達は、そんな場面を何度も見てきた。駆けつけた時には既に無惨に食い散らされ、二対の朱と橙の魔珠に廃人に堕とされ、斬撃に刻まれて木端にされた仲間たちの無念を。

 だから経験が違う。だから覚悟が違う。だから意志が違う。だから、強さが違う。生き延び屠り、魔の群を駆逐せしめるだけの強い全てを持っている。

「あ、あの……」

 戦場を見守っていると、団員の一人が不安げに声を上げた。

「どうした」

「だ、団長は、その……、前線には出られないのでしょうか」

 それには、上々以上に指揮の執れる者、つまりは大隊長や他の団長、あるいは最高指揮官である総団長の到着が必要だ。

「ああ。私はまだ、前線に出るわけにはいかない」

「あ、あの方一人に戦場を押し付けるのですか!」

「それは違う。指揮官の不在は部隊にとって混乱を招く結果に繋がる。故に出られないのだ」

 指揮官の存在の重要性は訓練校時代に習っているはずだが、しかし説得の言葉を聞いてなお、声を上げた彼の周りでは頷いている者や疑念を抱き始めている者、明らかに不服そうにしている者までいる。

 やはり初めての異常事態への直面に気が動転しているらしい。

 団員は、詰め寄るようにして更に言葉を重ねる。

「あの方は団長の奥様でしょう!? それに、戦える力があるのに戦わぬというのは明らかに正義に悖る行いではないですか!」

「戦場に正義を持ち出すな。それから、彼女をダシに使うな。アイツは元大隊長だ。即座にくたばるほど弱くはない」

 戦略の話に正義を持ち出せば、まずロクな話にならない。その議論の行き着く果ては、正義の堕落。そもそも論として正義を厳格に解し適用するのであれば、人死にのある戦闘は全て廃止だ。しかし魔群と戦えない兵団では意味がなく、それを解消しようとすれば正義を捻じ曲げる必要が出てくる。それは必ず、正義へとゆがみを生むことになる。

 だからそれは、暗黙の了解。キレイゴトだけでは済まぬことなど、いくらでもあるという清濁への理解。

〈正義の神〉が治める法国の正義とて、切り離して考えなければならない場面というのはあるものだ。そうでなければ、ゆくゆくは至高と崇め奉る天上の神のことすら、否定する結果にも繋がるのだから。

 変に刺激をして命令に背かれ、前線に突撃などされても問題だ。

 上位の命令として従うのであれば全く気苦労はないが、良くも悪くも、新入の団員は正義にあつく燃えている。

 団員の暴走を防ぐため、アーレントはいつもより慎重になりながら言葉を発する。

「諸君らも指揮官の重要性は訓練校時代に習い、理解しているはずだ。私は上に立つ者として、無闇矢鱈に諸君らの命を散らすわけにはいかんのだよ」

「ならばせめて、砲装による支援だけでも必要なのではないですか! それならば団長閣下の指揮下にあっても行えますし、自ら砲を撃つことも可能かと存じます!」

 一聞すればそれはまったく正しいことのように思えるが、実際問題、慌てている経験不足者に砲を撃たせると高い確率で仲間へと誤爆する。たとえそれが全く関係のない方向だったとしても、不安定な枢基の制御では逆に機装者に危険が伴うだけだ。だからこの場では、なにもしないという判断が最も妥当だ。

 また、それならば指揮官であるアーレントがここに立ったまま砲撃だけすれば良い、というのも戦術に劣る。通常時であれば、同時指揮など常だ。しかし現状は異常事態にあり、これ以上前線の監視という最重要課題から集中力を逸らすわけにはいかないからだ。

「諸君らの言いたいことは理解している。ただでさえ単数の魔群にすら複数で対処に当たるを、今の彼女は、単騎によって複数を相手取っている。仲間のことを常に気に掛けるよう教育されている諸君らには、焦り、心配をせずにはいられぬような戦況だろう。理解は出来る」

 だが今は、それが必要だ。

「しかし大隊長にまで至った者は、異常の戦場を幾度と経験し、その都度生還を果たしている。それくらいの実力は当然、かつて大隊長を務めていた彼女も持ち合わせている。だから諸君らは、今回のことは良い勉強だと考え学び見ておくといだろう」

 そして加えるならば、これくらいでヘボつくような者は、いくら二週間程度とは言え、団長のマント、、、、、、を羽織ったりすることもない。セラフィーナの強さに関しては、明確な根拠と信頼がある。

 彼女はこのくらいの戦況には、即適応して生存を果たすことだろう。

「……」

 団員達は沈黙した。伺うようにこちらを見ている。

 その時、南東の空に雷鳴が轟いた。大隊長『雷響』からの合図だ。

「だ、団長! 都市イール上空に雷光が上がりました!」

「確認した。──各員傾注! これより、大隊長到着までに諸君らがとるべき行動について指示を出す。必ず従うように!」

「「「「「はッッッ!!!」」」」」

 喜色に満ちた誇らしげな顔で返答。やっと兵団の一員として使命を遂行することが出来ると、そう考えてのものだろう。

 だが、彼らを前線へ送り出すつもりはない。自覚を持って戦おうとしている彼らには酷な話だが、ハッキリ言ってしまえば邪魔になる。

「諸君らは『雷響』が到着するまで、この場にて待機。到着後は速やかに戦況を伝え指揮を執らせ、その指揮下で動くこと。以上だ」

「な、なぜですか! 」

 やはり反発。しかし従ってもらう他にない。

「団長命令だ。階級の低い諸君らには、異を唱えることは許されない」

「しかし!」

 彼は特段に正義感が強いのだろう。なおも食い下がる。

 仕方がない。

「諸君らの気概は買うが、やる気だけで魔群を駆逐出来るのであれば既に魔群など、この世には一匹たりとて存在しないはずだ。……違うかね」

「ッ……!」

 発言の意図するところを察したのだろう。唇を噛み、悔しそうに俯いた。重い空気が流れている。

 フォローも入れておくべきかと考え、アーレントが続けて口を開く。

「役に立つことが出来ずに悔しいという気持ちを味わうのは、かつての私も同じ経験をしているから理解出来る。それは誰もが通る道だ。だが今、この場で、ここで、この瞬間に己の力量不足を嘆いても何も変わらないのだ。ならばせめて、いつかの未来に活かせるように、今はこの場で見て学べ。以上だ」 

 イールまでの距離は十五キロほど。機動輸送機で二十分程度の距離だ。それくらいの時間であれば、恐らく今の彼らであれば暴走することも無いだろう。

 戦場では、再び黄金の彗星が降り始めた。セラフィーナが『雷響』からの合図を見、制限をする必要はなくなったと判断したのだろう。

 狂熱に舞う火炎の流星が打ち上げられて、火線を引いた一群がまた、地上へと爆轟を散らす。


 魔群が数だけの群なら、私たちは統率の執れた軍だ。魔群が個数で勝るなら、私たちは戦略と知略の集結で勝る。

 ──最後に勝つのは、私達人類だ。


「君、私たちの娘と息子を見ておいてくれ。特に息子の方は少々ヤンチャでね、目を離すとすぐに遠くへ行ってしまうのだ」

「は、はッッ!」

 子ども二人の頭を一度撫でて、彼は戦場へと目を向ける。大きな背に、高い声で送り出しの言葉が掛けられた。

「「行ってらっしゃーい!」」

「ああ、行ってくる」

 強く頷き、アーレントは壁下へ飛んだ。



 長年の激戦区を生き残り、遂には八枠しかない大隊長へと至って『雷響』の二つ名を神より授かったオックスは今、機動輸送機に運ばれながら壁を眺めていた。

 乗りこんでからの十分間、彼はずっと沈黙を貫いている。不機嫌なのかとそぞろに確認してみれば、その表情は退屈や怒りよりも緊張と期待に満ちているように見えて、運転手はホッと一息を吐いた。

「……」

 ドアに頬杖を着いたまま、オックスは考える。

 かつて最強と謳われたコンビ、『静寂』のアーレントと『戦火燼滅』のセラフィーナが揃った戦場。それだけで大抵の戦況は覆せるものだ。しかし今回、二人は全軍へと呼びかけて戦力を募った。それも管轄外の団長や大隊長に留まらず、別機関の警団の団長にまで声を掛けて、だ。

 二人ほどの実力者が、過剰と言わざるを得ない戦力を要請している。「何も無かったら」、などと考える者はいないだろう。確実に何かが起こる。あるいはもう、その何かは起こっているか。

 それがどれほどの規模なのかは、オックスには分からない。だが確実に、何かが動く。そんな確信があった。

 だからこの移動時間は、いくら世間一般の主流である馬車より随分速いとは言っても、些かもどかしい。

「もっと速くならんものか……?」

 先程から絶えず轟いて届く激音に気が逸り、思わず本音が漏れた。

「……す、すみません。これは超高速用のものではなく……、機動部があまり強くないのです」

「あー、いや、責めた訳じゃない。俺は運んでもらっている身だからな、それだけで感謝してるよ」

 今戦場では、ドドドドド、と連続して爆轟ばかりが響いて、その後すぐに地の雪が炸裂する軽快な音が聞こえてきている。

「ははっ。セラフィーナさんの戦闘は相変わらず規模がデカイ」

 その音だけで、今の戦場に黄金の彗星が降っているだろうことは、その装技を見たことのあるオックスには容易に想像が付いた。

 大隊長へと至った自分も大概だという自覚はあるが、流石にまだ、数キロを一遍いっぺん射程圏キルレンジに収めるほどの技量はない。

 と言うより、そんなことが出来るのはアーレントやセラフィーナを入れても五、六人程度のものだろう。正真正銘、人類が誇るべき傑物けつぶつ達だ。

 そしてその傑物が二人同時に、戦線に立っている。『静寂』の二つ名通り、彼の上司でもある団長の戦闘は耳で感じ取ることが出来ないが、きっと今は、その辣腕を奮っていることだろう。

「あの二人が揃っている戦場など、本当に久しぶりだ。……楽しみだな」

 そう口にする彼の顔には、笑みが浮かんでいた。



 戦場に出て十数分が経った頃。アーレントは一瞬、何かの違和感を覚えて眉根を寄せた。

「なんだ……?」

 周りを見れば、大雪の溶けて土の晒された広原に、蹴り付けられて乱雑に積み寄せられた魔群の残骸がある。地面のそこここには黒血の天秤の血皿から撒き散らされた人間の臓物やら眼球やらを模した悪趣味の塊が落とされていて、黒蜘蛛の紫の血液がベッタリと付着している。

 その汚い血と臓物やらなんやらと、瞬時に凍った土の地面がセラフィーナの放った戦火に燃えている。

 だが今見たものは、戦火の炎熱が生み出した陽炎かげろうではない。もっと別のナニカを一瞬、確かに戦場に──空間に、視認出来ないはずの衝撃の揺らめきのようなものを見た。

 過去に類を見ないほどの異常。魔群の発生速度は、遂には火力特化の独自機装オリジナルマキナ二門ですら余り始めるほどにまで達し、比例するように生命線である機力もガリガリと削られていく。

「……カグラにまで声を掛ける判断は正解だったな。──後はどれほど早く来てくれるか、だな」

 展開した武装の直剣から斬撃を繰り出し、目に付いた黒蜘蛛と黒血の天秤の胴をひたすらに断絶していく。

 一度に幾閃もの風刃が飛び交い、断末魔を漏らさせる暇すら与えず殲滅の限りを尽くす。

 その、しん、と静かな戦場の反対側では、どこまでも続く黎闇の黒と、その黒を切り裂いて降り注ぐ赫赫の黄金の彗星が絶えず光る。

 互いに遠く離れた戦線。セラフィーナが距離を詰め、アーレントへ近付いた。

「──アルはこの状況、どう考えてる?」

 火炎を空へと打ち上げながら、言葉だけで問う。

 何かが起こる。そんなことは、現在壁上で戦場を見守っている班長や新人達対魔群の素人にすら分かっている。

 だからこれは何をすべきかという問いで、つまりは団長としての判断を求めたものだ。

「──……今考えている中で最悪なのは、これが冷帝国の神による攻勢だということだ」

 神は神にしか倒せない。だから神のいない現状、正法国がその攻勢に勝つことは不可能となる。

「だが恐らく、それは無い」

 障壁さえ破ってしまえば防壁も破れるのだから、それだけで民を持った神は不利を強いられる。攻めるならば一気にやるだろう。様子見などする必要はないなだ。

「だから最も可能性のある考えとしては、魔群の新種が誕生しようとしている、というものだ。以前、まだセラがいた時にも一度あったあの状況と今の状況は似ている」

 その時は、砲を担いだ体長六十センチ程度の兎が生まれた。その分娩は今回よりも緩やかな速度で、低位種の魔群蜘蛛と天秤が十万ほど湧き出た。現在のランクで中位、と位置づけられている砲の兎でさえだ。

「──それを前提に考えるなら、今回のものはもっとデカイもの──それこそ、総団長から大隊長まで駆り出さねばならないモノが出てくるはずだ。だから今はできるだけ機力の消費を抑えつつ魔群を排し、戦力が集まるのを待つ」

「了解。じゃあ私は、アルが力を温存出来るように一気にやってしまうわね」

「ああ、頼む。後方へ下がったら、子ども達のことを頼むぞ」

「ええ。もちろんよ。だって、私とあなたの子だからね」

 そう言って笑ったセラフィーナから、更なる機力が起こる。超短期瞬間戦闘の時にのみ見せる機力の圧力だ。

 足元に広がった砲門が高熱を発し、土が赤く燃える上がる。

「……綺麗だ」

 暗く鎖された世界で唯一、灼熱の赫の光線に照らされて眩く映る貌。熱に煽られた黄金の長髪を揺らし、人類の脅威を殲滅せんと真剣な面持ちで敵だけを見詰めるその姿が。

 機力で防いでいてなお、放射された熱が微かに伝わってくるほどの焔の力強い輝きが。

 愛した女の、全力が。

「『燎原ノ火』──穿ち焔・燋爛華しょうらんか

 一度に数百と放たれた焔の槍が軽快な音を立てながら天へと昇り、黒の空を赤く照らして、そのまま反転。劫火の驟雨しゅううとなって大地へと降り落ちる。

 降り注いで、魔群を巻き込みながら爆裂。爆音が更なる爆音を消していく数百の連鎖の中で、世界から色が消えた。あるいは、白だけに染った。



 壁上でその光景を見ていたルクセリアは、ただただ感嘆の息を漏らしていた。「すごい」とか「きれい」だとか、そんなちゃちな感想でさえも浮かばない。

 だが自然と、心が熱く満たされた。

 黒い天から地上へ向けて逆さまに、まるで世界に挑むように赤く弾け咲いたその、彼岸花の雄大を。誰にも出来ない事を、ただ受け入れるだけしか出来ない世界の夜に否を突きつけて明かしたその、母の偉大を。

 目にしてそのまま、瞼の裏に焼き付いた。

 本人にすら自覚のないまま、それまでの感情とは全く異なる、母親に対しての憧憬が芽生えていた。

 あんなふうに強くなりたいと。あんなふうにカッコよくなりたいと。

 それまでは漠然と抱いていた父親への尊敬はそのままに、ルクセリアの中でもう一つ、その偉大を直接目にすることで強く印象に残り、感情に結びついた目標のできた瞬間だった。


 それは続々と集まってきている黒い制服の兵団員や、セラフィーナの脱退以降に参入した隊長・大隊長、他の門を受け持つ者達も同様だった。実際にその壮絶を目にした皆が皆、現在の己の鍛錬を見直そうと決め、新しい目標としてその技を目に映していた。

 また、白紺の制服を纏っている者たちも一様に、その光景に見入っていた。

 この時この瞬間に壁上に居合わせた者達の心は、熱く憧憬に燃えた。



 赫赫が白く弾け、ズン、と重く轟いて、吹き飛ばされそうになる衝撃を絶えず放つ爆炎の雨を見て。ルカリエルも大はしゃぎだ。

「お母さんすごーい!」

 遙か天空へと舞い上がった赤き閃光が一度天の黒の中で破裂して緋色に染めて、幾筋もの朱の光線となって大地へ降り注ぐ大花火の華の咲く光景。

 ルカリエルにとっても、今日見た中でそれは一番の絶景だった。



 黄金に輝く留め金で左肩に固定された蒼天色のマントが、爆風を受けてひらりと軽やかに舞い上がる。

 その下の白と紺色の制服には紫紺のラインが一つ巻いて、左の胸には徽章がズラリと着けられている。

 ──十数年前にでも戦っていれば、負けていたのは俺の方だったかもしれんな。

 御年六十にもなって、戦場を前にしたシンカは己の心の躍動を感じた。

「ははは。こんな時に言うのも何だが、未来は明るく開けているらしい。──なあ、キリア、ゼルウィート。そうは思わんか」

 その視線の先には手放しに喜びの声を上げている少女と、目を輝かせて戦場を見ている少年の姿がある。その髪色や顔立ちには、まだ幼い二人であっても母親の影がチラリと見える。この、天変地異の如き凄絶な流星雨を繰り出した母親の。

「そうですね。あの天才性を見せられれば、期待感を抱かないことのほうが難しい」

「全くだ。──俺達も気ぃ抜いてらんねぇよな。いつの間にか次世代に負けてました、じゃカッコがつかねぇ」

 二者が獰猛に笑う。一見すれば冷静そうなキリアも、端から剥き出しのゼルウィートも、今すぐ敵と戦いたいのだという戦意の昂ぶりが丸わかりだ。どうやら、絶技に当てられたらしい。

「そうか。だが、君たちはもう少し周りのことを気にしてやった方がいいだろう。ほれ、見てみろ。恐怖で震えている者達が……が……?」

「いえ、それはシンカ総団長が武者震いに揺れているだけです。今この場はかなりの機力で溢れていますし、今更私達が多少お漏らししたところで、あまり変わりはないでしょう」

 普段ではあり得ない物言いだ。だが、その通りだろう。そもそも今壁上にいるのは、精鋭中の精鋭だけ。この程度で震えるはずもなかった。

 その中で、警団の総団長と双璧を成す存在が、疲れた様に笑っている。

「……引退を考えていたところにコレ、だからな。私もなかなかに運が悪い」

 黒の制服に蒼天のラインが一つ巻いて、右肩には金の留め金で固定された純白のマントが翻る。その胸には高らかと兵団の徽章が飾られている。

 刈り込んだ漆黒の短髪に白が混じって灰色の髪の、渋く味の濃い面持ち。歴戦の古兵。兵団の総団長を務める男だ。

「今からでも引退したらよいだろう、ジーク。ほれ、お前の後釜が今、『戦火燼滅』の横に立っているぞ。箔付けなら既に十分だろう?」

「……バカを言いやがって。俺が引退したらハナタレ息子が総団長になるんだぞ。あの野郎にはまだ早いわ」

 これがこの男──『竜殺し』ジークフリートの常だ。なんやかんやと言いながら、しかし総団長を続けている。副官も今ではやれやれ、といった具合に聞き流すに留めている。

「そうか。それは残念だ。──さて、そろそろあの流星も止みそうだ。戦場に行くとしようか」

 もう戦場に出ることも無いだろうと考えていたところで、今回の大戦場は用意された。人生とは、棺桶に入るまで何が起こるか分からんものだ。だが、これだから面白い。

 緋炎の雨が止む。交代の時間だ。

 やる気の見られなかった男に、火が点いた。機力の圧が吹き荒れる。

「──さあ、執行兵団、出撃するぞ。俺からの命令は一つ──各自、好きに暴れろ」

「ははは。俺達も行こうか、執行警団。まさかあんなものを見せられて、戦えないなんて言い出す者はおらんだろう? ──好きにやれ」

 この場には兵団・警団の総団長を始め、両団の四団長、四戦域の兵団大隊長八名ずつ、各区の警団大隊長三十六名が揃っている。その全員が、一騎当千の英雄達だ。

 ここからはもう、何が出てきても問題ない。

 数だけの魔群如きなど、敵ではない。

「「全軍出撃ィッッッッッッ!!!!!」」

 大音響の咆哮が上がった。

 目標はただ一つ。晩産を終えて出てきた新種の魔群の、討伐だ。



『『『『『おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!』』』』』

 セラフィーナの機力が残りわずかとなって攻撃が止まった瞬間、叫び声が轟いた。

 壁の方を見れば、それぞれに展開された機装が強く輝きを放っている。戦場に出て、戦力が集結するまでの遅延作戦を開始してから体感で既に三十分強。全員が集まるにしては早すぎる。が、今の状況にはありがたい。

「セラ、助かった。強者達が前線に出てくるようだから、お前は子ども達を連れて先に都市へ帰っていてくれ」

「いいえ? ちゃんと最後まで見届けるわ。吹き荒れている機力の圧力からして、総団長もいるようだし、参戦にあたっての最低ラインは、恐らく大隊長以上。大隊長に率いられてその下の者も入ってくるかもしれないけれど、人死にはほとんどないはずよ。だから心配しなくてもいいわ。……もし何か不測の事態が起こっても、あの子達だけは死なせないから。安心して戦ってちょうだい。ね、アーレント団長」


 戦場に絶対はない。大隊長でも戦死して入れ替わることはあるし、大丈夫だと確認した次の瞬間には魔群が爆発的に発生して包囲されるなんてこともある。

 不測の事態ばかりが起こる。奇跡なんてものはなく、願ってもただ踏み潰されて消えていく。抗っても逆らっても、残虐で残酷な運命は足踏み鳴らしてやってくる。死の恐怖を携え鎌首をもたげ、愉悦と嗤笑に脂下がった陋劣ろうれつの魔物はいつも唐突にやってくる。


 毎秒数百と湧き出る魔群の数の膨大を、わずか三十数名の力によって砕き伏せる異様の戦場。その戦場の野のそこここで、轟撃と共に蹴り上げられた徘徊性の黒蜘蛛の細く長い足が、粘度の高い紫の血が、抉られて分かれた頭部が、めいめいに宙を舞う。

 極寒に凍りついた土はひび割れて、漏れ出した砂塵が中空を薄く覆い隠す。

 戦場に燻る火は篝火となって夜を弾き、邪魔な魔群の残骸を喰らって更に火勢を強く燃え上がる。

 砲装を展開している者も、戦場の中は絶えず移動をし続ける。

「──霧花きりばな

 だから各自の状況判断のみによって戦局を支配していれば当然、攻撃がかち合うことも起こり得る。

「キリア! テメェ今俺の邪魔しやがったな! クソッタレが!」

「私の攻撃の前に突然出てきたのはあなたのほうでしょう。文句言わないで。というか、あなたのその、野蛮を極めたみたいな黒地の天秤ちっちゃいのの殺し方ってなんとかならないの? いくら悪趣味な模倣のものだとしても、赤い血がつくのは嫌じゃない。臓腑とかも出てくるし」

「はあ? これから本命の敵が出てくるってのに、その前に機力切れしました、じゃ意味ねぇだろうが。頭使えよ、デッカチ女」

「は? ゼルウィート、脳ミソが筋肉で詰まっているあなたに言っても意味が理解できないかもしれないけれど……あなたが脳筋すぎるだけでしょうが、筋肉ダルマ。はーっ、これだからルーンカヴェルフェの家系は嫌なのよね。研究を主にしているとか言っといて、その実は全くの正反対じゃない。血の気が多すぎて暑苦しいのよ」

「はっ! 嫌いだとか言ってるクセに、さっきはそのルーンカヴェルフェの本家の姫様に見惚れてたじゃねぇかよ。もうボケちまったのか? お前まだ三十代だろ大丈夫かよ」

 罵倒の応酬を繰り返しながら、器用にも屠る敵の選別を繰り返し、そして討伐数を重ねていく。他の仲間と衝突しないように、視線を塞いで攻撃の先を制限しないように。それはもはや、曲芸の域に達していた。

「テメェ! 今のは明らかに故意を持ってやったろ!」

「先程から少し犬畜生がやかましいわね。まったく、なんたらほどよく吠えるとは言うけれど、これは流石に吠えすぎよ」

「……なあ、お前は未だに知的なフリをしているようだが、もう中身がないってことがバレてるって、いい加減気づいたほうがいいぞ。警団の連中の間では周知の事実になってるくらいだからな。ほら、実った稲穂は頭を垂れるって言うだろ」

 お互いに吐き出し、一瞬の沈黙。

「「……覚えとけ」」


 火の吹く戦場。風の刃が切り裂き、紫雷が焦がし、閃光が駆け抜けて魔群を駆逐していく激戦区。その最中央で、機力の消費を極限まで抑えた武装の剣と刀が一筋閃く。

「シンカ。お前の部下が揉めとるようだぞ。ここは俺に任せて、部下のお守りに行ったやったらどうだ?」

「バカを言え。お前になぞ任せておったら、いつ前線が崩れることになるかも分からんわ。枢基を使う場合の実力はまだしも、剣だけの腕はどうにも頼りないでな」

「はっ! 逆にお前は、枢基があってもあまり実力が変わらんようだが、雑魚狩りだけしておった方がいいんじゃないか?」

「ははは。しばらく顔を合わせん内に、随分と老眼が進んだようだな。腕の立つ眼科医を紹介してやろうか? 初回の診察料くらいは出してやるぞ」

「舐めるなよ。俺はまだまだ現役だ」

「先程までは引退してぇしてぇと嘆いておったクセによく言う。オムツでも履き忘れたのかと勘違いするところだったぞ」

 こちらでも口喧嘩が勃発していた。その様子を見ていたジークの副官二名は、主に精神の疲労からくる頭の痛みにこめかみを押さえていた。総団長の二人は、戦闘を担う団の双璧を成しているというだけあって、何かと互いをライバル視している。だから顔を合わせる度に喧嘩が起こる。今回はそこに、戦場下限定のシンカの副官の喧嘩まで発生中だ。

 正直、勘弁してほしい。それが二人の、切実なる本音だ。

 総団長なんて務めるほどに、またその副官なんて務めるほどに実力が高い彼らであるから、最終手段である武力で制圧することも難しい。だからたちが悪いのだ。

「……なあ、アイリス。今回はお前が処理してくれねえか。俺はもう疲れた。はやく帰って寝たいよ」

「無茶言わないでよ。グラだって大変さはよく知ってるでしょ。私だけでは到底不可能よ」

 これだけの戦力が集まっていれば、もはや新種の晩産が始まるまでは茶番も同等。それは、新入の団員達からすれば目の飛び出るような光景だ。

 そもそも魔群は、単騎で倒すようなものではない。いくら低位と言っても、複数人で単体を囲んで連携するのが定石だ。にも関わらず、今戦場では魔群の圧倒的な数の暴力を、圧倒的な武力で以て制圧している。しかも、おしゃべりまでしながら、だ。もはや意味不明だった。

 その戦場に、激震が奔る。戦線が一時、完全に停止した。


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