第一章 正義の国

断章『神の会議』


 最終目標は『天理の聖杯アレーティア』の獲得。今はその為に必要となる心臓と法典を求めて、戦争の準備をしている。

 敵は、世界を混沌へと陥れた絶対悪──〈欺瞞の神〉ウストアーレ。



 神々は基本的に己の国を持ち、民の守護をこそ自己の存在意義アイデンティティとしている。それは現在円卓に着いている〈正義の神〉ペルフェリーナとて同じで、だからここに集う六座の神々は全員、会議が嫌いだ。

 付け加えるならば、瘴気に汚染され尽くして魔群が蔓延っているこんなクソッタレな世界にはもう、うんざりだ。

 各神によって求めている最終的な理想像は異なるが、少なくとも瘴気を晴らすという目的は一致している。全員、一刻でも早く平和な世を取り戻したいと願っている。

 そしてそれは、あと少しで叶うというところまで進んでいた。この会議が恐らく、鎖された世界でする最後のものになるはずだ。


 だが、事はそう上手くは運ばない。


「なあ、〈神愛の神リンフェール〉。……お前、いつになったら枢基が使えるようになるんだよ。最後の大戦以来……いや、お前が初めて力を受け継いでからずっとその調子じゃねぇか。いい加減自分が足引っ張ってるって気付けよ」

 乱暴な態度で〈花葬の神〉センネブルクが言った。赤錆色の短髪の、黒を基調にしたシンプルな衣装が似合う女性だ。

 彼女の治める国の位置は、魔群の進軍始点に最も近い正法国よりやや南西。つまりは四つの国の中で、二番目に魔群の被害が多い場所だ。

「セーネ、落ち着いてちょうだい。現状では聖杯について分かっていることもほとんど皆無なのだし、やりようのない事を責め立てても仕方ないでしょう? 彼だって、そう在りたくて現状を維持している訳でもないのだし」

 柔らかな口調で〈智慧の神〉リィーンストロメリアが窘める。若草と紺碧の混じった髪色の、白の清楚な装いの女性。

 彼女は国を持たない神の内の一座だが、替えの利かない貴重な枢基とその知恵、彼女自身の人徳によって信頼を集めている。だから彼女にやめろと仲裁されれば、基本的には全員止まる。

 しかし。

「今回ばかりはスーの言葉でも聞けねぇ。……考えても見ろよ。コイツがマトモだったなら、私らは既に戦争しかけて、もしかしたら世界だって明るくなってたかもしれねぇ。だがコイツがマトモじゃねぇから、私らが遅延喰らって結果民たちが苦しんでんだ。許せるわけもねぇだろ」

「センネ、君は少し頭を冷やした方がいい。気持ちは分からないでもないが、リィーンの言った様に、それは仕方の無いことだ。最悪、私たちでカバーすればいいだろう」

〈欺瞞の神〉は強い。それこそ過去には、状況も彼女の味方をしたとは言え、三対一で逃げ切られている。彼女を仕留める為の準備と緻密な戦略は、絶対に欠かすことが出来ない。

 しかし、だからと言って仲間内で揉めていては纏まるものも纏まらなくなってしまう。

 ここは、抑えるべきだ。

 そこで、本人が重い口を開く。

「……俺も、すまないと思っているんだ。そもそも俺があの時、星杯を逃していなければ今は、こんなことにもなってはいない。申し訳なく思っている。──だからもし、お前たちがそう望むのであれば、俺はこの心臓を差し出すつもりだ」

 覚悟の決まった真剣な顔で、リンフェールが言う。

 その言葉に、息を呑む。

「「「「なっ……!?」」」」

 四座の神が絶句した。

 何千年と生きている神は、そう簡単には驚かない。だが今言い放たれた言葉には、目を見開かずにはいられない。

 神の心臓は、それほど容易く誰かに差し出していい代物ではない。

 戦術的だとか戦略的だとか、そんなものではない。文字通り、世界をすら変える力を持ったものだ。そしてそれは、喰らうことで継承が成される。人間にとっての致命傷を負っていたのだとしても、それを一つ喰わせれば、神の生命力で以て蘇生が叶う。

 それほどまでに価値のあるものが、神の心臓だ。同時に、枢機を処理するエネルギー機関でもある。

「君は本当に、本当にそれでいいと思っているのか? その心臓は君の愛した女性から貰い継いだものだろう。そんな簡単に譲渡するなどと言っていいものではないぞ。──考え直せ」

 彼に心臓を継承した前神と、その最後の光景を知っている。彼女の献身を、全てを捧げる程の愛を知っている。

 だからその言葉を、彼が口に出すことだけは許せない。

「……なあ、ペルフェリーナ。だったら俺はどうしたらいい? ……お前たちがどれほど彼女の国共和国について知っているかは分からないが、三百年前からは遂に、革命派閥なんてものも出来ているんだ。俺は彼女とは違って、民達からも認められていないんだ。……こんなのはもう嫌なんだよ。なあ、〈正義の神〉。何が正しいのか、俺に教えてくれよ」

 今にも泣き出しそうな表情だった。軋み上がった瞳に、声が詰まる。

「っ……」

 考えてみれば、彼が何も考えていないはずはなかった。人の身で、それでも神を心から愛して、そして気付いた時にはもう、心臓の継受が成されていて。

 彼女に相応しい神になろうとしただろう。愛しの人を喪くしてなお、絶望に道を塞ぐのではなくて努力をして、今日までやってきたはずだ。

 悩み、迷い、苦しみ、嘆き、もがき、足掻あがいて、塞がっていない傷もそのままに血を流しながら見ないフリをして、どこまでも考えて。

 何も考えていなかったのはむしろ──

「……だったらよ、お前今すぐ死ねよ」

 言葉に詰まって、謝らねばと口を開きかけたのと同時。センネブルクが死ねと言う。

 彼女の民への想いは、理解している。一刻も早くこんな世界を終わらせて、壁がなくても、私達神がいなくても存在していける世界にしてやりたいと。心からそう願っているのは知っている。

 だが、だからと言って犠牲を許容するのは冷酷に過ぎる……!

「ま、まって。それはダメだ。落ち着け、二人とも。生きる死ぬの話をするのは、今じゃないはずだ。協力だ。そう、今は協力をする時だ。争ってる場合じゃない。だから落ち着け」

〈清水の神〉から泉皇国と神座かむくらを継いだセンネブルクは、前神の高潔な精神まで継受した。

 彼女にとっての正義は、自国民の幸福。

 民を想う気持ちは、ペルフェリーナにも理解は出来る。むしろ彼女も、そちらに近い。

 だがそれでも、リンフェールを犠牲にするやり方は、彼女には到底許容出来なかった。

 だから落ち着けと仲裁した。自分が落ち着いても、いないのに。

「なあ、パフィ。……お前いったい、何を目指してんだ? お遊びで戦争しようとでもしてんのか?」

 容赦のない指摘が、〈正義の神〉へと突き刺さる。

 何を目指しているのか。決まっている。世界の平和を取り戻し、人類が楽しく幸福に、何物にも理不尽な制限をされず生きられる世界だ。

 それを〝お遊び〟だなどと断じられて、黙っているなど出来るわけがない……!

「黙れッ!!! ──私はッ! 私は断じてお遊びで戦っているわけではない!!! 星杯をって! 世界の闇を晴らしたい! 皆が幸せに笑っていられる世界を創りたい! ただそれだけを願って戦っているんだ! それをお遊びだと!? ふざけるなッ! 私は本気で! 本気になって戦っているんだ!!!」

 椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、唾を飛ばしながら激しくまくし立てる。その顔は鬼気迫るもので、誰も彼女がおふざけで戦争をしようと言っている訳ではないのだと、それを見れば一瞬で理解出来るほどに。

 だがそもそも、〈花葬の神〉はお前は遊んでいるなどとは言ってはいない。ただ、お前の覚悟は如何程か、と覚悟を問うただけのこと。

 それを早とちりして怒り狂ったのは、彼女の余裕の無さか、あるいは。

〈花葬の神〉、〈流転の神〉の冷めた眼差しに映る己の姿を見て、ペルフェリーナはハッとなる。冷静ではなかったと自覚した。

 周りを見渡せば、自分だけが声を荒らげていると分かった。生きるか死ぬかの議論の渦中かちゅうにいた〈神愛の神〉でさえ、驚いた表情で見ている。

 恥ずかしさで、ペルフェリーナは赤面する。

「ぁ…………すまない。……取り乱した」

 言って、これ以上悪目立ちしないように小さく席に座り直した。

 全員が一応の落ち着きを見せたところで、〈智慧の神リィーンストロメリア〉が笑顔で言う。

「みんな、一旦休憩にしましょう。少し前に美味しいお茶の葉が栽培出来たから、みんなでお茶にしましょう。私はそれを入れてくるから、フェーナは持ってきてくれたお菓子をお願いね」

「わ、分かった」



欺瞞の神ウストアーレ〉の枢基『再成』は現状、『欺装』『消失』『空間』の三つの枢基を模倣再現が可能な状態にあると考えられ、配下の魔術師Grief of Riaperが操作した魔群による各国への、あるいは一国への大攻勢の後、その混乱に乗じて欺装し、至近距離から放つ大威力の砲撃により、近付いた神の各個撃破を狙っているものと考えられる。

 そしてまず狙われるとするなら、現在枢基が機能していない〈神愛の神リンフェール〉だろう。〈流転の神〉と〈智慧の神〉の戦闘力は神にしてはかなり低いものだが、拠点としている枢機工科学会は正法国数百キロの裏にあり、狙うには適さない。よって、その心臓を喰らって本来通りに機能するかは未知数であるが、可能性があり、かつそれに勝った場合の利益を考えれば優愛の共和国を陥落しに向かうのが一番旨い。

 魔を弾くエネルギー障壁は共和国も常に展開されているが、冷帝国を支配している以上、人間も使える。その人間に情報工作でもさせれば、内部から破壊していくことも可能だ。そして恐怖によって統治されている冷帝国の人間は、基本的にはその命令には逆らわないだろう。

 戦場は狙われた神の国の上空、またはその付近となることが予想されるから、内部を崩しやすそうな共和国は、その点でも有利に働くと言える。

 数百年も前から未だに分かっていないのは、新たに臨座したであろう神の枢基だ。ついでに言えば、現在操ることの出来る魔群の規模も未知数だ。

 現状のウストアーレに足りていないのは回復、足止め、弱体化くらいだから、もう一人の神はサポート系の枢基を持つと予想されるが、それもまだ不明だ。欺装によって神の放つエネルギーを欺瞞されれば、直接見るかエネルギー障壁に触れられるまでは本人と分からないから、それも厄介な点だ。

 ウストアーレを的確に仕留める為には意識外からの超火力攻撃の下に一撃で砕くか、あるいは気付かれるまでの一瞬で意識を刈り取るしかない。

 基本性能はあまり高くはないが、その枢基は大抵の場合では万能で、その大抵に含まれなくても利便性はかなり高い。

 自己のみの瞬間転移と超火力攻撃の手段を持つペルフェリーナであれば、上手くやれば殺せる可能性は一応、存在はするが。しかしそれは、採択の叶わない手段だ。



「──……」

 湯気の薄れたティーカップを前に、ただボーッと茶の水面を眺め続ける〈正義の神〉。その様子を見て、〈智慧の神リィーンストロメリア〉は心配になる。

 ──……大丈夫かしら。

 唾まで飛ばしていた先程の取り乱し様は、彼女らしくはなかった。

 確かに「何のために」と煽られてはいたが、それくらいは普段の〈花葬の神センネブルク〉の乱暴な口調を知っていれば流せるものであったはず。

 なにか、あるのだろうか。

 思い詰めているようにも見えるが……。ともあれ、黙っているだけでは何も始まらない。

「それじゃあそろそろ、会議の続きを始めましょう。時間は有限。準備の時間は多く取れた方がいいわ」

「そうだね。それじゃあまずは私が、開発出来た戦略機の発表からしようかな」

 お世辞にも清潔感のある、などとは言えないくたびれた白衣を纏った、薄緋うすあけ色の長い、ボサボサの髪の女性。いかにもな研究畑の赤縁メガネの。

 やや怠そうにしながらも、淡々と話す。

「今あるのは四つ。枢機を封じる双剣──《叛逆はんぎゃく利剣りけん》《恭順きょうじゅん業剣ごうけん》と、枢基の威力を超大にする杖──《豊杖旗ほうじょうき》、決戦場エネルギーフィールドを展開する球──《天苑球てんえんきゅう》、神を封じる筺──《封心筺ふうしんばこ》だ」

 枢機を封じる……? それはどういう意味かと困惑が勝った。

 他の者達も同じだったようで、小さなざわめきが立つ。

 それをまるっきり無視して続けられた〈流転の神カロンフェート〉の大まかな説明には、その場に集う他の神達は一様に驚嘆させられた。

《叛逆の利剣》と《恭順の業剣》は双璧を成し、前者は敵の枢基を無力化するもの。後者は相手の枢基を憶え、剣を用いて再現するもの。どちらも条件は、剣を相手もしくは発動された枢基へ刺すことだ。

《豊杖旗》は枢基の効果を倍にする杖。条件は単純で、枢基を杖に通すだけ。ただし壊さないように使おうと思ったら、一日一回しか使えない。

《天苑球》は被害を広げないための結界を張るもの。

《封心筺》はそのまま、神を閉じ込めて封じる筺。条件は、敵の身体の一部に触れさせること。もしくは敵の全ての情報を入力すること。

「以上が私の、ここ四百年余りの成果物だ。……尤も、これらは偶然の産物でもあるから、再現性は皆無な代物なのだけれどね。特に双剣は」

 説明を聞く毎に神達の顔色は変わっていき、ついには大きく慨嘆の息が漏れる。

 階が違うとは言え同じ塔に住んでいるリィーンストロメリアも今初めて知って、驚きに唸り声を上げた。

 細かな条件や使用制限はあるのだろうが、それにしたってどれも、破格の効果だ。

 一つ取ってしても、今までに立てた戦略を根底から覆してしまうような力を持っている。

 しかしカロンフェートは、そんな戦略機をただの道具でも渡すみたいに各神へ渡していく。

「現状で最も強いのはセンネブルクだし、《豊杖旗》は君が持ちなよ。《天苑球》はリンフェールで、《恭順の業剣》は〈閃光の神クルヴェリア〉ね。《叛逆の利剣》はペルフェリーナ、《封心筺》は私が持つね」

 これにはさすがのセンネブルクも、おずおずと慎重な様子で受け取った。

「……なあ、ほんとに貰っちまっていいのか? これヤベェモンだろ。金庫にでも置いといた方が……」

 なるほど正論だと〈智慧の神〉は思う。使えば破格の恩恵を齎す道具。上手く利用できれば戦闘はかなり有利に働くだろう。

 だが同時に、それは奪われた際の危険リスクを表す。ただでさえ厄介な敵が最強の道具で武装してしまえば、手を付けられないほどに脅威度を跳ね上げる。

「いやいや、言ってしまえばそれも道具なのだし、使わなければ開発した意味はないだろう。それに君達は、もっとも大きな道具を──『天理の聖杯アレーティア』をろうとしている。今からこの程度の道具に怖気付いていたのでは、いざとなった時に使えないよ?」

 カロンフェートは、囁くように、歌うように軽やかに言った。

 おどろおどろしい雰囲気でも、怖がらせようと不気味に言った訳でもない。ただ事実を事実として述べたまでの言葉。だが何故か、リィーンストロメリアはゾッと心胆を寒からしめるような恐怖を覚えた。

 しかし他の神達は「なるほど」と頷いているから、考えすぎだったかと気を改める。


 その瞬間、激震が奔った。ドッ、と世界全体を吹き抜けて揺らすような、大地と空気を振動させるような。過去に一度、ここにいる神達が間近で経験したことのある衝撃。


「「「「「「ッ───ッッッ!?!!?」」」」」」

 一瞬の内に戦闘態勢へ移行。蹴られた椅子が音を立てて地面に転がる。それすら気にも留めず、警戒を最大限に敷いてめ付けるように北を凝視。

 一秒、二秒。時計の秒針だけがカチカチと音を立てる沈黙の場。周りは恐ろしく静かだ。

 しかし六座の神は、星の、万物のエネルギーの塊の、天を衝いて轟轟と荒れ狂う力の奔流を感じ取っていた。とても静寂とは程遠い、激動のやかましさの。

 それは数百年前にも一度顕現した、暴力的なまでの質量の塊の、星の莫大なエネルギーそのもの。人類が求め、ここに集う彼女達が求めている願望機──星杯だ。

 壁外の極寒に生きる獣の如き鋭さで、威嚇の声を上げるように〈花葬の神センネブルク〉が唸る。

「──なぁ、なんで今、星杯がここに出てきてんだよ」

 それはここにいる全員の気持ちの代弁。しかし彼女の言葉は、〈正義の神〉への詰問だ。

「……なあおい、ペルフェリーナ。お前の国だぞ。黙ってんじゃねぇよ」

 彼女たちの現在地は枢機工科学会の研究棟。その位置関係は、正法国の真南だ。

 今にも激情に暴れだしそうな危険さを孕んだ、いつになく攻撃的な感情の暴露。

 対するは当惑の声。幽鬼と見紛う血の抜けた真っ青な顔で、フラフラと覚束無い様子。呼吸も乱れ、困惑に支配されているのが誰にでも分かる。

「……すまないが、私にも何が起こっているのか分からない。一度帰還し、確かめる」

 困惑を呑み込んで落ち着けるように長く息を吐く。

 だが。

「──どんな計画かはしらねぇが、いかせるとでも思ってんのか? ナメられたモンだなァ、ええ!?」

 すぐにも戦闘に移行しそうな一触即発の張り詰めた空気がピンと満たす。

「今は争っている場合では無いだろう! これ以上ない一大事だ! ただの会議ではもう済まないんだよ!!!」

「だから説明責任を果たせと言ってんだよ!!! テメェの国で! 有り得もしねぇ星杯が実際に顕現してんだ! 何も知らないで済ませられる話じゃねぇんだよ!!!」

 長年求め続けた星杯が今、神々の預かり知らぬ場所で顕現している。それにより、神達は今、冷静さを欠いている。結果、それを巡って対立構造が発生している。

 しかしそれは、事態の究明がなされる前に起こってはならない。頭を抱えたくなる気持ちをどうにか抑えて、リィーンストロメリアは錯綜した状況をなんとかしようと静止の声を上げる。

「二人とも。それから、他の三人も。──落ち着いて頂戴。今は争うことが許容される場面ではないし、時間もないわ。早急に事態を解き明かすべきなのよ」

「だがなスー! こいつは何かを知ってるはずなんだ! じゃなけりゃ正法国で星杯が出てくるなんて事態にはならねえだろ! あれはそんなチャチなモンじゃあ断じてねぇ!」

「分かってるわ。だけれど、星杯が顕現した以上、私達に争っている余裕はないの。時間的にも、心理的にもね。──だから、私が枢基を使うわ」

 今度こそ全員が瞠目する。

 しかし彼女、〈智慧の神リィーンストロメリア〉の枢基を知っている者であれば、全員が驚愕するのも無理はない。それは特級的に秘されている情報で、絶対に模倣などさせてはならない戦略枢基。

 それは、未来の知覚。神すら認める最強の能力だ。

 彼女の枢基は、現在状況からの因果と相関に従った不確定な未来を、枢機を介することで包括的に覆い視ることが出来るのである。

 ただし、代償はもちろんある。様々な状況や原因によって期間は変動するが、最低でも五年は行動がとれなくなる。長ければ五十年から百年間ずっと、休眠状態のままだ。

流転の神カロンフェート〉、お願いしてもいいかしら」

「ああ、もちろん構わないとも。しかしね、〈智慧の神リィーンストロメリア〉。可能な限りで早く目覚めておくれよ? 君は枢基を除いても、その頭脳だけで価値ある人材なのだからね」

「ふふ、嬉しいことを言ってくれるのね。ありがとう、カフィ。心配しなくても大丈夫よ、今回はそれほど多く視るわけではないのだし、すぐに戻ってこられるわ。……だいたい、八年から十年くらいかしらね」

「そうか。それは朗報だね。それでは私は、君のいない十年で別の分野の基礎研究でも進めてみることにするよ。──それじゃあお休み、〈智慧の神リィーンストロメリア〉。いい夢を」

 まるで春先ののどかな公園での一幕のように、和やかに会話は進み。リィーンストロメリアが祈るように、手のひらを重ね合わせた。

 場が、二人の放つ枢基のエネルギーで満ちた。



 未来を視るというのは、何度体験しても不思議なものだと〈智慧の神〉──リィーネは思う。なにもない中空を水に見立てて浮いている感覚で、夢幻のような、幻想のような世界の中で漂流し、遊覧する。

 ここよりも遙か遠く。もっと高いところへと昇って行く情報の塊。泡沫ほうまつのようなそれに触れれば、弾けて刹那、知らないこと、知らないはずのことが、まるで既知の情報かのように知っている状態に変わる。

「──また、ここにきたのね」

 ゆっくりと浮遊しながら、彼女はその世界に目を向ける。

 どこまでも青く百合水仙の咲く日向の野のそこここに、昇る泡沫と収められてそこにある書架の知識と叡智の結集が、知識の殿堂を構成してずらりと並ぶ。智慧と、未来と、無限に続く果てのない世界。

 生きているものなど、どこにもいない。どこまでも、はるか遠くまで、あるのは過去の集積と、起こるかも分からない未来の記録ばかり。

 酷く静かだった。永遠に夜の訪れない暖かな花畑で、陽光の差す穏やかな気候。青く澄み渡る空に泡が昇って、それがパチンと小さく弾けてはまた新たな泡が立ち昇る。

 ただ自分一人だけの、静寂の。

「……探さなきゃ」

 無限にも近い数の未来の破片から、欲しいものを選ぶ。大変そうに思えるその作業も、考えながら歩いていれば泡沫の方から寄ってくる。

 あとはそれに触れて、未来を視てから帰るだけ。遅くなればなるほど、寝ている時間は長くなる。

「これね。──ふぅ。……よし!」

 意を決して彼女は、柔らかな手を泡沫に触れた。瞬間、記憶が流れ込む。



 ────可愛らしい顔の、薄青の銀髪の、巻き毛の少女──露草つゆくさ色の一枚服飾フリルドレス──────し:*%──天──ろ*%#d@──二つの星杯────死の大戦──────赤く燃える終末の世界に立ち尽くす黒髪の青年──────二人────滅んだ世界の中──〈正義の神ペルフェリーナ〉と〈花葬の神センネブルク〉が全力で────天@・%sは────降臨──────………………



「──ぁっ、はぁっ、はぁ、はぁ…………なに、あれ……」

 僅か十秒にも満たない時間で、リィーネは様々な光景を視た。巨大な穴が穿たれて貫通し、重力に呑み込まれて破滅していく世界。赤く燃え盛る大陸を舞台に、双子のように顔の似た白と黒の髪の少年と青年が戦っている世界。神が殺され、喰われて終末を迎えた世界。ウストアーレの暗躍の果てに滅んだ正報告の惨劇。六座の神すら争い始める死の大戦。

 果てもない知識の群塊だった。纏まりも時系列も、恐らくはぐちゃぐちゃの。

 それは彼女にとって初めての経験だった。

 いつもは整合性も担保された状態で、一つの未来の可能性として提供される知識。それが今回は、ノイズが酷くて読み取れない場所があったり、時間軸が行ったり来たりで定まらない。登場人物の名前も、知っている者以外は全く読み取れない。唯一、八座の最後の、冷帝国に属する敵対の神の存在だけは知れたくらい。

 今後の可能性は、ウストアーレの暗躍で正法国と焔の都が順番に、、、に滅ぶということくらいしか、彼女には読み解けなかった。確定情報は恐らくは、星杯と天の同時出現。

 たったそれだけで、リィーネは酷く憔悴しょうすいした。それでも力を振り絞り、今見た情報を伝えようと起き上がる。

「いか……なくちゃ……!」



 今は休眠へ入って欠けた〈智慧の神リィーンストロメリア〉から未来の情報を聞かされて、残った五座の神は静かに語る。

「……言っておくが、私には星杯を顕現させるだけのエネルギーは持ってないし、星杯ももちろん持ってはいない」

 星杯は純粋な万物のエネルギーの塊だ。遍く記録された事象を再現する、星の核である枢機から生み出された器。

 再度顕現させるには、星に干渉し、願いの方向性を与えるだけの莫大なエネルギーが必要になる。それは六座の神の力ですら、足りないほどの。

「わーってる。……余計今の状況は分からなくなったが、まあ、お前が裏切ってないってことは分かった。問題は〈欺瞞の神ウストアーレ〉の野郎と、冷帝国のもう一座ってとこだな」

〈智慧の神〉は断言した。〈欺瞞の神〉の暗躍によって戦火に包まれ黒煙ばかりを上げる両国は、神が独り、国だった場所の中心で嘆いたまま滅んでいくと。

 だからそれまでは黙っていた〈閃光の神クルヴェリア〉も、口を開かずにはいられない。

「俺は国が滅ぶのは嫌だ。死ぬのも嫌だ。……だから、俺はペルフェリーナに協力する。センネブルクの国も間にあるんだ。だから協力してほしい」

「……分かってる。どんな状況かは皆目見当もつかねぇが、左右の国が同時に、、、滅んで行ったんじゃ孤立状態だ。流石の私も、無限に湧き出す魔の郡勢相手にそれは困るからな。少なくとも対ウストアーレに関しては、互いに協力していこう」

 三人の武器は、ペルフェリーナの《叛逆の利剣》、センネブルクの《豊杖旗》、クルヴェリアの《恭順の業剣》だ。

 力を合わせれば、決して勝てない相手ではない。後は〈欺瞞の神ウストアーレ〉を出し抜くための戦略を整えるだけ。

「どんな風に戦局が推移するのか分からない。確実に対応出来るよう、連絡は密に取り合うことにしよう。それと、暫くは国から出ないようにも」

「ああ、私はそれで問題ない」

「俺も異論なしだ。〈欺瞞の神〉さえ倒せれば、後は簡単だからな。協力していこう」

 神々の会議は、それからしばらくして幕を閉じた。

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