間章 『星の夜に輝く闇逆の光』
夢を見た。
周りの人達が泣き喚いていて、神様と崇められる偉いおひとが膝を着いて腕を投げ出しているところ。
黒いモヤモヤがごごっと吹いて、おそとが寒くなってきた。
ママが先頭に立って、みんなを励ましている。
『奇跡──魔法────……!』
それが何かは分からない。けれどそれで、神様達は立ち上がった。殴られて起き上がっていた人も居たけど、みんなの顔がキリリッとなった。
周りの人たちが、ママを、神様たちを応援している。私も負けずに応援している。
がんばれ! がんばれ! 旗が作られて、精一杯に振るっている。
黒いモヤモヤに立ち向かう八人の神様たち。すごい! すごい! 浮かれて私は、喜んでいた。
雨が降った。それは破壊の槍で、断罪だった。
神様が沢山死んだ。
お前のせいだ。お前のお前のおまおまおまえおまお──────……
────
──
─
醜い豚畜生ども。
黒深紅のドレスの着心地は、最悪の気分だった。
一切の黒に鎖された堕ちた天の
南からは、人間たちが放って絶えない爆轟と、天に浮かぶ鯨の咆哮が響いて聞こえる。死をも超える激闘だ。彼らがそれぞれに、未来を掴む為の。
赤色に、黄色に、青色に、紫色に。夜空に咲く花のように十色に光り、ついで轟音に変わっていく。この瞬間にも、何十何百という生命が失われているのだろう。
しかし枝木に腰掛けた二人は、それをなにかの芸でも眺めるような気軽さで見ている。寒くもないのに肩を寄せて。静寂の場で、少女はケラケラと笑いながらそれを観る。
「わー、また強そうな人が死んじゃったね! もったいないなぁ……?」
本心から勿体ないと思っている声で少女が言う。しかしそれは、死んだ人間についての哀れみの声ではない。むしろその逆で、人間の生死については無関心だ。
少女は樹木から足を投げ出し、落ち着きなくぷらぷらと揺らしている。
「お、あれってアールンと会ってきた人たちだよね。近くで見た感じはあんまし強そうじゃなかったけど、実際に戦ってるみるとそこそこやれるんだね! これは新しい発見だ」
森から戦地──正義の国の第一防壁前までは、距離にして約百キロある。それを何気もなしに、当たり前のように見ていることから、二人の実力は窺い知れる。
彼らの周りには、目元までが隠れるフードの付いたマントを着用した者が三十名控えている。その樹木の下には、おびただしい数の兎、蛟龍、蝶、蜂、蟻の群が、新たな命令を待って待機している。三十名の
その彼らは、主人である少女の命令があるまでは決して動かない。
これが少女──〈欺瞞の神〉ウストアーレの力の一端だ。神と呼ばれるに相応しい圧倒的なまでの
しかしそんな彼女でも、現在隣に座っている者には敵わない。
どこから現れたのかも分からない、一応の協力関係者。
少女──ウストアーレが黙り、場には再びの静寂が降りる。ふくれっ面で、ウストアーレが文句を垂れる。
「むむぅ。ノーくんも何か喋ってよ。さっきからボクばっかりが喋っていて、正直あまり面白くないんだ」
言われて、ウストアーレの横に腰掛けていた白髪の少年がいやいや口を開く。
「……僕は喋ってほしいとは言ってないけど」
素っ気なく言って、さすがに悪いと思ったのか、一言付け加えた。
「……まあ、時間とか諸々考えて、母さんが今日戦場に現れるってことは無いだろうから──なにか喋りたいと言うのであれば少しくらいは付き合うよ」
その言葉に立ち上がり、少女は目を輝かせて喜んだ。やったー! やったー! と、大げさなほどに。
「じゃあ、君の趣味とか教えてよ。好きな食べ物でもいいよ? あ、ボクの趣味は実験で、好きな食べ物はブドウのワインと帝国の海産物さ! 絶品だよ? 君もきっと気にいるよ?」
遥か先の戦場で、三匹の鯨の内、一匹が墜ちた。
腕と手をバタバタと忙しなく動かしながら、少女はなおも言葉を続ける。
それを聞かされながら、少年は思う。僕はまだ、口すら開いていないぞ、と。
巻き毛を揺らし、ドレスの裾を翻し。話題は帝国の自慢から最近の流行りのスイーツ、腕の良い服飾屋の店主の話など、関係も関連も無いものが二転三転いったりきたり。
流石に面倒になってきて、少年は言葉を途中で切った。
「喋りたいだけなら他の連中とやってくれ。君の周りには三十人もいるだろう」
ピリ、と空気が張った。ウストアーレが目を細め、少年を見下ろす。
見下された先、少年は煩わしげに溜息をついた。
「……君の言ではないけど、そういうのは勘弁してほしい。侮蔑の視線だとかなんだとかにはもう、見飽きているんだ。張り合いも特には無いし、退屈なだけだ。聞きたいことがあるなら、警戒して遠回りなんてしてないで直接聞くといい。答えても問題のないことなら答える」
爆轟と衝撃だけが吹いてくる静寂の中、重い空気が漂った。
未だ立ったまま樹木に座ろうとしないウストアーレは、やがて頭を振ってその場に座った。途端、尖るように雰囲気が鋭くなる。
「……そう。それじゃあ──君はなんだ? なぜ君は星杯を持っている?」
数万年と生きいるウストアーレでも、眼の前の存在は見たことがなかった。神よりもなお強い力を持てる者など、この世には二つしか存在を許されていない。そしてそれは、出現すれば必ず分かる。にも関わらず、ウストアーレはそれを知らなかった。
そして、星杯だ。
これはもっとありえない。神が複数以上集まらなければ顕現させられないはずの星杯が、なぜか約二ヶ月前、なんの脈絡もなく唐突に出現した。そしてそれは、既に星杯主がいた。
意味がわからなかった。
加えてそれは、他の神々に出し抜かれたと怒り狂っていたウストアーレの下へ、散歩でもするかのように現れた。そして悪魔のような声色で、嗤いながら提案した。
たった一言、僕に従えと。
だからウストアーレは反発した。──あっさり敗けた。ゴミのように嬲られて、地面に転がされた。彼女の心に、新たな恐怖心が湧いて出た。
「まず、僕は僕。この世界で九つめの神であり、現在の星杯主。……星杯を持っている理由は少々特殊なんだけど、強いて言うなら──創った」
──……は?
精鋭中の精鋭である三十人の
ウストアーレは
心の
星杯は、星の現象そのものの祖である枢機へ莫大なエネルギーを以てそのようにせよと命令を下し、顕現させるものだ。それは長年の研究で判明し、おそらくは六座の神でさえ知っている事実。断じて作り出せるような代物ではない。
──だが。いや……ありえない。
そんな事ができる存在にも、ウストアーレには心当たりがあった。だがやはり、それはありえない。有り得てはならない。
それは神の、龍の格すらをも凌ぐ存在。超常などではない。奇跡や魔法でも無い限り、絶対に勝てない存在だ。
実在したのは、遥か太古。悠久の大戦の時代。彼女がまだ、幼かった時のこと。
ソレは大陸を、この世界を全て鎖した。天を封鎖し黒く染め上げて、万物の地を永遠の絶望に閉じ込めた。
その時、どこかの愚かな神が言ったらしい。軌跡も魔法もあるのだと。そんなもの無いと知りながら、それでも萎縮しきった
しかし滅んでなおその影響は残り続け、今でも残滓は満ちている。
そんな、正真正銘の化け物。それが、神の上の格。世界の支配者。それが、
「……だ、だけど、君は人型だ。ボクはアレを、この目で見たことがあるんだ。その証拠がこの、深淵色に鎖された眼だ。……アレは、もっとこわかった。だから君は、理じゃない」
見たのは、万よりももっと前のこと。それでも色濃く、彼女の脳内に残り続ける怪物の姿。
それを思い出して、ウストアーレは身を震わせた。
対して少年は、笑う。何がおかしいのか、底冷えのするような笑みを浮かべて、愉しげに、唄うように。それから、
「ああ、化け物、ね。──そうだな、確かにそうだ。ははは。僕は化け物か──いいや。僕は人間だ。父さんと母さんと、姉さんと幸せになるために産まれてきた。その邪魔をする奴がいる。駆逐しなきゃいけないカスどもが跋扈している。すぐに潰れるウジ虫の分際で、いつもいつも僕の邪魔を……!」
それは剥き出しになった思惟の塊だった。聞いた者の身を震わせるような、絶叫ともよべるもの。何ら装飾のない、一切の
それは憎悪だった。聞いた者に死の幻覚を見させるような、慟哭のようなもの。死んでなお正義を説く殉教者のような、狂気に満ちた怒りの声。
その矛先は、何に向いているのか。堕ちた天か、戦争への悲惨か、残酷な世界そのものか。あるいは、己か。
ウストアーレには、少年自身に。されどここにはいない、どこか遠くの、過去の自分に怒っているようにも聞こえた。
どうしようもなく、それは止められず。
静寂の降りた森が、その圧力に耐え兼ねて軋みを上げるようだった。恐怖を感じないはずの魔群が騒めく。空間が揺らぎ、
彼女も
ふと、少年が頭を振った。
「……いいや、すまない。少し取り乱した」
ついで、困ったように柔らかな笑みを浮かべて見せる。
その、豹変とも言える感情の静止に、少年の前でウストアーレは思った。
──こいつは喰える。
未だ震える肉体とは別に、心頭は余裕を取り戻して冷徹に物を考える。先の展望を、己の願いを最上最大に反映した世界の実現を。その未来を、脳裏に描く。
まずは思考と、枢基を
「あっはは! 怖いなぁ、キミは! ボクは心臓が強くないんだ。だからあまり驚かさないでくれ」
嗤った。隠した表情の下で、月が裂けて割れるように。闇の中に浮かぶ真紅の三日月が、ゆっくりと弧を描くように。
欺瞞は得意だ。謀略は大好きだ。
「ふふ。キミとは仲良く出来そうだ」
「そうだね。僕達の願いは
少年が、確信した口調で言い切った。まるで、〈欺瞞の神〉の全てを知っているかのような口ぶり。
ウストアーレは飄々と笑う。
「あっはは! 何を言っているのか分からないよ。前にも言ったように、ボクはこの世界の破滅を願ってる。望みはそれだけなんだ。キミとは違って、ボクは家族を求めていない」
眼の前の白い悪魔は底が知れない。枢基も何も分かっていない。だが、その精神性はまだまだ子どもの域を出ていない。
警戒は必要だ。だけれど、警戒し過ぎる必要も無い。転がすことは、欺瞞を、謀略を得意とする自分には容易い。
慎重に事を運べば、必ず──
少年が、唄う。嘲笑うかのように、謡う。
「偉大なる神よ。蛮勇なりし神よ。嗚呼、なんと高らかなるか。なんと
明らかに誰かを暗喩したもの。挑発でもするかのように、嗤って聞かせて。
けれどウストアーレは、さも知らないと言った様子で小首を傾げる。誰が見ても、何も知らないのだなと感じる仕草で。
「──それはなんだい?」
少年が肩を竦めて言う。
「ああ、これは僕の一番好きな歌だよ。母を愛した少女が、死の間際に美しく泣きながら歌ったものなんだ。目的を達せられなかった後悔に、唇を強く震わせながらね」
そう言った少年は、追想に。何かを思い出すみたいに、僅かに天を仰いだ。
火の注がれて燃える国。元より黒い大気は、満天の黒煙によって更なる黒へ堕ちて。
なんやかんやと情を持っていた国民は半数以上が火に焼かれ、残りの半数もわずかの間に死ぬことが決まっている滅亡の国家。
策謀は得意だと驕り、結果自らの策略を転用されて、自分の積み上げた全てを壊されて死んでゆくだけの少女。
悔し涙に
ふっ、と少年が冷酷に笑う。色が抜けて青く濁った瞳に、ウストアーレが映った。一つ跳ねた薄青の銀の毛の束が、ぴょんと揺れる。
今自分は、にこやかに笑っているらしい。
「ふふ。キミも趣味が悪いんだ? 小さな女の子が泣いているのに、それを笑うなんて」
「あはは。それを君に言われては敵わないな。ほら、君は望みのためにどれだけの屍を転がしたかも覚えていないだろう?」
視線が交差する。瞳は何よりも雄弁に語る。隠していない表情には、和やかに冷酷が浮かんでいる。
下民をいくら下踏みに潰そうと、自分には関係ないと思っている
「望みのためには犠牲も必要だからね。尊い犠牲と言うやつさ、仕方ないよね」
「ウストアーレ、君は人間のことを尊い、などとは思っていないだろう」
「あれ? バレちゃった?」
ウストアーレは、隠すこともなく洒々落々と言った。目の前の相手もこっち側だろうし、といった軽い調子で。
遠い死の戦場で、二体目の鯨が落ちた。
──途切れた。
「ふあぁぁぁ……。ボクはもう、流石に眠いや」
薄明。黎闇の黒に、ほのかに明るく朱の光芒が混じり始めた暁黎の刻。暗い紫が排される時間。遥か先の戦場では、数がだいぶ減って攻撃も緩慢になっている人間たちの姿。鯨はまだ、高度を下げつつも中空を遊覧している。
ウストアーレは、戦況はもうどうでもいいと言わんばかりの態度であくびをしている。小さな手では塞ぎきれないほどの大きさで、口がいっぱいに開く。目尻には涙が浮かび、瞼は殆どが閉じている。
……存外に防御が硬い。
瞼の閉じかかった身体の下、ウストアーレは明瞭に回る思考で舌を打つ。
夜通し続けた会話では、手がかりになりそうな欠片ですら聞き出すことは出来なかった。枢基は戦闘における生命線とも言える武器であるから、そもそも、推定敵である者からその内容を聞き出すのは不可能に近い難易度ではあるのだが。
それはそれとして、こうまで上手くいかないのは彼女にとっては始めてだった。
「……寝たら?」
ウストアーレの気持ちも知らず、若干の呆れが混じった声で言う少年。
その余裕が気に入らなかった。お前は僕の相手にはならないんだよ、と優しく諭されているような。とことんまで見下されているような。そんな、不快ばかりの。
いい加減諦めて、回り道をするのはやめようかとウストアーレが考え始めた頃。
「君はさ、僕の枢基が知りたいんだろ?」
ふと、見透かしたように少年が言った。
〈欺瞞の神〉は、人を欺くのが得意だ。常に武器となる情報を求め、間諜を放ち、情勢を見定めて行動する。対面で相見えれば、その者の言葉、表情、行動、心理、事情。あらゆる情報を察知する事ができる。言葉で錯覚させ、手のひらで操ることもしてきた。
そんな彼女が全く情報を掴めないどころか、目の前の悪魔にいいように踊らされている。
柔らかな桜色の唇を噛んで、再びの敗けを宣言する気持ちでポツリと漏らす。
「……ああ。知りたいよ。君はボクより強いのだし、せめて枢基だけでも知っておかないとやっていられないんだ」
「なんてことはないよ。僕の枢基は君と同じモノだ」
悪魔が言い切った。
ウストアーレは、目の前の少年と出会ってからは枢基を見せていない。もちろん、こういうものだと語ったこともない。
なぜ知っているのか。それとも、理へと至れり者ならば、情報など自由自在に覗き見ることが出来るとでも言うつもりか。
そんなデタラメ過ぎる能力を、理は持つというのか。いや。そんなのを持っているなら、そもそも自分とは関わる必要はないはずだ。
だから。
「ボクと同じだって? そもそもキミ、ボクの枢基を知らないじゃないか」
悪魔は、どこまでなら知っている。
「うーん、僕の出は少々特殊でね。キミのことなら大体は知ってるよ。例えば、存外に臆病なところがあるとか、星杯に願いたい望みは可愛らしいもの、だとか。後は、臆病なクセに負けず嫌いな気が強い、とかね」
性格の話も願いの話も、当てずっぽうで適当を言えばいいとでも思っているのだろうか。
ウストアーレには、全く身に覚えがない。というかそれは、他の誰かについて喋ってでもいるのか。
……可愛らしい望み? 人類の滅亡を願うことが……?
コイツ頭大丈夫か?
己よりも格上で、かつ敵になる可能性が濃厚な相手ではあるが、流石に少し心配になった。腕のいい精神科医などは知らないが、無理なら無理で、脳ミソでも開いて中身を確かめてやろうか……?
そんなことを思いながら、ウストアーレは胡散臭いものでも見るかのような疑いの目──呆れが大半を占める目で悪魔を見る。
向けられた冷たい目を見て、少年は何かに納得したように頷いた。全て、己の中だけでのことだ。だからウストアーレには、その姿がまるでポンコツのマヌケ隠しにしか見えていない。
「ん? ……あー、そうか。君はあれだ、まだ人類を滅ぼすのが自分の願いって思ってる時の闇堕ちアーレちゃんだ」
なんだそれは。
馬鹿みたいなポンばかり聞かされて、ウストアーレはもはやツッコミを入れることすら億劫になりつつあった。
それでも、彼女は思う。
人類の滅亡を真に願っていないとうのであれば、そもそもどうして、今、ボクは人間を虐めているのだ、と。邪魔な神を、ここまで必死になって排除しようと動いているのだ、と。
目の前の少年の話は、ハッキリ言って杜撰だ。彼女の目的の一端も捉えられてはいないどころか、まるで真逆を突き抜けている。
……コイツやっぱりダメだ、ともう一度思った。
「あー、そんな蔑んでます、みたいな目で見ないでよ。僕は別に、適当言ってる訳じゃ無いから」
ふざけた口調。いい加減で適当で、めちゃくちゃだ。
「ボクの願いは昔から何も変わっていないよ。神を殺す。人類は滅ぼす。それでパーフェクトゲームさ」
そう。何も変わってはいない。あの日から、運命の日からずっと、それだけを願ってきたのだから。
──この鼓動が止まるまでは、人類の駆逐作戦を止める気はない。
「んー、星杯を願っている理由は?」
期待外れだった。敵を強大なものとして過信しすぎた。言ったことすら理解出来ていないとは。
今までは利用価値ありとして指示にも従っていたが、もうコレに用は無いと見切りを付けた。
凍った枝木に手を着いて、ゆっくりと立ち上がる。見下ろした先、濁った青色と視線が交錯する。
まるきり無視し、
再度同じ質問が繰り返された。
「ねえ、ウストアーレ。君が星杯を望み理由はなんだい?」
溜息が漏れる。
バカが。
「さっきから言ってるだろう? ボクは全ての神を殺す。それで人類を滅ぼすんだ。……一度言ったことも理解出来ていないなんてね。正直、キミのことは買いかぶり過ぎていたと今では反省しているくらいだよ」
悪魔が、嗤う。獰猛に。愉悦に満ちて。狙った獲物が、上手く罠にハマったと喜ぶような。知略謀略で、相手を転がしてやったと悦ぶような。
それが今は、ただただ不快だった。敗けていないのに、お前の敗けだと指さして笑われたみたいな。負けたのを認めなければいつまでも負けないなどと、幼稚すぎる暴論を振りかざされたみたいな。それが、とにかく不快だった。
──お前はもう敗けたんだろうが。
イライラしたまま、それを隠そうともせずに白髪の少年を睨み付ける。知らず、機力が吹き荒れた。
その、冷めた眼差し。心底から軽蔑を顕にする断絶の隔意の。
受けて少年は、けれど嗤う。
「はは。だったらなぜ、君は星杯を求める」
またそれか。しつこいな。
ウストアーレの気分はいい加減に最悪だ。何度繰り返す気だと。
内圧を下げるように一つ大きく息を吐いて、もうこれきりにしようと背を向けた。話しても時間の無駄だと諦めて。
けれど、悪魔はその背を逃がさない。
「まあ待ちなよ。君の矛盾を突いていたつもりなんだけど、分からないなら〝君の敗け〟ね。ふふ、僕の勝ち」
思わず振り返った。
「お前──」
その先で、いやらしく勝ち誇ったニタニタ笑いのクソガキ。ご丁寧にダブルピースまでキメて、ぺろぺろと舌を揺らしている。
激昂しそうになって、直前で止める。いくら永劫の時を生きられる
「……じゃあね。もうお前に構ってやる必要は、もうボクにはないんだ」
声を聞かずに済むように、樹木から飛び降りる。
降り立ったその背中に、声が届く。
「君の〝人類を滅ぼすって願い〟は、神を殺した時点で叶うんじゃないかな? 現状で邪魔なのって、神とその障壁だけでしょう? それこそ、魔の郡勢を使えばイッパツで国ごと均せるよね」
「ッ……!」
ウストアーレは、その指摘に目を見開いた。彼女自身、その矛盾には今の今まで全く気が付いていなかった。六座もの神を殺して人類も絶やすのだから、星杯は欲しい。あれば楽に殺せるぞ、と。深くは考えずに思っていた。
だが、よくよく考えてみれば順序が逆だ。
神を殺したから、そのエネルギーを行使できるようになって星杯を顕現させられる。そして人類を滅ぼすのに、星杯の力までは必要としない。
つまりは、星杯の力を使って神を殺すことは出来ない。
いや、でも。星杯は必要なものだ。
……じゃあいったい、なぜ?
分からない。だが、必要だ。
──……なんで? どうして必要なの?
ウストアーレの中で、同じ疑問が永遠に廻る。普通に考えるならば、彼女に星杯は必要ない。神を殺し絶やした時点で、人類の存続は彼女の手のひらの上に乗る。
頭では理解していた。しかし彼女は、どうしても星杯が必要だと感じている。なぜなのかも、その必要性さえも分からないままに。
途端に、ウストアーレの気配が行先に迷った子どものように弱々しくなった。
救いを求めて縋るような、泣きそうな表情で樹上の少年を仰ぐ。
対して少年は、包み込むような優しさで、笑顔を浮かべた。もう大丈夫だよ、心配しないでね。そんな、心地のいい安心感すら抱かせる笑み。
「〝ウィア〟、こっちへおいで。僕と話そう。僕が、君の本当の望みを教えてあげるよ」
──ダメだ。乗ってはいけない。
冷静な頭が、必死の形相で警鐘を打ち鳴らす。
──乗るなウィア!!! 戻れ!!!
幾千幾万の戦場を超えて
しかし。分離するように、肉体は動く。
微睡むような心地良さで。痺れるような甘美で。元から遊離していたのだと言わんばかりの自然さで、頭脳が途切れる。
「……うん!」
──間に合った。
全てが凍てついた絶死の、静寂の森の表層。凍った木の枝に腰掛けた少年──ノクステラは、上機嫌で白髪を揺らしていた。その横には、るんるんと機嫌の良さげな〈欺瞞の神〉が、少年の腕を取って侍っている。さながら、美少年美少女のカップルのように。
少年は、鯨戦が終わって後処理に入った戦場を見守りながら笑みを浮かべる。母はまだ現れていない。
全てが上手く運んだという訳でもないが、概ねは順調。そして、絶対かつ必須で押さえなければならない局面は終了。作戦勝ちだ。
隣の女へ視線を向けて、将来へ向かっての戦局の推移を元にした、取るべき行動について伝える。
「ウィア、これから僕たちは〈智慧の神〉を殺しに行く。恐らく今は
言い含めるように伝えれば、ウストアーレは花咲くような笑顔で頷いた。
「うん! 他の神は、ボクの幸せを邪魔したんだもんね。死んで当然だよ。ボクもがんばるね!」
「ああ。一緒に頑張ろうな」
そう言って頭を撫でてやれば、ウストアーレは目を細めて喜んだ。ただでさえ肩に頭が乗っている状態であるのに、より距離が近付いたような気さえする。
そんなウストアーレの様子を見て、ノクステラは笑みを深める。
彼女は、
現在のノクステラは、特殊な状態故に理であって理ではない。そして、枢機への接続権──つまりは、枢基を用いる為のエネルギーを補給する先がない。もちろん、枢機から抽出する機力すら使えない。だから、星杯を持っていながらエネルギーを満たせず、よって星杯を行使することができない。そんな状態だ。
そこで使えるのが、ウストアーレだ。
彼女は仮にも神であるから、一度顕現した星杯であれば、その中にエネルギーを吹き込む事が出来る。そのエネルギー総量はいくらかが減衰するとはいえ、ノクステラが通常的に使用する分には足りる。
単純化して述べるなら、ウストアーレの役割はエネルギーの仲介役だ。
枢機へ接続出来ないノクステラの代わりに、枢機へと接続し、枢機から切り離した〝彼女の〟エネルギーを星杯に込める。それをノクステラが取り出し、己のエネルギーとする。そんな構図が現状だ。
枢機へ接続できなくなったのは、ウストアーレと無駄話をしている途中。天が黎闇へと落ちる少し前の、世界に紫の光線が混じり出した夕黎の刻。
正直、もうダメかとも思った。しかし上手くいった。
「あの、ね、のーくん。その、……ボ、ボクのあたま、を……、その……、もっと、撫でて……ほしい、な……?」
機嫌を窺うように、チラチラと視線を送るウストアーレ。若干不安そうな表情で、言うのが恥ずかしいのか、今にも消え入りそうな声。
その様子を見て、ノクステラは成功の確信にますます笑みを深めた。
「ああ、もちろんいいよ。僕の手でいいなら、いつでも撫でよう」
「うん! すごく嬉しいよ!」
ウストアーレは臆病だ。ノクステラ自身、彼女の過去についてはそこまで深く知っている訳ではないが、人間たちに与えられた恐怖心がトラウマとなって、常に心を支配しているのは知っていた。
そして欺瞞の神を称し、実際に偽装工作や謀略などで成功を収めてきたことから、頭の方も無駄にいい。神という性質上から敗北の経験は極めて少なく、打たれ弱いのもポイントだ。
漬け込む隙は、十分にあった。一度防御を潜り抜ければ、拍子抜けするほどあっさりと、一撃の下に堕ちた。
ウストアーレを手に入れることで、オマケのように付いてきたのは夢のような戦闘力だ。恐怖心もなく、命令には常に忠実。そして数は実質無限の、魔の郡勢。
これで戦争は、かなり有利に進められる。むしろ、この時点から勝ったと言っても過言では無いほどだ。
ノクステラは、笑いが止まらなかった。ここまで上手く行くのかと。世界が僕の肩を持っているのだと。
ただ、ゴミ虫のように脆弱な、ある種の爆弾のような存在の扱いには気を付けなければいけない。
たった一つ、心底から願うばかりの望みの為に。
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