解1-1-3:俺たちの兄貴

 

 …………。


 ……あっ! もしかして俺に対して嫉妬してるのか? なんだかんだでお姉ちゃんチャイのことが大好きなシスコンだから。


 そうかそうか、そういうことだったか! ショーマもまだまだ子どもだな。それならこの場は何も言わずに聞き流してやることにしよう。


 俺はほくそ笑みつつそれを顔を出さないようにして、もはや今の話題には触れないことにする。


「それにしても、チャイの髪ってサラサラで本当に綺麗だよな。そうだ、髪をかしてもらったお礼に今度は俺がチャイの髪をかしてやろうか? 当然、今ってワケじゃなくて、いつかチャイの都合が良い時にでも」


「えっ! あ……っ……えっと……」


 俺の提案になぜか当惑したような表情を見せるチャイ。思いつきで言ったことだったから、さすがに唐突だったか……。


「やっぱり嫌か?」


「ううんっ、嫌なわけないッ! ……あっ! ……その……っっっっっ……」


 チャイは頬を真っ赤に染めてうつむき、そのまま黙ってしまった。


 もしかして照れているのだろうか? でも髪をかしてやる程度でここまで大きな反応を見せるというのは大袈裟おおげさな気もする。


 ただ、本人が『嫌じゃない』と言っているんだから、いずれやってやることにしよう。もちろん、その時はきちんとたずねて了承を得てからにするけど。


 よく分からないけど、チャイの中ではその行為に複雑な事情みたいなものがあるらしいから。


「あっ! 姉ちゃん、ヤス兄。バスが来たぞ。しかも今日の運転手はカナ兄だ!」


 ショーマの言葉を聞き、俺は視線を道路の先へ向けた。


 すると確かに百数十メートル先に小型バスがいて、こちらへ向かってゆっくり走ってきている。車体は四隅の角が丸みを帯びている直方体の箱形で、車内フロアは段差のないフラットになっているタイプのヤツだ。


 ヘッドライトなども丸くて、外見は柔らかな印象を受ける。




 最近のコミュニティバスや閑散地域の路線では、この車両が導入されていることが多い。もちろん、同じ形式であっても座席の配置や後方のドアがないなど、バージョンの違いはあるみたいだけど。


 ちなみにこの路線で運用されているのは、前ドアと後ろドアがあるタイプ。座席は最後部を除いて全てひとり用で、車体の壁に沿って進行方向を向いて設置されている。



 フロントガラスの上部に表示されている行き先は跳空とびそら市役所行き。


 ただ、俺にはこの段階でも運転手の顔がハッキリ認識できない。視力は両目とも裸眼で1.0くらいあるんだけど。


「ショーマ、お前は目が良いな。この位置で運転手が誰なのか分かるのか?」


「うん。僕にはハッキリ見える」


「そっか、今日はカナ兄の担当便に当たったか。久しぶりだな」


「最近はカナ兄のシフトや担当路線が僕たちの通学時間帯と合わなかったみたいだもんね」


「もしかしたら寂しくなって、わざわざ合わせたとか?」


「うんっ、カナ兄ならあり得るかも」


 俺とショーマは顔を見合わせて大笑いした。おそらくカナ兄は今、運転をしながらクシャミをしているに違いない。



 それから程なくバスは俺たちの待つ停留所へ到着し、前ドアが開く。車内に乗客はおらず、運転席には紺色を基調とした武蔵原むさしばる交通の制服と制帽を身につけたカナ兄の姿がある。


 カナ兄の本名は不破ふわかなう。切れ長の目と整えられた黒髪、さわやかな笑顔が印象的で、性格は穏やか。身だしなみには清潔感があって、雰囲気はスタイリッシュだ。まるで男性アイドルみたいに格好良い。


 実際、東京の繁華街へ出かけた時には芸能事務所の関係者からスカウトされたことがあるらしい。もちろん、カナ兄にその気はなくて断ったみたいだけど。


 年齢は25歳で、現在は武蔵原むさしばる交通跳空とびそら営業所でバス運転手をしている。ちなみにその就職に伴って営業所近くのアパートでひとり暮らしを始めたけど、学生時代までは俺たちの家の近所にある実家に住んでいた。


 ゆえに俺もチャイもショーマも幼い頃からよく面倒を見てもらっていて、カナ兄を本当の兄貴のように慕っている。


「おはよう、3人とも。会うのはしばらく振りだな。みんな元気そうでなによりだ」


「おはよっス、カナ兄」


 俺は軽く会釈えしゃくをしながら挨拶あいさつをすると、運賃箱に設置されている読み取り機にICカード定期券をタッチして乗車した。積もる話はあれど、カナ兄は仕事中だから今は最低限の会話だけにしておく。


 邪魔をしちゃいけないというのもあるけど、そもそも運行中は無闇に運転手さんに話しかけてはならないと法律で定められているらしいから。



(つづく……)

 

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