土龍

葱と落花生

土龍

 天使の粉


 お天道様に顔向けできない者の代表格として伝わっているが、特に人様に迷惑をかけて生きているとは思わない。

もっとも、毎日ゝ生きる為に地中の虫を探すから、畑や住宅の庭に穴を掘って塚を作る。

 それをもって領地への侵害だとするのなら、生きるのに一生懸命な厄介者だ。


 ずんぐりむっくりした体型としなやかな毛並みを維持する為、日がな一日食糧探しで隧道を走り回っている。


 太陽の眩しさくらいは分かるものの、視力が殆ど無いので、隧道から外に出るのは命に関わる危険行為だ。

 鼠に似ているからと、温かい時は蛇等の爬虫類が、二股に割れた舌をチョロゝさせて私の臭いを探すのに忙しい。

 夜になれば安全かと言うとそうでもない。

 夜目の利く野蛮な肉食獣が、まめに塚の周囲を偵察しに来る。


 地中で暮らしていると、耳の出っ張りが引っ掛かって走り難いから、長い遺伝の繰り返しで無くなった。

 昼寝をしていて鼠に齧られたのではない。

 遠くの音を捕えるには具合が悪く、肉球で音も無く歩く猫科には特に弱い。

その代り、振動には頗る敏感にできている。

 地上でくるくる回る風車の動きでさえ、隧道に居て体に感じ取れるのだから超能力でしかない。

 我乍ら感心するばかりだ。


 短くて穴を掘るのに都合が良い大きな横向きの前足は、爪を切る暇が無くて伸ばしたままだから、地上を歩くにはいたって不向きだ。

 駆け足の早い奴に見つかったら最後、素早く穴に逃げ込まなければ一生の終わりとなる。


 隧道には食糧とする虫達が、沢山ではないが毎日あちこちにぽとん、べたん、ぽったんと落ちて来る。

 私の住まいは、地中を移動する虫達にとって巨大な落とし穴となっているのだ。


 隧道を巡回しながら修復して、落ちてきた虫を食うのが生きる術であり生業となっている。

 これを暇なく続けるのだが、私の胃袋はどれだけ虫を詰め込んでも一杯になった事がない。

 半日も食わずにいると餓死してしまうのだから、極めて燃費の悪い工事現場の掘削機と同じだ。

 一生に一度でいいから、この腹を一杯にしてみたい。


 一代でこの体形になった突然変異ではない。

 他の動物に比べて、地中生活する上で非常に優れているとされているが、このDNAを構築した先祖に感謝すべきかどうかは悩むところだ。

 遺伝については一点だけ、すべすべと光沢があって暖かかな毛皮は、とても有り難く思える。


 この毛皮を気に入っているのは、私ばかりではない。

 昔は私の毛皮を使って、人間が暖かな衣服を作っていたが、石油から服が作られるようになってからは、毛皮を目的に狩られる事は無くなった。

 これは、絶滅した恐竜達に深く感謝すべき変化だ。


 漫画界を覗くと、ヘルメットを被りシャベルやドリルを持っていたり、ツルハシを担いだサングラスのおっさんとなっている。

 作家の話をそのまま素直に信じてしまう人間は、こんな奴が仲間に居ると信じかねない。

 この際だからはっきり言っておくが、そんな奴はいない。

 見たいと思っているのなら、早いとこ諦めた方が無難だ。

 絶対に存在しないと、心に強く言い聞かせなさい。



 孤独と戦いながら生活していると、よく独り言を言う。

 そんな極秘事項扱いの独り言を、影で聞いていた奴がいたのに気付かなかったのには些か仰天した。

 警戒心だけで生き延びてきたのに、これから野生で生きていく自信が失せる失態だ。


 聞いている者がいたのは分かったが、襲ってくる様子はない。

 そうだったれば、今頃あの世で自分の不甲斐なさを深く反省している頃だ。


 相手が何者かは分からない。

 遠くの音は苦手でも、人には音として聞こえない僅かな振動をも音として聞別ける聴覚を持っている。

 それを持ってしても、感じ取れない気配。

 猫以上に静かに近寄って来ていた。


 臭いに至っては、隧道で土に混じった微かな虫の臭いを嗅ぎ分けられる臭覚を持ちながら、どんな生物にでも付いて回る体臭が微粒子程も感じ取れなかった。

 ここまでくると、身を隠す術は神業と言ってもいい奴だ。


 獲って食おうとしないなら、どうして独り言など聞いていたのか? 

 忍者と言うべきか幽霊とすべきか、暫く外に出るのは控えた方がよさそうだ。


 人間が私を捕まえるには、役所に届け出て捕獲許可をとらなければならない。

 したがって、人が巣の周辺を音も無く、臭いさえ発っせずうろついていたのではない。

 この不可思議な生物に気付いたのは、向こうから声をかけてきたからだ。


「天使の粉ー」

 それっきり奴は消えた。


 何を言いたかったのか、何をしたかったのか。

 悪戯にしても、反応を見ずして消え去っているのは解せない行動だ。

 同じ悪戯をするにも、結果を見なければ張り合いが無い。

 やられた方も、やられ甲斐がない。

 無責任過ぎる。

 

 悪い奴とは感じなかったが、特別好い奴にも思えない。

 人は見掛けで相手の善し悪しを判断するが、我々は視力が殆ど無いから、見掛けで相手を差別したりしない。

 できない。

 だから、奴に対する評価は人間より公正なもので、絶対にあいつは無責任な変態だ。



 何時もの事で、先祖代々の本道を修繕し終えてから、新しい枝隧道を掘っていたら、少しだけ外に出る浅い所に行き当たった。

 昼間でも陽の光を感じる程度で、ハッキリ物が見える事はない………筈だったのに。

 どうした事か、今日に限って今までとは違った感覚が脳内に伝わって来る。


 情報が脳に伝わって、これが見えるという事だと気付くまでに随分と時間がかかった。

 始めての体験で、一時に大量の情報が流れ込んだから混乱したのだ。

 この期に及んで、ようやく見えるという現象について思考し始めている。


 目は唯一露出した神経細胞とまで言われている大切な器官だが、我々は身の安全と食糧安定確保の為に視力を犠牲にして来た。

 見えるという事は、それまで護身に使っていた嗅覚と聴覚を散漫にする事でもある。

 見える目を得たのは嬉しい反面、非常に危険な状態なのだ。



 金縛り状態から身動きして空を見上げた。

 気温の感じからして今は夜だが、上空には眩しく光る巨大な天体が真ん丸になって浮かんでいる。

 あれが月という星だとすぐに分かった。

 月が分かれば、次は地上を歩くのに必要な情報として、北極星を探しておかなければならない。


 地中生活が長いと、常に体の一部がどこかに触れてなければ落着けない生態になっている。

 知らない土地で野原に放り投げられたらパニックを起こして、死ぬまで方向が定まらぬまま走り続けるに違いない。

 それもこれも見えないハンデが有っての事で、星が見えるようになったら、極星の位置さえ分かっていれば旅に出るのも夢ではない。  


 しかしながら、ここでこの頭を悩ませてくれたのは、北を知る術が無い事だ。

 長い一族の歴史語りで受け継がれし北の極星は、これまで幾つもあった。

 何千年か毎、別の星に移り変わるのが北極星の特徴だ。

 北極星という名の星があるのではない。

 今年はどの星が北極星となっているのか、はてさて。




 ヴィーナスが降りて来た


 星の分布は、人間が使う点字のように、置かれた石の形で星座を作り、今日まで子々孫々伝えられてきた。

 特定の星座中に、北極星となる星がある筈だ。


 北極星は地球の大地に立って観察していると、その一点から動かず周囲の星が円を描いて極星の周りを廻る。

 長い時間かけて、動かぬ星を探すしかない。


 龍座α星か小熊座β星か、それともα星のポラリスかケフェウス座のγ星かβ星、もしくはα星なのか? 

 思い切って白鳥座α星のデネブかδ星だったりして、ひょっとしたら琴座α星のベガかもしれない。

 事によったらケフェウス座μ星のガーネット・スターだったり、冗談みたいに琴座R星と言えなくもない。


 長時間観察の結果、今年の北極星は小熊座α星ポラリスと決めた。


 この日から、毎晩外に出て星を眺めた。

 何時か旅に出て、伝説に聞いた海を見る。

 波の先っちょは白くて、その根元は青いのだと教わっている。

 白とはどんな色か、青とはどの色か、それからそれから、木の葉の緑に草原の緑。

 同じ緑でも、春と秋では違うとされている。

 色の違いが分かるだろうか。

 兎に角なんでもかんでも、地球の総て、此の世の総てを観て見たい。


 毎晩星を眺めていると、妙に心拍数をあげてくれる星さんに廻り合った。

 朝晩は特に目立って、空の端っこに一つキラリと光っている。

 そのうち、陽の色が空に強く滲んで広がると、私の目では見えなくなってしまう。

 陽の無い夜は一緒にいられるが、食べないと死んでしまう困った胃袋のせいで、いつも空腹が私達の邪魔をする。


 一月ばかりそんな事をしていると、突然妙案が浮かんでこの問題は解決された。

 私の唾液には麻酔効果がある。

 これを利用して、陽のある昼間のうちに沢山の虫を眠らせておいて、夜になったらこいつをたんまり抱えて地上に顔を出す。

 そうしておいて、ゆっくりと虫を食べながら、この星さんと一晩過ごすのだ。


 真っ暗闇で星しかない新月の夜、流石に夜目の利く肉食獣も私に気付かないから、安心して地上に顔を出していられる。


 最近になってもう一つ、安心していられる理由が出来た。


 巣の真上に建つ家の飼い猫が気になって、地上に出るのをためらっていたが、この日は陽の入りから陽の出まで月の出ない晩だった。

 毎晩星を眺めているから猫が気付いて当然なのに、月の出ない晩という特別な夜で有頂天になっていた。

 星の観察に夢中で警戒を怠っていたその時、不意に後から声をかける者がいる。


「おい、北極星の位置はずっと変わっておらんかの?」

 猫が覆いかぶさるように、私を覗き込んで訊ねてきたのだ。

「北極星の位置は変わっとらん!」

 猫に告げ、慌てて穴の中に逃げ込んだ。

 すると、猫が穴を覗き込み何やら言っている。

「そこまで警戒してくれるな、吾輩は御前さんや鼠などのゲテは食さん」

 ゲテとは失礼な言い方だが、食さんと明言するからには獲って食う気はない様子。

 それでも危険な連中だから、騙す気でいい加減な事を言っているとも考えられる。


「食さないと言うが、その証拠がどこにある。嘘つきの泥棒猫」

「泥棒猫とは失敬だな。吾輩はこれでも主を何人も有する裕福な猫である。ほれ、御前など食わんとの証しだ」と、隧道の出入口からずっと離れてこちらを見ている。

 それならば警戒レベルを四まで下げてやってもよかろうと、穴から顔を出す。


「御前も、猫に食われはしまいかと不安だったであろう。今宵は暇だから、吾輩が御前の警護をしてやる。心行くまで星を見るが良かろう」

 こう言うと、猫はゴロンと横になって夜空を眺めた。


 こんな事があってから、天体観測の時はこの猫が警護をしてくれている。

 お礼に虫を差し出したが「虫などという下等な食い物に興味は無い」と断られてしまった。



 世間が見えるようになって、此の世の不思議をしみじみと感じる毎日を過ごさせてもらっている。

 日課になった夜空の観察をしていると「どうだい、目の調子は」と聞いてくる者がいる。

 気配を感じない者に出会ったのは久しぶりだ。 


 見える目がどうだと聞くからには、それなりの事をした者に違いない。

「ひょっとして、貴方が見えるようにしてくれましたか」

「してやったって程の事でもないよ。ちょいと天使の粉を振り掛けてやっただけさ。妖精の粉も悪魔の粉も持ってるんだぜ」

 頭をバリボリ掻いて白い粉を落とす。

「これが妖精の粉さ。鼻から天使の粉を作るんだ。悪魔の粉も見せてやろうか」

 こうなって来ると、どこで何を使ってどうするか、粗方予想がつくので遠慮した。


 妖精か天使か悪魔の落し子か、正体不明の生物が星空を見えるようにしてくれたのは感謝するとして、これ以上深い付き合いをしたいとは思わない。

 護衛をしてくれる猫とは古くからの知り合いらしく、親しげに話し込んでいる。


 夜空を見上げながら、絶対君に会いに行くと輝く星に話しかけていると「あれはヴィーナスといって、美の女神だよ」得体の知れない奴が教えてくれた。

「どうやったら会ってもらえるかな。綺麗だ。一度話してみたい」

「それ、やめた方がいいよ。超々ーでか女だよ。御前の何百倍もある」

「それでもいい、会ってみたい」願いはそれだけだ。


 見えなければ、こんなに切ない思いをしなくて済んだのに、妙な生物に感謝もするが怨みもする。



 これから一月ほどして、空からヴィーナスが消えてしまった。

 どうしたのか心配で、巣穴から出て彼女が輝いていた方に向かって歩き出す。

 すると、遠くの方でパンパン、バリバリバリ、バンバン、ドーン、ガガガガと聞き慣れない音がする。

 真っ暗な地上で、流れ星が右から左へ走っている。

 今度は左から右へと飛んで行く。

 実に綺麗だ。


 きっと、ヴィーナスが降りて来たんだ。

 一目散に光達が飛び交う方に走って行く。

 走るのは苦手だから転がった方が早い、坂道はコロコロ転がって下った。


 光の舞踏会場となった広場では、長い棒の先からバーンバーンと引っ切り無しに人間達が光を飛ばしている。

 大勢で彼女の訪問を歓迎しているようだ。

 少しやかましいが、何とも幻想的な光景にボーとしていると、此方に向かって一筋の光が飛んで来た。


 一瞬の出来事で何が起きたのか今でも分からないが、物凄い勢いでヴィーナスと一緒に夜空を飛んでいるのは確かだ。

 あの変な奴が、妖精の粉だか悪魔の粉をかけて飛べるようにしてくれたに違いない。

 彼女がどこに向かっているのかは分からないけど、一緒に居られるならどこに行っても構いはしない。


 目の前が明るくなってきたよ………。

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土龍 葱と落花生 @azenokouji-dengaku

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