第5章・偵察 #5

 宇佐美は目を開けた。

 見慣れない天井を見上げたまま、しばらくぼんやりとしていたが、ゆっくりと身を起こすとシャワーを浴びた。

 そのまま着替えを済ませ、時刻を確認してからロビーへ降りる。

 朝食は取らずにコーヒーだけで済ませると、ノートパソコンを手にしたまま、ロビーの一角にある椅子に座ってカタカタと打ち始める。

 スマホが鳴動して、確認すると野崎からだった。


 >そろそろ着くよ


 それに対して

 >ロビーにいます

 と返す。


 コーヒーを飲みながら、キーボードを打ってると、背後から急に「おはよう」と声をかけられて宇佐美は飛び上がった。


「うわっ!ビックリした――」

「あはは」

 美波は楽しそうに笑った。

 笑いながら宇佐美の隣に腰かけると、じっとその横顔を見つめる。

「朝からお仕事?」

「え?……えぇ……まぁ――」

 ぎこちない笑顔を浮かべる宇佐美に、そっと擦り寄ると「昨日あのまま泊っていけばよかったのに」と耳元で囁く。

「……」

 何も言わずに俯く宇佐美を面白そうに眺める。

「朝ごはん食べました?」

「いいえ……朝は食べないから」

「それって体に良くないわ。朝はちゃんと食べないと」

 美波はそう言うと、持っていた紙袋をテーブルの上に置いた。

「ここのクロワッサン、おいしいのよ。宇佐美さんにも食べて欲しくて焼き立てを買ってきたの。食べてみて」

「えぇ⁉いいよ……」

「コーヒーに合うわよ、きっと」

「でも」

「遠慮しないで、ほら」

 遠慮してるわけじゃ……と困った顔をする宇佐美などお構いなしに、美波は楽しそうにクロワッサンを一個手に取ると、「はい、あーんして」と差し出してくる。

「……」

 周囲の目が気になり、宇佐美は狼狽えた。

 ジロジロ見ている人はいないが、気まずさと気恥ずかしさで躊躇する。が、美波の無邪気な笑顔を見てため息をつくと、仕方なく口を開けた。

「どう?おいしいでしょう?」

「うん……ありがとう」

「うふふ」

 美波は嬉しそうにはにかんだ。そして、照れたように俯く宇佐美の横顔をじっと見つめる。


 ――私は夕べ、この人に抱かれたんだ……—―


「――っ⁉」

 ふいに美波の声が聞こえてきて、宇佐美はキーボードを打つ手を止めた。



(え?)

 隣の美波と目が合う。

 美波は「?」という顔をしてキョトンとしてる。


(違う……これは心の声だ)


 ――あの指で私に触れて――

 ――あの唇で私にキスして――


「……」

 極力、平静を装いながら、宇佐美は必死に目の前の画面に意識を集中した。

 そんな様子を見つめたまま、美波の視線がゆっくりと宇佐美の腰回りへと移動する。



 ――彼が、私の中に入って……—―

(――⁉)



 そこまで聞こえた瞬間。

 宇佐美はいてもたってもいられず、突然立ち上がった。

「なに⁉どうしたの⁉」

 突然のことに驚いた美波が、ギョッとしたように身を引いた。

「ちょっと――忘れ物した。部屋に戻る」

「え?じゃあ私も一緒に」

 ついて来ようとする美波を、宇佐美は慌てて制して言った。

「いい!ここにいて!荷物、見てて」

 宇佐美はそう言うと、小走りにロビーを横切っていった。



 その様子を、ロビーの物陰から見ていた白石が、言った。

「あれ?ウサギちゃん、行っちゃった」

「……」

 野崎は黙ったまま、宇佐美を見送る。

「なんか、あの2人……良い雰囲気だったよな?」

 不機嫌そうな顔をしている野崎をからかうように、白石が言う。

「ありゃ絶対、何かあったな」

「え?」

「女の態度を見れば分かる。多分……」

 寝たんじゃない?という目で野崎を見た。

「あの2人、一晩こっちにいたんだろう?お楽しみがあってもおかしくないよな?」

「別に、いいんじゃない」

 素っ気なく呟いて野崎は言った。

「あいつだって男だ。フリーなんだし。好きにすればいい」

「いいの?それで」

「いいのって……あいつは別に俺の恋人じゃないし、関係ないよ。彼女が出来てよかったじゃないか」

 ふぅん……と鼻を鳴らす白石に、野崎は「なんだよ?」と不満そうに睨みつける。

「ならもっと祝福してあげなよ。そんな怖い顔しないでさ」

 そう指摘されて思わず頬に手を当てる。

 その仕草に白石は笑うと、「声かけてみようぜ。彼女に」と野崎を促した。



 ロビーに戻ると、野崎と白石が美波と一緒に談笑していた。

「あ、宇佐美さん。ご友人がいらっしゃいましたよ」

「あれ?どうして?」

 初対面のはずが、すっかり打ち解けている様子に宇佐美が不思議そうな顔をする。

「おはよう」

 野崎はそう言うと妙な含み笑いをした。

 白石もニヤニヤしている。

 宇佐美は交互に2人を見た。美波から貰ったのだろう。クロワッサンを一切れ口に入れながら、「食べさせてあげようか?」と白石が言って笑う。

 こいつら……と、宇佐美は内心舌打ちした。


(絶対どこかで見てた!)


「朝から楽しそうだな」

「いつから見てたんですか?」

 野崎の隣に座りながら、宇佐美が小声で聞いた。

「クロワッサンあーん、から」

「もっと早く声かけてくださいよ」

「そうしよう思ったら、どっかいちゃうんだもん」

「……」

 一番見られたくない所を見られた屈辱に、宇佐美は黙って俯く。

 美波はそんな宇佐美の気持ちを知ってか知らずか、無邪気に笑って言った。

「野崎さんと白石さんって、探偵なんですってね。やっぱりそういう人も動いてるんだって知って、ちょっと心強くなったわ」

「探偵?」

 それを聞いて驚く宇佐美に野崎は軽く目配せすると、小さく笑った。

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