第5章・偵察 #4

 2人は車で麓まで下りると、美波が泊まるホテルの近くにある居酒屋で一緒に夕食をとった。


 座敷で差し向かいになって食事をしながら、宇佐美は享愛の里の取材ファイルをもう一度丹念に読み返す。

「お兄さんが取材を始めた当初は、あのプレハブ倉庫みたいな建物はなかったんだね」

「出来たのは多分2年ぐらい前よ。私が調べ始めた頃だもの。備蓄倉庫も以前は別のところにあったみたい。新しく作り替えたのね」

「入り口の監視小屋も、そのくらいの時期?」

 えぇ、と美波は頷いた。

「ってことは、やっぱりこの1、2年の間に大きな変化があったんだ……」

 宇佐美はじっと考えてから、「その間に、何かおかしなことなかった?」と聞く。

「そうね……以前はあまり見かけなかった、若い男の姿を見掛けるようになったかな」

 美波はそう言いながらジョッキのビールを奇麗に飲み干すと、通りがかった店員に向かって「おかわりください」と言った。

「よく飲むね……」

「宇佐美さんは飲まないんですか?」

「あんまり強くないから……」

 そう言って苦笑する宇佐美に、美波は少し意地の悪い笑みを浮かべた。

「でも少しは飲めるでしょう?ならちょっとだけ付き合ってくださいよ」

 そういうと、テーブルに置かれた新しいジョッキのビールを、小さなコップに少し移して宇佐美の前に置いた。

「はい、かんぱーい」

「ちょ、ちょっと――」

 強引に乾杯をしておいしそうに喉を鳴らす美波を見て、宇佐美も仕方なくコップを手に取ると一口含んだ。

 苦そうな顔をする宇佐美を見て、美波は頬杖をつくと「そんな顔しないで」と囁いた。

「宇佐美さんって、本当に彼女いないんですか?」

「……いませんよ」

「どうして?」

 そう聞かれて戸惑う宇佐美に美波は笑いかける。

「どうして、ここまでついてきてくれたの?」

「――え?」

「だって、探してる人って宇佐美さんの知り合いじゃないんですよね?そこまで一所懸命になってるわけじゃないのに、どうして私についてきてくれたの?」

「それは—―」

 宇佐美は困ったように俯くと、ビールの入ったコップをしばらく手の中で弄んでいたが—―それを一気に飲み干して、言った。

「心配だったからだよ。あなたの事が」

「私の?」

「後先考えずに行動しそうで」

 そう言われて美波はムッとした。

「思い立ったら即行動が私のモットーなの。それっていけないこと?」

「いけなくはないけど、もう少し慎重に動いた方がいいよ」

「でも危ない目に遭ったことないわ」

「たまたま運が良かっただけだよ。危ない目に遭ってからじゃ遅いだろう」

 そう言われて美波は思わず笑った。

「ヤダ宇佐美さん、お兄ちゃんみたい」

「お兄――」

 言いかけて宇佐美は言葉を切った。目の前でケラケラ笑う美波に戸惑った顔をする。

「お兄ちゃんにも同じこと言われたわ」

「……だとしたら、お兄さんの気持ちがよく分かるよ」

 そう呟いてため息をつく。

 美波は、そんな宇佐美をぼんやりと見つめた。

 自分よりも年上だが、どこか幼さも感じる。守ってあげたくなるような頼りなさを感じる一方で、守られているような安心感も感じる。


 この人、不思議な人だわ――


 美波はじっと宇佐美の顔を見つめたまま、言った。

「私たち兄弟ね、ずっと里親のもとで育ったの」

「……」

 宇佐美は顔を上げて美波を見た。

「両親は私が3歳の時に離婚して、母と兄と3人で生活してたんだけど、母親がネグレクトで—―私が5歳、兄が11歳の時施設に保護されて。それでね、その後里親に引き取られたの」

「そうだったんですか……」

 自分を見る宇佐美に美波は微笑みかけた。

「でも里親はいい人たちで、私たちをちゃんと学校に上げてくれたし、本当、よくしてくれた。でも私が18の時に事故に遭って亡くなって—―それからは兄と2人で一緒に暮らしてた」

 美波はビールを一口飲んで続けた。

「たった2人の兄妹だもの。心配しないわけじゃないけど、でも互いに依存しない生き方をしようって決めてた。兄は兄、私は私。似たような仕事をしてるけど、お互い干渉しない。何かあっても、1人で生きていけるように。それがルールだった」

 少し変わった兄妹のように感じたのはそのせいか……そう思って宇佐美は黙って頷いた。

「兄はきっと『余計な心配はするな。おとなしく待ってろ』って言うと思う。けど、やっぱり心配なの。本当なら、今すぐにでも乗り込んでって無事を確認したいくらいよ」

「……」

「でも宇佐美さんに、私に何かあったら誰がお兄さんを助けるのって言われてハッとしたわ」

 美波はそう言いながら、少し眠たそうに頬杖をついた。

「宇佐美さんがいなかったら、あのまま突入してた。付いてきてくれてよかった……ありがとうございます」

「――」


 2人はそのまま店を出ると、美波が泊るホテルまで歩いた。

「なんだか、きちんと対策立てられませんでしたね」

「明日、友人が来たら彼も交えて話しましょう」

 宇佐美はそう言うと、「じゃあ、俺が泊るホテルはこの先だから」と言って、美波の方を振り返った。

「明日の朝、連絡します。おやすみなさい」

 そう言って立ち去ろうとする宇佐美の背に向かって、美波は「あの!」と言った。

「もう少し、私の部屋で話しませんか?」

「……」

 宇佐美は振り返った。真剣な眼差しで、美波がじっとこちらを見ている。

 酔って言っているのではない。言葉の裏にある、もう一つのを感じて、宇佐美は静かに首を振った。

「明日話そう。おやすみ」

「……ですよね—―ごめんなさい」

 美波はそう呟くと、「おやすみなさい」と背を向けてホテルの方へ歩き出した。

 宇佐美も黙って背を向けると、数歩歩き出して———ふと立ち止まった。

 何かを思案したまま、しばらくじっとその場に立ちつくす。




(何を考えてる?)





 自分にそう問いかけながら、大きく息を吸い込む—―目を閉じて、自分の鼓動を聞いた。何かに急かされるように、追い立てられるように、ざわざわと気持ちが揺れる。


 宇佐美は、ふいに踵を返すと、美波の後を追ってホテルの中に入った。

 その気配に気づいた美波が振り向く。

 宇佐美は美波の手を取った。その手を美波は強く握りしめると、502と書かれた部屋のドアを開けて—―




 静かに閉めた。

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