第5章・偵察 #3
美波の車は、前回野崎と来た時のルートとは逆の方角、大きく迂回して文字通りコミュニティの裏へ回った。
そこは途中かなりの悪路で、なるほど、四駆の車で来た理由はこれか……と宇佐美は納得した。
「もう何度も来慣れてるって感じがするけど?」
「野鳥の観察で来るって名目ではね」
美波はそう言って笑うと、林道の脇に車を止めて双眼鏡を2つ手に取った。その1つを宇佐美の方へ差し出し、
「バードウォッチングしましょ」
と、にこやかに笑う。
美波に促されて、宇佐美は仕方なく手渡された双眼鏡を首から下げると外に出た。
空気がひんやりと冷たい。
「野鳥の観察って早朝にするものなんじゃないの?」
雑木林の道なき道を、慣れた足取りでどんどん先を行く美波の跡をついて歩きながら、宇佐美が言った。
時刻はもう既に昼を大幅に回っている。
「そうね。でも日没前に活動する鳥もいるわ。偵察の言い訳にするつもりが、今じゃ結構詳しくなっちゃった」
そう言いながら振り返って笑う美波に、宇佐美は肩を竦める。
「この辺りは、兄も偵察で何度か訪れていたみたい。隠し撮りの写真の角度から割り出したの」
「コミュニティの人間には気づかれていない?」
「多分ね」
やや傾斜した山の斜面を登り、美波が身を伏せて宇佐美を手招きした。
美波の横に宇佐美も並んで身をひそめると、茂みの隙間からじっと目の前に広がるコミュニティを眺める。
「よく見えるでしょう?」
「へぇ……裏からだとこんな感じなんだ」
宇佐美は双眼鏡を覗き込んだ。
遠くに宿泊棟が見える。正面から入ると真っ先に出迎えてくれる建物だ。
その背後に立ち並ぶ仮設住宅。畑などのビニールハウスや、作業施設なども、ここからだとよく見えた。
それに、前回とは明らかに異なる点がある—―それは人の姿があることだった。
「住民がいる」
「えぇ。普段はああやって、普通に日常生活を送ってるわ」
美波も双眼鏡を覗きながら言った。
「あそこで栽培された野菜を、近くの直売所で売ってるらしいわ。完全無農薬の有機野菜で人気があるみたい」
「へぇ」
「生ゴミの処理も徹底してて、無駄なゴミを排出しない。水質管理もされてて、地域活動も割と積極的。閉鎖的な空間だけど好感度は悪くない—―それが数年前までの享愛の里のイメージよ」
「けどそれが変わりつつある。お兄さんが調査に関わったあたりから?」
「えぇ。ここ5年の間にね」
宇佐美は遠くに白い鳥居を見つけた。
天守の館が見える。その近くに、倉庫みたいな建物が見えた。
あの時は周囲を見る余裕がなかったので気づかなかったが……
「あの倉庫みたいな建物は?」
「あの辺は最近できた建物よ。備蓄庫みたいなものらしいけど……」
それ以外にもう1棟、プレハブで出来た建物が見える。
外には室外機がたくさん。温度管理されている建物らしい。
「何に使用してる建物なのかな?」
「私が聞いた話だと、コミュニティ内の水質管理やリサイクル処理をするための施設だって」
「誰に聞いたの?」
「市の職員よ。建設許可を出すために立ち入り検査をするらしいわ」
ふぅん、と宇佐美は鼻を鳴らした。
「ここから偵察したことは何度もあるけど、出禁になってからはまだ一度も入ってないの。だから、あの建物はまだ未調査で」
「まさか、あそこに行く気ですか?」
そう聞く宇佐美に美波は言った。
「そうよ?だってもしかしたら、兄はあの建物の中にいるかもしれないじゃない」
「かもしれないけど」
「宇佐美さんたちが探している人だって、ひょっとしたらあの中に監禁されているのかも」
「……」
宇佐美は黙り込んだ。
「住民も許可なく入れない場所よ。調べてみる価値はあるわ」
「きっと警備も厳重だよ。簡単に入れるとは思えない」
「ただの管理施設よ?市の職員の振りして中に入ろうと思ったけど、顔を知られてるから速攻バレて追い出されちゃった」
そんな事したのか、と思って宇佐美は呆れた。
「だってどうしても中を見たくて」
「危険すぎるよ」
「やましいことがないなら、見せてくれてもいいじゃない?」
「そうじゃなくても、普通そんな嘘ついて入ろうとする人間、追い出すに決まってる」
「――」
何も言い返せず黙り込む美波を見て、宇佐美は言った。
「よく今まで無事でいられたと思うよ」
ふいに真顔になり、低く呟く宇佐美の声を聞いて、美波は視線を向けた。
「危険な事をしているって自覚、ある?」
「……」
「あなたに何かあったら、誰がお兄さんを助けるの?」
叱られた子供のような顔をして、美波は俯いた。
「お兄さんの事が心配なのは分かるけど、もう少し慎重に行動しなきゃダメだよ」
美波は俯いたまま、しばらくじっと黙り込んでいたが、思い出したように顔を上げると宇佐美を見て言った。
「じゃあ……一緒に行ってくれる?」
「今は無理」
速攻、気のない返事が返ってきて美波は思わず憤慨した。
「ちょっとぉ!今の流れじゃ、『分かった、いいよ♥』じゃないの⁉」
「いいわけないだろう。嫌だよ」
ぷぅっと頬を膨らませる美波を見て、宇佐美は思わず笑った。
「やみくもに突っ込んでいくことには同意できないだけ。連泊するつもりなら、焦ることはないでしょう?」
「そりゃそうだけど」
「今日は下見程度にしておこう。明日、友人がこっちへ来る予定なんだ」
宇佐美はそう言って、持っていた携帯で写真を何枚か撮った。そして身をひそめていた山の斜面を静かに滑り降りた。
「俺も今夜はこっちに泊るから、今後の対策を練ろうよ」
「え?」
美波は思わずドキッとして宇佐美の傍に寄った。
「泊るって……どこに?」
「ビジネスホテルぐらいあるでしょう。適当に探すよ」
「私のところに来ますか?」
「え?」
今度は宇佐美が聞き返した。
「私、狭い部屋が苦手でダブル取っちゃったんです。よければ」
「さすがにそれはマズいでしょう……」
宇佐美にそう言われて美波は我に返ると、「そうですよね」と苦笑いした。
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