第5章・偵察 #2

 寝台に乗せられて運び出された遺体に、母親は縋りつき泣き崩れた。

 その肩を父親が抱き、絞り出すような声で言った。


『本当の事を教えてください』


 激しい怒りと悲しみを必死に抑えながら、『本当の事を教えてください』と、何度も繰り返す。

『息子は何故死んだんですか?本当の事を教えてください!』


 倉持は頭を下げたまま、黙ってその言葉を聞いていた。



 本当の事を教えてください———…




「……」

 峠道の途中にある退避スペースに車を止めたまま、倉持はしばらくじっと目を閉じていた。

 幾度か深呼吸を繰り返し、脈拍が落ち着くのを待ってから、ゆっくりと目を開ける。

 まだ夜が明け切らない薄闇の中、対向車などは1台もなく、自分を追い抜く車もない。

 鳥のさえずりさえも聞こえない。

 静かだった。

 聞こえるものといったら、自分の呼吸と心音だけ。

 なのに、その静寂の彼方から、あの時聞いた父親の声がのように聞こえてくる。


『本当の事を教えてください』

 ――と。


 倉持は再び目を閉じてシートに身を預けた。

 僅かに開けた窓の隙間から冷たい風が流れ込んでくる。

 エンジンは切っているので車内は寒かった。が、それでも気にせず倉持はじっと目を閉じて、片手をハンドルに掛けたまま—―

 その時。

 ふいに意味もなく鼻歌が付いて出た。

 いつも物思いにふける時、脳裏を過るメロディだ。

 子供の頃、学校で習った唱歌の1つだと記憶しているが、タイトルが出てこない。

 妻も好きだと言っていた。あの頃の彼女は小鳥のようによく歌っていた。


 タイトル、なんだったかな……


 聞いたら答えてくれるだろうか?

 それが無駄な事だと知りつつも、倉持は微かな笑みを浮かべたまま、鼻歌を唄い続けた。




 4月15日。

 宇佐美は、美波が運転する車に乗って、再び享愛の里へ向かっていた。

 今日は前回と違いよく晴れている。

 まさに絶好のドライブ日和だった。

 待ち合わせ場所に現れた美波は、小柄な体とは裏腹に大きな四駆で乗り付け、宇佐美を驚かせた。

 慣れたようなハンドルさばきで街中を走り抜け、スイスイと泳ぐように高速に乗る。

 その勇ましさに宇佐美は言葉もなく、借りてきた猫のようにただ大人しく座っていた。

「宇佐美さん、車は運転されないんですか?」

「俺、免許持ってないんです。すいません……」

 そう言って頭を下げる宇佐美に、美波は明るく笑った。

「そんな、謝らないで下さい。私がどこでも連れてってあげますから」

「頼もしいね」

 その言葉に美波は照れくさそうにはにかむ。

「運転が荒っぽくて、男みたいだって兄によく言われてます。そうかしら?」

「そうかもね」

 意地悪っぽく言う宇佐美を見て、美波は頬を膨らませた。

「やっぱり……もう少し女らしくした方がモテるのかな」

「彼氏いないの?」

 美波は無言で頷いた。

「出来てもすぐフラれるし、浮気される」

「そうなんだ」

「宇佐美さんは?彼女いるでしょう?」

「いないよ」

 そう呟いて、宇佐美は窓の外を見た。

「嘘ぉ~絶対いるでしょう?」

 宇佐美は答えず、ただ小さく笑っただけだった。

「……」

 これ以上、この話題には触れてほしくない……宇佐美の態度からそう感じた美波は黙って頷き、さり気なく話題を変えた。


「一緒にコミュニティに行った友人の方は、今日は来られなかったんですか?」

「彼は仕事が忙しいからね」

 そう答えた後、宇佐美は憮然とした表情をする。

 (そもそもは野崎さんが依頼された案件なのに……)

 気づけば自分が率先して動いている。

 なんだか釈然としない気持ちになり、いっそ放り投げてしまおうか……とも思ったが—―隣にいる美波を見ているとそうもいかない。

 どうもこの女性は、思い立ったら後先考えずに行動を起こす傾向がありそうだった。

 今までにも、危険な目に遭ったことぐらいはあるだろう。

 ただ、ゴシップ記事と今回のケースでは少々程度が違う。

 彼女の兄が手掛けていた内容なら、かなりヤバい部類に入るのではないか。

 疑惑のある集団や組織に、個人が手を出すには相当な覚悟がいる。

 彼女の兄が詳しい内容を妹に話すことなく、ファイルを託しても「心配するな」のひと言で牽制したのは、妹の性格を考慮して深入りさせないためではないか?


 それなのに……


 その思いを知ってか知らずか……1人乗り込もうとする美波を、ここは何としてでも食い止めなくては———


 宇佐美はスマホの画面に目を落とした。

 野崎からのメッセージを見る。


 >潜入は危険過ぎる。事前準備もなしに行くのは無謀。こっちもフォローできない。


 それに対して宇佐美も返事を返した。


 >分かってます。大丈夫。彼女を止めたいだけ。


 しばらく間があった後、野崎から返事が来た。


 >明日、俺もそっちに行く。可能だったらそっちで1泊して待ってて。


(1泊?)

 宇佐美はチラッと美波の方を見た。

 まさか同じホテルに泊まるわけにもいかないだろう。

(いや、彼女を先に返してもいいか)

 自分1人残って野崎を待てば……

「私、しばらくこっちに残って調査しようと思ってます」

 ふいに美波がそう言うので、宇佐美は驚いて視線を向けた。

「え?」

「ホテルに連泊する予定なの」

「連泊?」

 驚く宇佐美を見て美波は言った。

「あ、宇佐美さんは仕事があるでしょうから、そこまで付き合う必要ないですよ。私1人で大丈夫。帰りは車で送れないけど……」

「いや、あのそうじゃなくて」

 宇佐美は狼狽えながら恐る恐る聞いた。

「まさか、何度もアタック掛けるつもりですか?」

「もちろんです!兄の無事を確認するまでは、私絶対に諦めないわ!」

 強い意志の宿った目で、じっと自分を見つめる美波の眼差しに、宇佐美は気圧されて頷くしかなかった。

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