第5章・偵察 #1

 野崎はホースを手に取ると、蛇口をひねった。

 ほとばしり出る水の勢いで、車に付いた汚れを一気に洗い流す。

 ザーッと、まんべんなく車体全体を濡らすと水を止め、今度はキレイに水拭きをする。


 ある程度水けを拭きとったら、今度は乾いたウェスで拭き上げていく。

 フロント、サイド、リアガラス。

 ミラーやホイールも点検しながら、丁寧に磨いていく。


 その様子を、じっと見ていた白石が近づきながら言った。

「係長自ら洗車か?」

 その台詞に、野崎は手を動かしながら笑った。

 引き継ぎ前の捜査車両の洗車と点検は、職員の仕事の1つだが、暗黙の了解としては若手の仕事でもある。


「好きでやってんだから別にいいじゃん」

「夏はいいけど、冬場は地獄だ」

 始業前の爽やかな空気を肌で感じて、白石は目を細めると眠たそうに欠伸をした。

「吹き残しがあると、うるさく言う先輩がいて苦労したのを思い出すよ」

「チェックが厳しい人は確かにいたな」

 野崎はそう言って「よっこいしょ」と立ち上がると、軽く腰をトントンと叩いた。

 キレイに磨きあがった車を見て大きく息をつく。


 どんな時でも率先して動け――


 これも身に付いた習性の1つだろうか……そんな事をふと思ってポツリと呟いた。

「俺の車も洗いてぇなぁ……」

 そのボヤキを聞いて白石が笑う。

「なんか用があって来たんじゃないの?」

 気づいたように白石を振り返り、野崎が聞いた。

「例の車のナンバー照会してみたよ」

 それを聞いて野崎は「おぉサンキュ~」と嬉しそうに目を開いた。

 享愛の里へ行った後、急に仕事が立て込んでしまった自分に代わって、白石が調べてくれたのだ。

 白石は手帳を取り出して読み上げた。

「所有者は倉持茂くらもちしげる、57歳。住所は都内になってる」

「クラモチ……やっぱりあの男か」

「違反も前科も何もないけど経歴を調べたら、意外なことが分かったよ」

 白石は野崎を見て言った。

「彼は元陸上自衛隊の一等陸佐だ」

「一等陸佐――自衛隊の幹部?」

、だけどな。お前が俺たちと近い匂いを感じるって言ってたけど、あながち間違いじゃなかったな」


 警察官じゃなくて自衛官だった……しかも一等の佐官とは—―


 野崎はその正体に驚いて目を見張った。

「でも5年前に依願退職してる」

「定年を待たずに?なんで辞めたのかな……」

 白石は「さぁね」と首を傾げると、「理由は分からないな。けど、指輪の跡があるって言ってたお前の読みは当たってた。配偶者がいるよ」

「やっぱりな」

「離婚も死別もしてないようだから、現在進行形の夫婦だな。子供はいないみたいだけど」

「……」

「女房いるのに婚活とは恐れ入るな」

 そう言って笑う白石に、野崎も苦笑した。

「試しに登録されてる電話番号にかけてみたら、現在使われてませんってさ。住んでるかどうかは微妙だな」

「そうか……」

 野崎もそう呟いて、じっと考え込んだ。


(元自衛隊幹部の男か……)


 会社員かと問われ、そうだと答えて聞き返した時に、自分も似たようなものだと答えていたが—―

(お互い素性を隠してたわけだ)

 倉持は既に退官しているが、少なくともには見えなかった。

 登録住所の電話が通じないところをみると、住所変更せずに引っ越している可能性が高い。

 やはり享愛の里に住んでいるのだろうか?

 妻も一緒に。


「3人の若い男がいた。機動隊上がりかと思ったけど、アイツらもひょっとしたら元自衛隊員かもしれないな……」

「仲間を集めてるのか?……けど何のために?」

 その疑問に野崎は「さぁ」首を振ると、「国家転覆でも目論んでるとか?」と冗談めかして笑った。

「失踪してる人は20代から50代の男だろう?学生もいれば、ごく普通のサラリーマンもいる。特殊な技能を持ってるわけじゃない、ごく普通の一般人だよ」

 白石の言葉に、野崎は「捜索願が出されている人は、な」と言って、汚れたウェスを洗い物用のカゴに放り込んだ。

「自らの意志でコミュニティに行った人間はそれにあらずだ。あの警戒の仕方は普通じゃない。何か隠してる。外部の人間が、気軽に入れない雰囲気を感じたよ」

「その女性記者の話じゃ、怪しい宗教団体みたいなんだろう?――まさか、大規模なテロでも起こそうとしてるんじゃ……」

 と、白石は思わず声を潜めた。

「だとしたら公安が動いてるだろう。けど、そんな不穏な動きは感じないし、警戒もされてない。それに、姿を見たのは三上さんだけだ。他の失踪者の姿は見てはいない」

 全員、あのコミュニティにいるとは限らない。

「天守様とかいう女は、武力を使って何かしようとするタイプには見えなかったけど、それを取り巻く男たちはどうだか分からないな」

「女王様の命令を聞くように洗脳して、何かやろうとしてるってこと?」

「か、もしくは本当にロハスな生活を好む、ちょっと変わった人たちの集団か――だな」

「警戒心が強いだけの、人畜無害な集団?」

 本当かよ、と白石は笑った。

 野崎はポケットの中で振動したスマホを取り出した。

「宇佐美からだ。明日、享愛の里へ行くって――」

「へ?」

 驚く白石を見て更に続ける。


「例の女性記者に同行して、内部に潜入するつもりらしい」

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