第4章・兄妹 #5

 海風に体を震わせる美波を見て、宇佐美は持っていた自分のジャケットをそっと肩にかけてあげた。

 美波は視線を上げると嬉しそうに「ありがとう」と笑った。


「事故の原因は居眠りじゃないかって言われたわ。目撃した人の話だと、かなり蛇行運転をしてたみたい。とても信じられないけど……私には、彼が何かの薬物を摂取されたんじゃないかと思ってる」

「睡眠薬とか?」

「天守様の相手をさせられてる男たちは、ある種の薬物を摂取されているようなの。それで夜な夜な彼女の体を求めて寝所に行くって話よ」

「催淫剤みたいなものかな?」

 宇佐美はふと、あの不思議な匂いを思い出した。そして、白石が「なにかのフェロモンじゃないか」と言っていたことも思い出す。


「彼の体内からは何も検出されなかったけど、それを使われたんじゃないかと疑ってる。車内から忌み札が見つかって確信したの。彼はあそこへ行ったのよ。そして逃げてきたんだわ――でも、事故を起こして死んだ。私のせいよ……」

「違うよ」

 宇佐美は首を振った。

「あなたのせいじゃない」

「でも私が巻き込まなければ死なずにすんだわ。それにあの札……」

 それは関係ないと思うよ—―と、宇佐美は言った。

「札はなんの関係もない。呪いなんてバカバカしい……あの札にそんな効力はないよ」

「でも」

「他はともかく、これだけは断言できる――忌み札には人を呪い殺す力はない」

「――」

 何故そうまでハッキリと言い切れるのか、美波には分からず黙ってじっと宇佐美を見つめた。宇佐美はその目を見て小さく笑った。

「現に、あの札をもらった俺はまだこうして生きてる。あれからもうだいぶ経つのに。でしょう?」

「……」

「冷静に考えてよ。生まれ変わりだとか忌み札だとか、そんな胡散臭い話を信じる方がどうかしてる。けど失踪している人がいるのは事実。なら理由はもっと別にあって、俺にはむしろそっちの理由の方がヤバい気がする」

 宇佐美はそう言いながら、あの黒い大きな影を思い出した。そして酷い腐敗臭も。


「あそこには何かある。何か隠してる。それは間違いないと思うよ。でも彼が亡くなったことに、あなたが責任を感じることはないよ。……」

「―――」

 その奇妙な言い方に、美波は黙り込んだ。


 真っ直ぐな宇佐美の目は、怖いくらい冷たく落ち着いているが、その言葉には確かな熱を感じる。

 どこか別の空間を見ているような、その不思議な眼差しに美波は奇妙な安らぎを感じると、黙って小さく頷いた。



「お兄さんの事、警察には相談した?」

「捜索願は出したわ。でも、彼らは何かないと動かないのよね」

 その言葉に宇佐美は苦笑した。

「特に事件性はないから、何か分かったら連絡するとは言われてるけど、正直期待はしてないわ。それならまだ、自分で動いた方がマシ」

 そう言って自分を見る美波の表情が、一瞬にしてジャーナリストの顔になる。


「宇佐美さんたちが、探している人の姿を見掛けたって話を聞いて、急に希望が湧いてきたわ。きっと兄もあそこにいる。それを確認しなきゃ」

「コミュニティへ行くの?でも江口さんは出禁にされてるんじゃ—―?」

 宇佐美がそう聞くと、美波はいたずらっ子のような顔をして言った。

「正面から入るとは言ってないわ」


 から入るのよ、と笑う美波に、宇佐美は眉をひそめた。


「まさか……潜入する気?」

「そうよ。私だって一応ジャーナリストの端くれですからね」

「危険じゃない?帰り際に男が3人いたけど、【のどかな村の住民】には見えなかった。あの場でごねたら、何されるか分からない雰囲気を感じたよ」

「それなら尚更だわ」

 意気込む美波に、宇佐美は眉間を寄せた。

「無事でいることを確認したいの。心配するなって言われたけど、じゃあ、いつまで待てばいいの?」

「……」

「もう限界よ。乗り込んでこの目で確かめる!」

 そう息巻いて歩き出す美波を、宇佐美は慌てて追いかけた。

「ちょっと待って—―乗り込むって……まさか1人で?」

「もちろん!」

「危ないよ」

「じゃあ、宇佐美さんも一緒に付き合ってくれます?」

「え⁉」

 急にふられて驚く宇佐美を、美波は真剣な眼差しでじっと見つめた。

 こうと決めたら貫き通す。

 意志の強さをそこに感じて、宇佐美は一瞬たじろいだ。


 ――が。


「無茶はしないって約束してくれますか?」

「……」

 その言葉に、美波は静かに頷いた。

 宇佐美は大きくため息をつくと、「分かった……」と呟いた。



「いいですよ……一緒に行きます」


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