第4章・兄妹 #4
「以前、兄の部屋に行った時、四畳半のひと部屋を取材資料が埋め尽くしていたの。過去の取材記録とかファイル、データを保管したディスクとかね。それが一切部屋からなくなっていたのよ」
「パソコンは?」
「それもよ」
本人が処分したとは思えない。大事な商売道具だ。
「誰かが処分した?」
「それも考えたけど—―そこで気づいたの。あの鍵よ」
美波はそう言って宇佐美を見た。
「私宛に送られてきた鍵。調べてみたら、都内にあるトランクルームの鍵だったの」
「レンタル倉庫か」
美波は頷いて続けた。
「兄のアパートから、2駅離れた所にあるトランクルームの鍵だったわ。中を見て大当たり。部屋にあった資料が全部そこにしまってあったわ」
「手狭になったから片付けた……ってわけじゃないよね?わざわざ妹に鍵を送り付けるんだから、きっとなにか訳がある」
「えぇ。気になって見たら、倉庫の一番目に付く所に、あのファイルが置いてあった」
享愛の里に関する調査ファイルだけが、他のファイルとは切り離された場所にそっと置いてあった。如何にも、これだと言わんばかりに。
「ファイルの中を見たけど、詳しい説明も手紙も何も無し。ただ小さな付箋に一言だけ、【心配するな】って――あったのはそれだけよ」
美波はそう言って苦笑した。
「そんな一言だけで心配するなって言われてもね……でも、筆跡は確かに兄の物だし、本人がそういうんだから信じるしかないのよね。変な兄妹に思うかもしれないけど」
きっとこれまでにも、そういう事があったのだろう。
余程の事がなければ騒ぎ立てるな……という事なのだろうか?
兄妹のいない宇佐美にはよく分からないが、そういうものなんだろうか……と首を傾げながら美波を見た。
「兄は理由があって姿を消した。心配するなってことは、きっと無事なはず……そう信じてこの2年間、私なりにあのコミュニティを調べていたの」
2人の目の前をシーバスが通り過ぎる。
このぷかりさん橋から、横浜駅や山下公園まで船で海上移動が出来る。
今日は晴れて天気がいいので、気持ちがよさそうだった。
それをぼんやりと眺めながら、美波は続けた。
「調べれば調べる程、おかしな団体だってことに気づいたわ。最初は福祉団体のような顔をしていたけど、今では自給自足を謳う環境団体にも見えるし、変わった思想を持った宗教団体にも見える」
「生まれ変わり説ね。そういえば、住んでた屋敷の前に大きな鳥居があったよ。同行した友人も笑ってた。あれが宗教じゃないってどういうことだって」
その台詞に美波も笑った。
「失踪した男性たちは、恐らく
「生贄?一体なんの?」
「天守様のよ」
ニヤリと笑う美波を見て、宇佐美は首傾げた。
「言ったでしょう?彼女は複数の男と、夜ごと交わるんだって。その女王蜂の為に、せっせと男を探してイベント会場を飛び回る働き蜂がいるのよ。兄がそう言ってたわ。だから自分もイベントに参加して、接触の機会を伺ってた。最後に会った時もイベントに参加するって言ってたけど、その後からブログの更新が止まってるの」
信じがたい話だが、まんざら嘘でもなさそうな気がする。
宇佐美は言った。
「男を漁るためにイベントを利用してたってこと?天守の……夜の相手をさせるための?」
「そうよ」
あの薄気味悪い女の相手をするために、連れていかれたのかと思うと宇佐美はゾッとした。しかも失踪している男性の年齢は下は20代から上は50代だ。
ストライクゾーンはかなり広めの女王蜂のようだ。
「お兄さんは、働き蜂と接触があったのかな?」
多分ね――と美波は頷いた。
「だから私も接触してみようと思ったわ。けど、女じゃ無理。それで、当時一緒に組んでた人にお願いしたの。一緒に潜入してみないかって」
「……」
「彼は畑違いだからって渋ってたけど、一緒に婚活パーティーに参加してくれたわ。すぐに接触はないだろうと思ってたけど、意外にもすぐ声を掛けてきた女がいた」
「働き蜂?」
「えぇ。彼は連絡先を交換して、後日合う約束を取り付けることが出来たの。案外簡単に事が運びそうだと思ったわ。でも……」
美波はそう言って俯いた。
「彼が女性と会う約束だったその日、待ち合わせの場所に行っても2人の姿はなかった。いつまで待っても姿を現さないし、彼に連絡しても繋がらないし—―心配になって彼の家に行ったけど誰もいなかった。車もなくて……」
美波はぽつりと呟いた。
「事故の知らせを受けたのは、その日の夜。もう日付が変わる頃よ」
「あの事故で亡くなった人って……」
「そう……私のせいなの」
私が巻き込んでしまったから—―
そう言って悔しそうに唇を噛みしめる美波を、宇佐美は黙って見下ろした。
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