第2章・忌み札 #5
4月3日。
野崎は朝からずっと、パソコンの前で書類作成に追われていた。
外は雨と風が酷く、せっかく咲いた桜の花もこれでは週末を待たずに散ってしまいそうだった。
気温も低い。
こんな日は、逆に屋内で事務仕事の方が幸せだと思ったが、それでも終始パソコンとにらめっこでは気も滅入る。
「う——……ん!」
少し気分転換をしようと、大きく伸びをしてプライベート用のスマホを覗いた。
(お?)
メッセージが1件。
宇佐美からだ。
それを開こうとタップしかけた時、「おい見たか?」と声を掛けられて、野崎は振り向いた。
刑事課の課長である岸谷が、神妙な面持ちでデスクからこちらを見ている。
「城北署の警官が、拳銃自殺したらしいぞ」
「え?」
「ネットニュースの速報で出てる」
それを聞いて野崎はスマホのネットニュースを見た。
【警察署内で短銃自殺】
という見出しで、つい数分前に出たばかりの速報だった。
「相変わらず、こういう情報を嗅ぎつけるのが早い連中だな」
岸谷は苦々しくそう言うと、「そういや、城北ってお前が前にいた署だよな?」と聞いた。
「この、金井って警部補知ってるか?」
「金井さんですか?えぇまぁ……何度か話をしたことは――」
記事を読む限りでは、まだ詳細は明らかになっていないが、警察署内のトイレで自分の銃を使い自殺を図ったらしい。
「拳銃の取り扱いで、まだヤイヤイ言われるんだろうなぁ」
「これも警察の不祥事扱いですかね?」
「叩きたい連中は、どんな内容でも叩いてくるさ」
岸谷はそう言うと、苦いため息をついた。
「これでまた、職質拒否の大義名分が出来ると大喜びだろう」
「……」
野崎は黙ってじっとニュースの記事を眺めた。
「彼には確か家族がいたはずです。障害を持った息子さんが」
「将来を悲観したかな――」
そのやり取りを、黙って聞いていた白石が、野崎の方へ視線を投げる。
「大丈夫か?」
「え?」
ぼんやりとしている野崎を心配そうに見る。
「あぁ……」
野崎は曖昧に頷くと、部屋を出た。白石も気になってその後に続く。
「野崎」
振り返って野崎は白石に笑いかけた。
「大丈夫だよ」
「単なる顔見知りじゃないんだろう?」
「……」
野崎は廊下の壁にもたれかかると、両腕を組んで頷いた。
「刑事課の空き待ちをしている時に、同じ課で少しの間だけど仕事してた。彼の方が先輩だったけど、気さくでいい人だったよ」
「そうか……」
「帰宅時間が重なったり、当直が重なったり、不思議と顔を合わすことが多かったんだ。だから話をする機会も多くて」
「……」
「信じられないな。なんで自殺なんて」
「この仕事してると色々あるよ。珍しい事じゃない」
まぁな……と、野崎は頷いて力なく笑った。
デスクに戻ってもしばらくは、放心したようにパソコンの画面を見つめていた。
今日中に作成しなければならない書類がまだたくさんあるというのに、気持ちがザワついてどれも手につかない。
それでも、無理やりキーボードの上に手を乗せて動かそうとするが、指先でキーをなぞるだけで止まってしまう。
野崎は、ふと――初めて拳銃を身に着けて現場に出た時の事を思い出した。
その重みを直に感じて、震えたことも。
――手元に、人の命を簡単に奪える
勿論それは人を守るための最終手段だが、自分は公にそれを手にできる立場にあるのだということが、恐ろしくもあった。
『理性を失った警察官ほど怖いものはない』――かつて、冗談で言ってた金井の言葉が、まさか本人に向けられるとは………
「……ッ!」
妙な苛立ちに、いてもたってもいられず野崎は席を立つと、再び廊下に出た。
そしてポケットからスマホを取り出し、先程開きかけたメッセージに目をやる。
そこには、宇佐美が女性記者と会った際に聞いた話が簡素に綴られていた。
「忌み札――享愛の里?」
野崎は呟きながら、一緒に添付されていた事故の記事にも目を通した。
それは今から約2年前の夜間に起きた、高速道路での単独死亡事故の記事だった。
>同じ忌み札を手にした男が、事故で死んでいます。
>呪いの札の力かもね(笑)
最後の(笑)に皮肉が込められていて、野崎は思わず苦笑した。
宇佐美が本気で信じてはいないのが分かる。
あの男には、それが分かるのだろう。
忌み札には興味がなくなった。代わりに興味が出てきたのが—―
「富士の裾野か……」
享愛の里というその場所に、野崎も行ってみたいと思った。
そこに行方不明の三上たちがいるかどうかは分からないが、一度行ってみる必要があると感じる。
県外だから休日を狙って行くしかないだろう。
(週末にでも行ってみるか)
野崎はそう宇佐美に返信すると、「と、その前に……」と呟いて踵を返すと自分のデスクに戻ってパソコンと向き合った。
(こいつらを片付けないと、どこにも行けねぇな……)
苦笑い1つ浮かべてため息をつく。
両手で頬を軽く打ち付けて気持ちを切り替えると、無心になってキーを叩き始めた。
余計なことは考えるな。
今はやるべきことだけに専念しろ――と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます