第2章・忌み札 #1

 横浜駅の傍にある、コインパーキングに止めてあった白石の車に乗り込むと、3人は車内灯の明かりでその札を見つめた。


 紙かと思っていたが、それは木を薄く削った木札で、そこに【忌】という文字が筆で書かれている。

 人の手で作り込まれた感じがして、それが一層気味が悪かった。


「なんだよ、これ……いつから持ってたの?」

「知らないよ。今さっき気づいた。白石さんのじゃないんですか?」

 スーツは白石からの借り物だ。

 でも、白石は首を振ると、「俺のじゃないよ。それクリーニングに出してそのままウサギちゃんに貸したんだ。ポケットは空のはずだよ」と呟く。

「誰かが宇佐美のポケットに入れたんだ。あのパーティーの誰かじゃないか?」

「……」

 そう聞かれて宇佐美は黙り込んだ。


 手にしていた札をじっと眺めながら—―ふと、何かに気づいて自分の鼻先に持っていく。

 微かに、甘い香りがした。その瞬間、頭に浮かんだ人物がいた。

「……あいつだ」

 宇佐美はそう言うと、野崎の目を見た。

「トイレの入り口で、ぶつかった男がいた—―」


 ——その話を聞いて、野崎は言った。

「参加者の男が?」

「えぇ。胸に名札を付けてた。確か……24番だったかな?割と年配で、凄く背が高くて体格のいい人」

 それを聞いてすぐに思い当たったのか、「あぁ彼か」と野崎は頷いた。

「柔道の有段者で、クラモチって言ってたかな。フリータイムの時に少し話したよ」

「男と?」

「向こうから話しかけてきたんだ」

 野崎は肩を竦めると、宇佐美が手にしている札を見ながら続けた。

「自分は女性と話すのが苦手で、なかなか声を掛けられないって言ってた。嫁探しに来たっていうより、ああいう場に慣れるために来たって……本当かどうかは怪しいけどな」

 そう言って野崎は苦笑する。その男に対して、なにか不審を抱いている感じがした。そう思わせるような素振りを感じたのだろうか?


 宇佐美は気になり、そう聞くと、野崎は自分の左手の薬指を指差して言った。

「結婚指輪の跡があった。もう何十年もずっと、はめてた跡だ。婚姻歴はあるのかって聞いたら無いって答えたのに、だ」

 白石と宇佐美は黙って頷いた。

「離婚か死別か……それとも、遊び相手を探すために外したのか—―どっちにしても、必要のない嘘だ。だから少し気になった」

 あのようなイベントのさなかでも、会話をしながら相手の言動に注力する。


 さすがは現職の刑事。

 宇佐美は見直した。


「宇佐美はその男から、感じた?」

 表面的なものではなく—―という意味合いでなら答えはNOだった。

 でも気になることはあった。

 ぶつかった時に、男の体からほんの一瞬漂った匂い。

 宇佐美は札を2人の前に差し出すと言った。

「これ、嗅いでみて」

 野崎と白石は、交互に札を手にして匂いを嗅いだ。

「変わった匂いだな……何の匂いだろう?」

「ハーブっぽいけど、花みたいな甘い匂いがする」

 何度も深く嗅いでいると、何やら体の奥が疼いてくるような、妙な気分になってくる。

「これって、なにかのフェロモンじゃないか?人をにさせるような」

 白石の言葉に野崎も頷いた。

「確かに、官能的な匂いがするな。だとしたら、あのオヤジ—―相当な食わせモンだぞ」

「でも、誰ともカップリングしてなかった」

「お持ち帰り失敗か」

 残念だったな、と白石は意地悪そうに笑った。

 宇佐美はじっと考え込んだ。


 あの大男が自分のポケットにこれを入れたのだとしたら、何が目的だろう?

 ——いや、そもそも。

 この札はいったい何なのだ?

 それが分からないだけに気味が悪い。


 忌――なんて。


 不吉極まりない。




 車内灯の下で。

 3人はしばらく黙ったまま、じっと札を見つめていた。


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