第1章・失踪 #4
怒涛のように押し寄せてくる女性陣から逃げるように、宇佐美は会場を飛び出すと廊下の先にあるトイレに駆け込んだ。
「勘弁してくれよ、もぉ……」
個室に入って便座に腰かけると、両手で頭を抱えて項垂れた。
一体何度、同じやり取りを繰り返せばいいのだ?
愛想笑いのし過ぎで顔は引きつってくるし、趣味だの興味だの、自分のキャラ設定を忘れかけて、危うく本音を言いそうになって慌てたり—―
(もう帰りたい……)
何か見えたり聞こえたり—―なんて方に意識を向けていられない。
……いや。
正直、男性参加者たちの恨めしい独り言は痛いほど聞こえてきたが。
そんなものが霞んでしまうほど、女性たちの欲に対するエネルギーの方が凄まじかった。
中には自分より、ひと回り以上年下の女性もいて、そんな若い女性に好意を持たれることを羨む男性も多いだろうが、宇佐美にとっては苦痛でしかなかった。
何を贅沢言うな!と野崎には言われそうだが……
(クソっ!人の気も知らないで)
宇佐美は個室を出ると、洗面台の鏡を覗き込んで自分の顔を見た。
40という年を言わなければ、まだ30そこそこにしか見られない。下手すりゃ学生に間違われることもある。
どこかで成長が止まってしまったのか?と野崎にからかわれたことがあるが、ひょっとしたらそうなのかも……と大真面目に考えてしまう。
(だからいつまでたっても頼りなく思われるんだな……)
宇佐美は頭を振ると、あと少しでこのイベントも終わる—―と自分に言い聞かせた。
(終わったら、うんと高い飯を奢らせてやる!有名焼き肉店で特上コースだ!)
そう意気込んで気合を入れると、勢いよくトイレを出ようとした。
その時。
「あっ‼」
ふいに目の前に巨大な壁が出現して、宇佐美は思わず体当たりしてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
「おっと!これは失礼――」
男もそう言って、両手で宇佐美の肩を掴む。
見上げるような大男に、宇佐美は一瞬目を丸くしたが、胸元についている名札を見て、婚活パーティーの参加者の1人だと気づき慌てて頭を下げた。
「すみません。前をちゃんと見てなくて」
「いや私の方こそ。入り口を塞いでしまって申し訳ない。お怪我ありませんか?」
厳つい見た目と違い、丁寧な物腰に宇佐美は反射的に笑顔を浮かべた。
その笑顔に男は頷くと、「失礼」と言って入れ違いにトイレの中へ入っていった。
宇佐美は男を見送りながら、ふと鼻をすすった。
(変わった匂いがしたな……)
男とぶつかった時に、ほんの一瞬だが匂った。香水とは違う。
何か—―花のような甘い香り。
(何の匂いだろう?)
あまり嗅いだことがない、不思議な匂いだった。
——脳がしびれる様な。官能的な匂い。
「……」
気にはなったが、本当に一瞬のことだったので自信が持てず。
そのことを、宇佐美は野崎には報告せず、そのまま会場に戻った。
パーティーも終盤。
気になる相手とマッチングできるかどうかの大事な局面だった。
「用紙にお相手の番号と名前を書いてください。白紙は厳禁で!ひとまずお友達から始めてみましょう」
この一言に、野崎と宇佐美は困り果てた。
話はしたものの、その気のない野崎は躊躇し、宇佐美に至っては話した相手の事もよく覚えていない。
急かされて2人は仕方なく番号と名前を書くと、主催者に手渡した。
参加者30名のうち、この日成立したカップルは7組いた。
これが多いのか少ないのかは分からないが、野崎と宇佐美は微笑ましい思いで成立したカップルたちに拍手を送った。
「以上7組のカップルが本日誕生いたしました。皆さま今一度、温かい拍手をお願いします」
会場が大きな拍手に包まれ、ヤレヤレやっと終わった……と、2人がため息をついた、その時だった。
「と、その前に!」
司会者が殊更大きな声でそう言うと、「皆さま、本日なんと—―実に尊いカップルが誕生いたしました!」と会場を見回した。
「男性11番と男性12番のお二人――どうぞ前へ‼」
「――え?」
「――は?」
野崎と宇佐美はゆっくりと顔を見合わせると、信じられないものでも見るような目で、互いの顔を覗き込んだ。
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