第1章・失踪 #1

「三上は高校時代の同級生なんだ」

 松下はそう言うと、食後に出されたコーヒーに、ゆっくりと口を付けながら続けた。

「某国立大の薬学部を出て、大手製薬会社に勤務していた。新薬の研究をしてるって言ってたかな」

「新薬の研究?へぇ凄いな……」

 自分とはだいぶ畑違いだが、白衣を着た優等生の絵が浮かんでくるのは単なる偏見だろうか—―と野崎は思った。

「三上には娘が1人いる。結婚して家を出てるが、その娘さんから相談を受けた。父親と連絡が取れない—―と」

「奥さんは?」

 それを聞かれて松下は首を振った。

「数年前に病気で亡くしている」

義兄にいさんの同級生の奥さんって事は、まだ若かったんじゃ?」

「だと思う」

 そこまで言ったあと、松下はここからが本題だと言うように身を乗り出してきた。

「ただ、最近再婚したらしいんだ。それも—―自分の娘と大して年の変わらない20代の女性と」

「え?20代⁉」

 松下が頷くのを見て、野崎は驚いたように肩を竦めた。

「失礼だけど……そんなに魅力的な人物なんですか?その……三上さんって方」

 だいぶ失礼な質問だが、松下は思わず声を出して笑うと、苦笑いを浮かべながら首を振った。

「いいや。お世辞にも、そういうタイプには見えないな。ずっと研究一筋で来たような地味な男だよ。だから娘さんも困惑されてた」

 50過ぎの冴えないオヤジが、20代の若い女性を射止めるのは余程の魅力があるのか……あるいは—―

「最初はもちろん疑っていたようだよ。騙されてるんじゃないかって」

「まぁ、そうでしょうね……」

 野崎は頷いた。

「ただ、三上は資産家じゃない。狙われるほどの財産があるわけじゃないし、純粋に愛し合って一緒になるなら、特に何も問題はないわけだ。前妻とは死別してるし、娘は既に独立している」

「でも—―行方が分からないっていうのは……彼だけですか?」

「いいや。夫婦揃って行方不明だ」


 窓から見える横浜港をじっと眺めながら、松下は続けた。

「事件性があるか?って聞かれたら、正直微妙なところなんだ。お前も知っての通り、この国の年間の行方不明者数は1000や2000じゃない」

 それは数万単位で、しかも近年増加傾向にある。

 事件性のある失踪もあれば、そうでないものも多い。認知症の徘徊等で行方不明になる人も年々増えている。

「三上の自宅は荒らされた形跡はないし、争ったような形跡もなかったそうだ。大きな旅行鞄と身の回りの品がいくつか無くなっている点から、最初は長期の旅行にでも出たんじゃないかと思ってたらしい」

「ハネムーンですかね……でも普通なら行き先や連絡先を、娘に教えていきそうなもんだけど」

 それを聞いて松下も納得いかない顔をして頷いた。

「確かに、三上らしくないと思ったよ。年の離れた嫁さんをもらったことは兎も角、可愛がっていた一人娘に何も言わずに長期旅行に出掛けるなんてね。それに調べてみたら、行方知れずになる直前に銀行口座から、かなりの金額を引き落としていた事が分かったそうだ」

「……」

「長年勤めていた会社も辞めていたらしい」

「仕事を?」

「娘さんがその事実を知って、流石におかしいと警察に捜索願を出したんだそうだ。仕事を辞めて、大金を持って旅行に行くなんて、父親らしくないと思ったんだろうね。携帯電話は繋がらないし、一切所在が分からない。何か事件にでも巻き込まれたんじゃないかって――心配するのは当然だろう」

「確かに……話だけ聞いてると不思議な気もしますが—―」

 出国した形跡は?と野崎は聞いた。外国へ旅行に行って、何かあって帰国できなくなった可能性もある。

「国外には出ていない。パスポートを使った形跡はなかった」

「そうですか……」

 現時点では、行方が分からず連絡が取れないだけで、何か事件に巻き込まれた様な痕跡はない。

 確かに微妙なところだった。

「仕事を辞めて、預金の一部を引き落として、若い新妻と一緒に姿を消したからって、それが事件にはならない。もっと明確なトラブルがあったり、争った跡でもあれば別だけど」

「事件性がなければ動けないのが警察われわれですからね……」

 野崎はそう言って冷めたコーヒーを口に含んだ。


 午後の陽を受けた海上を、船舶が行き交う。

 桜にはまだ少し早い時期だが、今日は穏やかな晴れ間が広がっていた。

 野崎は、なかなか本題を切り出せずにいる松下に視線を向けると言った。

「義兄さんは、気になるんですか?」

「――」

「事件性のない失踪なら……言っちゃなんだけど、彼は子供じゃないし。分別のつく大人が自分の意思で姿を消したのなら、本人から連絡が来るまで待つしかないんじゃ」

 まぁ、家族は心配だろうけど……と呟いて俯く。

 冷たいようだが、全てに捜査員を投入して対処する余裕などないのが現状だ。

 それは松下も十分承知している。

「失踪後に預金の引き出しは?」

 その問いに松下は首を振った。

「それが無いんだ。だから所在も生存も、確認できない」


 ただ———と。


 松下は言って野崎に目を向けた。

「調べていて少し気になることが分かった。同じようなケースの捜索願が、ここ数年一定数出ているんだ。そして、その失踪に共通しているものがある—―これだよ」

 そう言って、スーツの内ポケットから取り出したパンフレットを、松下はテーブルに置くと静かに野崎の方へと滑らせた。

 そこには踊るような文字で、こう書かれていた。



『人生のパートナーとの出会いで

 幸せを掴みませんか?』



 それは、婚活パーティーの案内状だった。



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