第50話 ダンジョン消失
「唯、無理するな、ほらっ」
突然しゃがみ込み後ろ手にして催促するその姿に、唯は最初彼が何を言っているのか分からなかった。
ほんの少し、時間にして数秒で彼の意図を掴みとった。
「え、え、え!? い、いや、そ、そんな、おんぶなんて……」
「さっさとしろ。その眼を使うのにそこまで肉体に負荷がかかるとは知らなかった。遠慮しなくていいからさっさとおぶされ」
「え、いや、は、恥ずかしいんです……」
顔を真っ赤に赤らめてもじもじとする唯を見て、ムラマサははあぁぁっと長い溜息をつく。
確かに女子高生がこんなおっさんに体を密着させるのは嫌だろう、彼女の気持ちは十分すぎるほど理解したが、今はそんな状況じゃない。
「嫌なのは十分承知してるが、今はそんなことを言ってる場合じゃないんだ。頼む」
「い、嫌ではない、です……じゃ、じゃあ失礼して」
そう言いながら恐る恐るムラマサの背中に体を密着させる唯。
あ、なんかいい匂いがする。おじさんってもっと加齢臭がすると思ったのに、なんてことが頭を
背中に負ぶさった唯は、ムラマサの首に手を回し、『オッケーです!』とだけ伝えると、青い部屋をぐるりと見渡した。
ついさっきまではなんの変化もないように見えたその空間は、何故だかほんの少しだけ歪んで見えたのだ。
目の錯覚、いや、確かに何かがおかしくなっている。
言いようのない気持ち悪さ、なにかこの場所に必要なものが足りていないような気がして、唯はぶるりと悪寒を感じた。
「よしっ! おまえら! 一気に地上まで走るぞ!」
「『応っ!』」
ムラマサと唯以外のメンバーもなにやら違和感を感じているのか、ムラマサの声に何か反論しようとする者はいない。
とにかく早くここから出たい。皆の気持ちがひとつになった。
◇
「おいっ! ムラマサ! なんでモンスターが1匹もいない!?」
「ああ!? そんなもん……ふんっ、気にするな! ラッキーくらいに思っとけ!」
「くそっ、あんたなんか知ってんだろ! ああ! もう!」
これ以上聞いても彼は答えてくれない、これ以上の詮索は時間の無駄だ。まだ出会って間もないのに何故か晶はそう断定する。いけ好かない男ではあるが、実力者なのは間違いない。そしてなにより楓ちゃんの保護者だ。
できるだけゴマを擦って取り入ろう、そして楓ちゃんとの交際を認めてもらおう。ああ、楓ちゃん大好き、早く楓ちゃんに会って頭をナデナデしてもらいたいなあ。
晶は楓との甘い生活を妄想して、緩みに緩みきった惚け顔を衆目に晒しながら走る。
◇
「一体なんなんだよ!? わけのわかんない化け物がいなくなったと思ったら今度は走れって! うちはもうクタクタだっつーの!」
「シロちゃん、でもあのおじさん只者じゃないみたいだよ? いうこと聞いて走っといたほうがいいと思う」
「わかってるわよ! クロ、それより腰大丈夫? さっき倒れた時打ったでしょ?」
「うん、大丈夫、いっつも僕のこと心配してくれるね。ありがとねシロちゃん」
「ふ、ふんっ! そ、そんなの、と、当然でしょ! 大事なパートナーなんだから……」
「ふふふっ、照れちゃって。シロちゃん可愛い」
「うっさい! 喋ってないで走るよ!」
身長137センチのシロと身長172センチのクロは、肩で息をしながら走っていた。
同じ配信仲間の唯に自分たちのほうが凄いってことを分からせようとしただけなのに、何故こんな目に遭っているのか、一体あのおっさんは何者なのか、カナンは結局なんだったのか、わからないことだらけで思考に整理がつかないままとにかく走る。
今はこの状況から脱することが先決だ。
ダンジョンには危険がつきものだということはもちろん理解していた。だが配信者として活動を始めたのは当然皆に認められたい、ちやほやされたいという承認欲求が多大にあったから。だが命よりも大事なものはないことを、ここで再認識した。
なんなのかは分からないが、背中から押し寄せてくる得も言われぬ仄暗い闇から、本能が死に物狂いで走れと叫んでいた。
◇
地上までの道中モンスターは1体も現れず、いよいよ地上へ繋がる通路が見えてきた。
唯を背負っているにも関わらず、息も切らさず先頭を走るムラマサの少し後ろにカナンはいた。
彼を最初に見たダンジョン受付、あの時はなんとも思わなかった。
特に強者特有のオーラがにじみ出ていたわけでもなく、その辺にいる普通の中年男性にしか見えなかった。
だがこのダンジョンでの活躍は一体なんなんだ? あの規格外の化け物を圧倒する、さらに驚異的な異形のなにかを使役し、剰えその後に起こった訳の分からないダンジョンの異変にひとりだけ気づき皆を先導している。
気になる。この男が気になる。
カナンはずっと彼の後姿を見ていた。
彼と一緒にいればこの世界がなんなのかがわかるかもしれない。彼と一緒にいれば兄と姉に胸を張って誇れる自分に成れることができるかもしれない。
カナンは知らない間に笑っていた。ダンジョンで笑ったのは何時ぶりだろう。これから先ダンジョンに再び赴くなら、彼と一緒がいい。ただそう思った。
◇
「おい! このダンジョンに今他の探索者はいるか!?」
「い、いえ、皆さんだけですが、どうされたんですか?」
ダンジョン入り口付近まで辿り着いたムラマサ一行は、入り口に常駐している警備員に今現在このダンジョンには自分たちしかいないことを聞いた。
その事実を確認したムラマサは――
「おい! あんたも俺たちと一緒に1回ここから出ろ!」
「は!? あんた何言ってんだ!? 俺はここの警備をしてるんだから勝手に出られるわけないだろ! しかもそんなふざけたお面被ってる人に言われてもねえ!」
警備員からしてみれば当然だろう。突然ここから出ろと言われたのだ。
しかもピエロのお面を被っているどこの馬の骨ともわからない輩から。
警備員の訝しげな表情に、ムラマサは仮面を剥ぎ取り、何時間ぶりかの素顔を見せた。その顔に漂う悲壮感、焦燥感。
警備員は彼の真剣な表情に戸惑いながらも一度吐いた言葉を引っ込めるわけにもいかず、頑なにそこを動こうとしなかった。だが――
――警備員さん! お願いします! 一度でいいんでここから離れてください!
ムラマサの後ろから聞こえてきた声。それは唯の言葉。
それを聞いた警備員は――
――えっ!? ゆ、ゆいにゃん!?
どうやら彼はゆいにゃん推しだったらしい。唯の一言でムラマサにはできなかった彼の退避が呆気なく完了した。そして……
「よし、全員ダンジョンから出たな。じゃあもういいか。おまえら、これを見てみろ」
そう言って彼がカバンから取り出したのは、直径15センチ程度の光玉だった。
唯はムラマサがミシャグジさまの体内からそれを取り出すのを見ていたのだが、明らかにその時よりも光が弱いのに気付いた。
「こいつを最初あの化け物から取り出した時、もっと濃い紫色の発光をしていた。だが見てみろ。もうじきこいつは光を失くす。つまりどういうことか」
そこにいた全員が固唾を飲んでムラマサの言葉を待つ。
時間にして数秒。この中にムラマサから出てきた言葉を直ぐに信じられた者がいただろうか。
ムラマサを信頼する唯ですらその言葉に懐疑的だったのだ。
彼が発した言葉。それは――
――このダンジョンは消失する。
彼の言葉の数分後、彼女達は世界で初めてダンジョンが消失するのを目の当たりにした。
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