第7話 勇者ノイエリタン登場

 ミズマリスにこの場から退場してもらってから、すでに1分くらいは経過しただろうか。

 そもそもこの場所はなんなんだ? やたら平衡感覚が無くなるというか、どちらが上でどちらが右なのか左なのか、とにかく頭の混乱する場所に今俺はいる。

 とても広いようでいて途轍もなく狭くも感じるようなこの空間。なんであいつはこんなとこにいたんだ? あいつの考えてることは常人の俺には理解不能だ。


「はあはあ、そろそろ戻ってくる頃か。初撃だ、初撃を読め、ムラマサ……」


 感覚を研ぎ澄まし、周囲への警戒を強める。まだあいつの気配はない、なのに周囲を圧倒するような気迫だけがこの場に充満している。

 重い、空気が途轍もなく重い……

 額から流れおちる汗が目に入る。当然そんなことに気をとられて瞬きをしようものならきっとあいつはその隙をついて一撃を入れてくるだろう。


「いや、ここは敢えて……」


 目に入りそのままにしていた汗を拭った。

 その刹那――


「迂闊! 私の胸で逝け! ムラマサ!」

「誘ったんだよ!」


 ――アンチ・クリエイト=ロック!


 俺の真正面に姿を現し剣先を向けニヤリと笑みを浮かべるノイエリタンの足元が突然伽藍堂に、完全な空白地帯と化した。


「クソっ! 姑息な真似をっ……」


 捨て台詞を吐きながら底の見えない急造の谷底へ落下しているノイエリタン。

 深さは大体50メートル程度を想定した。


 俺の能力クリエイトはモノを作りだす力。地面なんかを広さ、高さ、岩質、地質等、思い描いたとおりに創造することができる。

 一方アンチ・クリエイトは元ある物質を消失させることができる。今やったのはノイエリタンの足元も地面を広さ3平米、高さ50メートル程度消失させたのだ。

 俺に向かって飛び掛かろうとしていたノイエリタンは踏み込む足場を失い、そのまま落下していった。


「まあこんなんでどうにかなる相手ではないんだがなあ。はあ、ここからだな、正念場は、いや、修羅場か?」


 このまま戦っていても多分勝負はつかない。あいつはとにかくしつこい。まずやられても諦めない。こっちが根負けするまで確実に向かってくるだろう。しかも今あいつは頭に血が上っている。その理由は分かってはいるのだが……

 仕方ない、恥ずかしがってる場合じゃない。


「すまん! リタ! あいつは、マリスはここから離れてもらった! 今は俺しかいない! あいつに先に会ってしまったのは謝る! だから大人しくこっちへ来てくれ! お前に会いに来たんだ!」


 はあ、言ってしまった。ここからどうなるかは予想がつく。

 多分あいつはこの奈落のような落とし穴を事も無げに駆け上がってくるだろう。そして彼女が取る行動は――


「――ホントに?」

「うわっ!? びっくりしたあ!」


 瞬きなんてしていない。なのに気づいたら俺の目の前にはノイエリタンの姿。

 被っていたフルヘルムをいつの間にか外し、素顔の彼女。

 しかも顔と顔の距離はほんの数センチ。彼女の甘い吐息が顔にかかりくすぐったいやら、気恥ずかしいやら、なんとも言えない心持ちだ。


「ねえ、知ってるよね? 私があなたのことどれだけ愛しているか。なんであんな奴を連れてきたの? そんなことしたら私が怒るなんてあなたなら分かってたでしょ?」

「ん、あ、あぁ、す、すまん、俺としたことが、ミスっちまったかな……」


 何故かこいつは俺のことを甚く気に入っているようだ。何故こうなったのかは分からんが、いつからか俺に対する態度がおかしなことになっていた。

 だがなにより彼女の恐ろしいところ、それは――


「でもそれはもういいの。あいつを、魔王をここから排除してくれたから。でもね、それより私が怒ってること分かるかな?」

「え、え~っと、なんだろうな、す、すまん、優しく教えてくれる、か、な?」


 ああ、怖い、怖い、恐ろしい。この後の展開が読める。


「5年前、あなたは私の前からいなくなったよね? 私寂しかったんだよ? ずっと待ってたんだよ? また直ぐに会えるさって言ってたよね? 結婚してくれるって言ってたよね?」

「え? い、いや、直ぐに会えるとは言った気がするが、結婚なんて一言も……」

「言ったよね!!」

「え~、い、言ったかな~、どうだったかな~、5年も前のことだしな~」

「まあいいわ、とにかく言ったの。あなたは私の夢の中で私を優しく抱いて甘くて蕩けるようなキスをしてくれたの。だから私は星の数ほどあった縁談も全て断って、ずっと待ってたの! なのに、なのに、なのに、なのにぃ、なのにぃぃぃ……」


 ゆ、夢の中でキスって……

 い、いや、ここでこいつの言葉を否定したらどうなってしまうかは明白、っていうかもうすでにこいつのお怒りゲージはレッドゾーンへ突入する勢いだぞ。まずい、まずすぎる!


「待て! リタ! 落ち着け! だから今会いに来ただろ!? 今日来たのはだな、お前をだな、連れ去りにきたんだよ!」

「え? 本当に? 私を攫いに来てくれたの? マサオ、私、あなたのこと信じてもいいの?」

「え、あ、あぁ、うん、そうだな、まあ、うん……」

「うれしい! しゅき、しゅき、だいしゅき!」

「あ、あぁ、うん、そだね、ありがとね……」


 もうお分かりいただけたかとは思うが、彼女はそう――


 ――ヤンデレだ。


 それも俺とふたりきりになるとなる。普段は常に仏頂面をしていて、他人との関わりを極力避けるような態度をとっている。

 常にツンケンしているし、特に同性、つまり女性に対しては特にそれが顕著だ。

 だが俺とふたりになるとそれまでの彼女が一変して、突然デレる。ただデレるだけならいいのだが、とにかく圧が凄い。そして約束していないことや実際にしていないことまで、都合のいい様に彼女の頭の中で脳内変換されているのだ。

 何故こんな面倒くさいヤツを日本へ連れていくのか、それはズバリこのノイエリタンはとてつもなく強いのだ。

 多分俺が本気を出したとしても引き分けがいいところ。完全勝利することなどまず不可能な程度にこいつは強い。そしてなにより――


 ――ツラがいいのだ!


 多分見た目だけなら今まで会った女性の中で最も美しい。

 金色の流れるような美しい長い髪。透き通るコバルトブルーの海のように青い瞳、聞くものの心を鷲掴みにする心地良い声色、そして隠しても隠し切れない鼻孔をくすぐる色香。

 もちろんスタイルも抜群だ。身長165センチ、バスト88ウエスト58ヒップ89だと本人が言っていた。聞いてもいないのに、昔毎日のように聞かされていたのでいつの間にか覚えていた。体重は教えてくれなかったのだが。

 ただこの人常にフルプレイトアーマーを装備していて、せっかくの美貌が全くもって生かされていない。そんでもって俺とふたりで話す時は透き通るような声色の癖に、何故か他人がいると物凄いダミ声になる。向こうへ帰ったらこのあたりはどうにかしないとな。


 だが、きっとこんな美人を連れていけば必ずダンジョンは人気が出る! 絶対バズる! 赤字もきっと解消だ。まあ中身はお察しなのだが、まあそこを差し引いてもきっとイケるはず!


「よしっ! じゃあ仲直りもできたことだし、そろそろ行くか! あっ、言い忘れてたけど向こうの世界にお前を連れてきたいんだけどよ、いいか? もちろん用が済んだらこっちへ帰ってこれるようにするからさ」

「私があなたのお願いにノーと答えると思ったの? 何処までもあなたについていくわ。そうね、子供は最低でも5人はほしいわね」

「いや、会話が噛み合ってないんだが…… いや、まあいい。スルーしておこう。あっ! それとな、マリスも一緒に行くからな」

「はあぁぁぁぁぁ!?」

「いや、だからな、いや、リタ、顔が怖い、目が据わってる、ブツブツ独り言唱えるな……」


 この後リタに言い訳するのに3時間ほど要したが、なんとか渋々ながらも俺の事情を分かってくれたのだった。

 そしてこの世界で最後にやり残したこと――


 ――この世界に残してあった忘れ物、俺の荷物を取りに行くこととなったのだった。

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