第9話 魔王国宰相

 魔王城にある執務室の豪奢なソファーに座ったモイラが、床に届かない足をブラブラさせている。

「モイラ様、今日は家庭教師の先生が見える日ではなかったのですか?」

 執務室の重厚な机に座った男性が、魔王ダンゲルの娘であるモイラに話しかけた。

「お父様の消息がわからなくなって結構経つのに、のんびりとお勉強してる気分じゃないわよ、宰相」

 宰相と呼ばれるには、まだ若すぎる外見の男性は上下幅の短いスクエア型の銀縁眼鏡に指を添える。

 眼鏡の奥に見える赤い切れ長の眼が更に細く狭まると、

「魔王様の自由奔放な振る舞いは、今に始まった事ではありませんよ」

 心配する必要がない旨を強調した。

「そりゃあ、今までもしょっちゅう行方知れずにはなってたわよ。でも今回は、玉座の間に人間族の勇者が現れたのよ!勇者が無事ってことはお父様に何かあったって事じゃないの?」

 宰相はオールバックにしている黒髪を片手で軽く撫で付けると、

「万が一にも魔王様が討たれたとして、毎回懲りもせず勇者を送り込んで来る王国が、魔王討伐を発表しないのは不自然ではないですか?それこそお祭り騒ぎでしょう」

「勇者が報告し忘れてるとか…」

「確かに…おたわむれで玉座にお座りになり、覚えたての魔王覇気をうっかり漏らしたモイラ様を魔王様と勘違いし、襲い掛かって来たおっちょこちょいな勇者であれば、それはあり得るかも知れませんね」

 玉座での失態を思い出したモイラは、頬っぺたを膨らませて機嫌が悪くなりましたよアピールを示す。

 その赤い髪の両側から伸びる2本の角の片方は、勇者に切断されたままであり、モイラの生涯に渡る汚点となるであろう。


「あの時の勇者は、玉座にいたのがワタシで驚いていたわ。《アイツに娘がいたのか》とも言っていた…それって勇者がお父様を知ってるってことでしょ?」

「そうですね、そう考えて間違いないでしょう。ですが、魔王様が勇者に討たれたという証明にはなりません」

 モイラは小さな頭を抱え込み、

「夜眠ろうとするとあの時のことを思い出すの!勇者が無表情に振り下ろす聖剣…今でも生きた心地がしないわ」

と負の感情を吐露する。

 その様子を見ていた宰相は、ヘタな慰めはモイラのトラウマを悪化させる可能性があると判断して、話を変えることにした。


「ところでモイラ様、先日宝物庫の点検をしたのですが、3種の魔神器が見当たりませんでした。何か魔王様から聞いていませんか?」

「……いえ、何も聞いていないわ。問題がありそうなの?」

「特には…そもそも、3種の魔神器を持ち出せるのは魔王様だけですから」

 そう冷静に応える宰相の額には、1本の角が生えている。

 魔族の間では、1本角とさげすんだ呼び方をする不届き者が未だに存在している現状だ。

 なぜ蔑まされるのか…それは魔力が少ないから1本しか角が生えないという、迷信に近い言い伝えが残っているからに他ならない。

 逆に、魔力の多さのみを強さの判断基準とする2本角の脳筋魔族よりも、多才な能力を有する者が1本角の魔族には多く見受けられる。

 魔族商として経済的な成功を収めている者には、1本角の魔族が多く存在する。

 その妬みから、差別的発言をする者がいるという逆恨み的な考え方もあるぐらいだ。

 1本角でありながら、魔王国宰相という文官では最高位の役職に就くクランスはその最たる者であろう。

 クランス本人としては、魔王ダンゲルが自由奔放に過ごしたいため、雑務を押し付ける相手として抜擢されたと考えている。

 魔王ダンゲルの行方が不明な現在、魔王国の内政が滞りなく行われているのは、ひとえにクランスの実績に他ならない。

 クランスはその実績は当然の責務と考え、魔王ダンゲルと以前に交わした会話を思い返す。


「クランスよ、魔王国は今後どうあるべきだと思う?」

 クランスが山の様に積まれた雑務を淡々とこなしている最中に、突然執務室に入って来た魔王ダンゲルが問いかけた。

「そうですね、弱肉強食という偏った考え方だけに捕らわれていては、いつか魔族は他種族…エルフ族やドワーフ族、竜人族や鬼人族、ヘタをすると人間族の後塵を拝することになるでしょうね」

「ほう!面白い考えだな。もっと聞かせてくれ」

 魔王ダンゲルが、オモチャを見つけた子供の様な表情を見せて話の続きを催促してくる。

「簡単な事ですよ…足りなければ奪えばいいという略奪者的な考えでは、国家として存続出来ない時代が来るということです」

「人間族の国々も、奪い合いのための戦争を繰り返しているではないか」

「そうですね、同じ種族同士で奪い合うという意味では、魔族よりも人間族の方が愚かであると言えます」

「そうだろう、奴らは魔力も体力も劣っているからな」

 魔王ダンゲルがウンウンと頷く。

「人間族の繁殖力を舐めてはいけません。あれは数の暴力なのです、捕食者が圧倒的な数の力によって獲物から攻撃される事もあるのです」

「どうすべきだと考える?」

 クランスは癖である、銀縁眼鏡のブリッジを中指でクイッと上げる仕草をとると、

「大陸の経済と流通のネットワークを構築し、その一部を担う事が出来れば魔族の存続は可能でしょう。その場合、種族としての純血さは薄れて行くかもしれませんが…」

 実現性は乏しい考えですよと、念を押すことも忘れない。

「他種族と混じり合うということか?」

「種族の垣根を越えたハイブリット化です」

「この大陸において、新しい種族を誕生させるということか?」

「そういう事になります」

 魔王ダンゲルは深く考え込むと、

「魔族の血を薄くしてまで、やる意義はあると思うか?」

 いつになく真剣な表情で聞く。

「他に大陸がないというのであれば、井の中の蛙同士で争っていてもいいでしょう。ですが…もし海を越えて襲い掛かって来れる種族がいたとしたら、弱肉強食の法則ではないですが、この大陸にいる種族は略奪され滅ぼされるでしょうね」

「う~む、にわかには信じられん話だな」

「そうですね…それに手を結ぶには、魔族と人間族の歴史には誤解と偏見が満ち溢れていますからね。よほどの力が働かないと無理でしょう」

「力とはなんだ…魔力か、天変地異か?」

「魔族と人間族が、協力せざるを得ない様な圧倒的パワー。そんなものがあれば、或いは可能になるかも知れませんね」

「フム、面白い話だったクランス。だがこの話はワシ以外にはするな!殺されるぞ貴様」

「しませんよ。こんな夢物語」

「夢物語か!夢を見るのも悪くないかもしれんな」

 豪快な笑い声を残しつつ、魔王ダンゲルが執務室を出て行く残像でクランスの回想は終わった。

 

 我に戻ったクランスが執務室を見渡すと、ソファーにちょこんと座っていたはずのモイラの姿がない。

 相手にされずに飽きてしまったかと、安堵の笑みを浮かべるとクランスは机の上にある書類に視線を戻した。


 モイラは、魔王城の廊下を考え事をしながらトコトコと歩いていた。

 飽きたのではなく、宰相クランスが何気なく口にしたワードが気になって、気がついたら執務室を飛び出していたのである。

「3種の魔神器が見当たらない…確か以前にお父様から聞いたのは、ソード・ゲート・ボックスと呼ばれるものだったはずね」

 スッと、モイラの後ろに影が現れる。

 玉座にいたモイラが、勇者に襲われた時に現れたメイドだ。

「お嬢様、何かお考えが…」

「ええ、ソニー。宝物庫に行くわよ」

「承知致しました」

 魔王の娘であるモイラと、そのメイドたるソーニエールが主従の並びで長い廊下を歩いて行き、次第にその姿が暗闇に溶け込む様に消えて行った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る