第9話 サラ




「起きたか。」


 すぅすぅと響いていた寝息がふと止まった。

 代わりに衣擦れの音が聞こえ、のそりと少女が身を起こす。

 彼女はこちらの声にすぐには反応せず、寝ぼけ眼を擦る。どこか猫科動物を彷彿とさせる動きだ。

 澄み切った碧眼が何度か瞼に覆われた後、漸くそこに俺の姿が映し出された。


「っ!?誰だ!てめぇ!」


 即座に臨戦態勢に移り、殴りかかってくる。

 彼女の『異能』は身体能力も増強する類のものなのか、その拳速は人間離れしている。

 とはいえ、流石に相手が悪い。

 俺は平然と拳を受け止める。

 パシンと空気を破裂させたような音が響き、衝撃波が部屋のカーテンを揺らすが、俺の座る椅子は微動だにしない。


「なっ!」

「寝起きで頭が回らないのは分かるが、少し落ち着け。俺がお前に害を為す気なら寝てる間、幾らでもやってる。」


 自慢のパンチを事も無げに止められ、堪らず息を飲む少女に悠々と告げる。

 あまり手荒な真似はしたくないが、ここは凛花の家だし、暴れるようなら最終手段を取らざるを得ない。分かってくれると助かるんだが。


「・・・・・」


 その祈りが通じたのか、はたまた格の差を実感したのか、彼女の細腕から力が抜ける。

 少女は拳をゆっくりと引き、警戒しながらも次の発言を待つ。

 薄氷を思わせる張り詰めた空気の中、俺は尋ねる。


「現状を説明する前に、お前どこまで覚えてる?」


 その問い掛けに彼女は一度は首を傾けたものの、すぐに劇的な反応を示した。

 

「っ!」

 

 つり上がった目を限界まで見開き、ひゅっと喉を引き攣らせる。華奢な身体を抱く細長い手足は小刻みに震え始め、呼吸が荒くなる。まるで雷に怯える子供のようだ。

 どうやら、思い出したらしい。


「私は・・・・・私は・・・・・!」

「大丈夫だ、今は生きてる。」


 力強い声音で言い聞かせるように諭す。

 自己の死という元来、最も受け入れ難い事象と向き合っていた少女は、その言葉に漸く震えを止める。

 死という終着点の先に、自己がいるのだから、自分はまだ死んでいない。そんな具合に、上手いこと心理的な逃げ道を作ることが出来たみたいだ。


「思い出したなら、もう分かったと思うが、お前を助けたのが俺達だ。この部屋に連れてきたのもダンジョンに放置できなかったから。」

 

 彼女の息が整ったのを見計らって、現状の全てを説明する。

 すると、下から窺うような青の眼差しが僅かに剣呑さを帯びた。


「達って事は他にもいるの?」

「もう一人だけな。でも、敵じゃないから手を出すなよ。」

 

 言い含めると、少女は「ふん」と鼻を鳴らして、敵意を引っ込める。

 本当に野生動物みたいな奴だな。今の従順さも狼みたいだし。

 

「それで何が目的?金?それとも体?」

「どれでもねぇよ。後悔したくないから助けただけだ。」

「何それ?意味わかんない。」

 

 片目を眇め、少女は不可解そうな表情をする。


 まぁ、それが普通の反応だよな。

 世の中、無償で誰かを助けるような善人ばかりじゃない。見返りを求めない救済なんて早々信じられない。特に暴力と犯罪、謀略の渦巻くこの島じゃ尚更。

 でも、これが俺の偽らざる本音だ。自重を決め込んで、悶々と鬱屈を募らせるより、心の赴くままに人を救う方がずっと清々しい。

 

「お前、名前は?」

 

 ふっと不敵に微笑み、すっかり拗ねた様子の少女に名を尋ねる。

 

「サラ。サラ・グレイス・ウィリアムズ。」

「それなら、サラ、俺達の仲間になるつもりはないか?」

 

 憮然とした声と対照的な穏やかな声で勧誘する。

 

「今回の件で一人でダンジョンに挑むのがダンジョンがどれだけ危険か分かっただろ?このままだといずれ同じ目に会うぞ。」

「だから、あんたの仲間になれって?」

「別に俺じゃなくても良いけど、俺なら確実にお前を守ってやれる。」

 

 一人で挑むのが危ないと説いておきながらアレだが、ダンジョンの魔物は俺の敵じゃない。

 凛花やサラがいた状態でも圧倒するのは楽勝だ。

 湖面のような碧眼と真摯に目を合わせ、力強く断言する。

 だが、そう簡単に信頼を勝ち取る事は出来ないらしい。

 

「その言葉を信じて、鉄砲玉にされた奴を私は何人も知ってる。あんたも私の『異能』が目当てなら、はっきりそう言いなよ。」

 

 失望を滲ませた表情で吐き捨てる。

 その姿は大人に何度も裏切られた子供そのものだった。

 きっと待ち望み続けていた言葉をこそ、跳ね除け続けなければ、生きていけなかった彼女の境遇にずきりと胸が痛む。


 俺は自分が何を見捨てようとしていたのかを再確認し、目を伏せる。

 その上で、大人として為すべき事を決然と見据えた。


「いや、そういうのじゃない。お前、弱いし。」

「は?」

 

 たとえ、その過程で虎の尾を踏むことになったとしても。





 

 

「それでどうして私が戦うことになるのかしら?」

 

 豊満な胸の前で腕を組み、半眼でこちらを睨む凛花。

 その眼差しには怒りと言うよりは呆れが色濃く滲んでいる。

 

「さっきも説明した通り、弱いかどうか模擬戦で確かめてみることになったからだな。」

「だから、それでなんで私が戦うのよ。普通、喧嘩を売った貴方がやるものでしょう?」

「いひぁ、ひょうしのって、おれのでしにもかてないっていったら、こうなっちゃって。」


 むぎゅりと頬を引っ張ってくる凛花に、呂律の回らない答えを返す。勇者とは思えぬ無様な有様だが、巻き込んだことへの謝罪を兼ねて、甘んじて受け入れる。


 暫くすると、溜飲が下がったのか、凛花は溜息をつき、頬から手を離す。そして、きょろきょろと辺りを見回しているサラの方へと向き直った。


 サラがしげしげと見つめているのは、無貌の空間。

 アレクシアが俺を呼び出した境界線の世界に似ているが、ここには四隅が有り、四角いブロック状の空間であるのがわかる。

 

「ここは?」

「俺の作った空間だな。戦っても怪我したり、死んだりしないようにしてある。」

「もう何でもありね。」

 

 そう肩を竦める凛花の横顔は不思議と嬉しそうだ。

 

「一応、聞いておくけれど、勝っても良いのよね?」

「勝つ気?」

「えぇ、勿論。」

 

 黙って聞いていなかったサラがきつく睨みつけるも、凛花は怯むことなく応じた。


 相反する色合いの視線が交錯する。

 互いを威嚇するように両者の体から魔力が放たれ、一触即発の空気が漂う。


 俺が数歩後ろに下がって距離を取ると、二人はごく自然に戦闘態勢へと移行した。


 片や腰を落とし、獣のように身を低くする。

 片や構えを取らず、それでいて隙のない自然体。

 最早、問答は不要であった。待ち侘びるのは戦いのゴングだけ。

 

「それじゃあ、始め!!」

 

 戦いの火蓋が切って落とされる。




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