第8話 見捨てたもの






 初日の売上は、日本円にして50万円にも上った。

 尤も、為替の影響を受けているので、暫定的なものになるが。

 それもフィルから円へと移動するのではなく、一旦、ドルを介して移動してのものだ。


 というのも、フィルという通貨は、ドル建てでしか決済出来ないのだ。


 まぁ、理由は何となく想像が着く。

 アメリカのドルの価値を磐石なものにする為だろう。

 ワシントン・リヤド密約で、石油とドルの関係性を深め、国際社会におけるドルの価値が急落しないようにしたみたいに、新エネルギーと見込まれる魔石やドロップアイテムとドルを紐付ける事で、ドルの価値を担保しようとしたんだろう。


 少し敷衍ふえんして話すと、先ず、この島の取引は全部、フィルによってやり取りする事が義務付けられている。

 魔石やドロップアイテムの取引も、当然、フィルが用いられる。

 もしも、魔石やドロップアイテムが欲しいと思う人がいるのなら、お金をフィルに建て替えなければならない。


 この時、日本政府は、フィルを立て替えられる通貨をドルに限定している。

 つまり、フィルが欲しいなら、先ずはドルを買う必要性がある。


 これは、間接的に魔石やドロップアイテムが欲しいのなら、先ずはドルを買え、と言っているようなものだ。


 では、何故、こんな事をするのか。

 基軸通貨であるドルの価値を維持する為だ。


 当たり前だが、ドルの価値を決めるのは、アメリカの経済圏に対する需要だ。アメリカの作る商品やサービスが、ドルでしか買えないから、様々な対価を支払ってまでドルを求める訳だ。


 そして、求められているからこそ、アメリカは横柄に振る舞うことが許される。逆らうなら、もう二度とドルを使わせないぞ、と脅しに使うことも出来るのだ。


 だが、ドルの価値が落ちれば、アメリカは発言権を失う。これまでのように経済制裁も出来なくなるし、ドルを武器として使用出来なくなる。BRICSのようなドルの後釜を狙うものがいるのなら尚更。


 そうならないように、世界を一変させる可能性のある魔石やドロップアイテムとドルを繋げた。

 新技術の到来で、国力に開きが生まれることを恐れる様々な国家が、否が応でもドル経済圏に参入せざるを得なくしたのだ。


 これで引き続き、ドルは世界において唯一無二の存在でいられる。その為に、この島を利用している。


 まぁ、裏を返せば、フィルの価値は、魔石やドロップアイテムだけでなく、ドルと変換可能という事実でも担保される訳だから、急落する可能性はかなり低くなる。

 持ってる側としては、慌てて円に変えたりする必要性も無いし、楽で良いが。


 こういった国家規模の利権も動いているので、探索者は1日50万円稼ぐ事も決して不可能ではない。

 単純計算で1ヶ月、1500万。

 これだけあれば、進学費用としては充分だろう。

 それ以降は店を畳めば良い。


 この時の俺はそう考えていた。





 商売を始めてから1週間、俺達は毎日、午前中はダンジョン探索、午後は露店通りでポーションを売る生活を続けていた。

 そして、今日も、ダンジョンを探索していた。


「あ゛あ゛ああぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 通路の奥から濁音混じりの悲鳴が反響してきた。

 示し合わせたように俺と凛花は顔を見合わせる。


「今のって悲鳴?」

「あぁ、急ぐぞ!」


 掛け声と共に勢いよく駆け出した。

 音のあった広間へと到達すると、噎せ返るような血の匂いが鼻を突く。

 その異臭の源には、20を超える魔物の群れが群がり、ぐちゃぐちゃと捕食音を立てている。


 沢山の魔物の脚の向こう側に、微かに見えたのは、血溜まりの中に倒れ込む人の姿と凛花と同じ白の制服。

 刹那、戦慄と憤怒が脳天へと駆け上った。


「死ね。」


 腕を差し出し、ギュッと拳を握りしめる。

 すると、魔物は一点に吸い寄せられ、一つの肉塊へと圧壊される。

 魔物同士の境界線を無くした結果、無理矢理一つの存在になったのだ。


「ちっ!」


 滑り込むように倒れている人の元へと。

 しかし、その惨状を目の当たりにして、俺は思わず舌打ちした。

 身体の至る所を食い千切られ、内臓がはみ出し、喉を食い破られている。

 もう死んでいる、と一目で分かった。


「・・・・・その子って、学校ですれ違った時の?」


 真っ青に染まった唇で、ぽつりと言葉を零す凛花。

 俺は無言で頷いた。

 鮮血に濡れる銀の短髪、光を宿さない虚ろな銀瞳、人形のような顔立ちは死して尚、美しい。

 俺が、探索者登録を済ませに行った日にすれ違った少女だ。


「みたいだな。」


 吐き捨てるように言う。

 忸怩たる想いが、堰を切ったように、胸の奥から込み上げて来る。

 俺は、あの時、この子の命を見捨てたのだ。

 まだこちらの世界に戻って来て、日が浅いから、手を出すべきではない、と一丁前の良識を振りかざして、守るべき子供の命を保護しようとしなかった。

 勇者である、この俺がだ。


「いや、まだ何とかなる。」


 自分に言い聞かせるように、決然と言い放った。

 素早く足を折り畳み、冷たくなった少女の頬に触れる。


「【遡切の理】」


 少女の肉体から、魔物から受けた傷を排除。

 肉体を健常な状態へと戻す。


「何をする気!?」

「甦らせる。魂がまだここにあるなら、何とかなる。」


 魔法学における『生』とは、高次元の情報体と低次元の情報体が密接に絡み付いて、離れていない状態を指す。

 例えるなら、火が燃えているようなものだ。火が燃えている時、そこには概念としての『火』と物理現象としての火が重なった状態にある。


 死とは、物理現象としての火が消え、『火』という概念が分離してしまった状態の事を言う。

 つまり、肉体が死んで、『魂』が分離してしまった状態だ。


 ただ、もう一度、肉体と魂を繋ぎ合わせる事が出来るのなら、その人間は蘇ることが出来る。

 尤も、現在の魔法学でも、『死の克服』は不可能だと考えられているが。

 唯一の例外は、この俺の『理を司る魔法』のみ。


 俺は手刀を作って、自らの腕を貫き、大量の血を流す。

 零れ落ちる鮮血が、白雪のような少女の肌を紅く染め上げ、汚していく。


 繋ぎ目を失った魂と肉体を繋げるには、媒介として俺の魔力が必要になる。それも一時的なものではなく、完全に癒着するまでの期間、残り続けられるものでなければならない。

 その最適解が、俺の血液だった。


「・・・・・止めない方が良いのよね?」

「あぁ、これは後で治る。そう辛そうな顔をするな。」

「心配するわよ。腕に穴が空いてるんだもの。」


 憂うように目を伏せる。

 心労を掛けて悪いと思うが、それでも辞めるという選択肢は俺には無い。

 我が身可愛さに誰かを見捨てるのなら、それは勇者などではない。単に神に選ばれただけの処刑人に過ぎない。

 真の勇者とは、救うべきものに手を差し伸べてこそ、勇者足り得る。


「【救生の理】」


 俺は、今度こそ少女へと向き直り、彼女を救う為の言葉を口にした。


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