第7話 魔法






 更に1週間が経過した。


「はぁぁぁ!!」


 深紅の長剣が軌跡を描く。

 鋭い斬撃が魔物の首に深々と切り裂き、撫で切りにする。

 そのまま勢いを殺さず、基礎に忠実な足捌きで身体の位置をコントロールし、靱やかな肢体を躍動させる。

 さながら舞うように剣を振るい、次々に魔物を屠っていく。


(随分、強くなったな。)


 怖気付くことも無く、魔物と戦う凛花の様子を見て、俺は満足気に頷いた。

 始めこそ一体倒すのに手こずっていたが、普通に倒せると悟ると、難なく魔物を倒し始め、今となっては、複数対一でも圧倒している。


 そんなに簡単に、心的外傷トラウマから立ち直れるのか、という疑問を持つかもしれないが、PTSDの大部分は時間が経てば、自然に回復する。

 敢えて、修行期間を設けたのは、慢性化しないように大事を取って、時間を置いたという側面もある。


(そろそろ終わりそうだな。)


 そう予期した時、凛花は高らかに跳躍。

 背中に鮮血の翼を顕現させ、大きく広げる。そして、地を這う魔物たちへと血の弾丸を射出した。

 驟雨しゅううの如く降り注ぐ弾丸に撃ち抜かれ、魔物達は1体、また1体と地面にたおれ、全滅する。


「終わったわ。」


 俺の手前に着地した凛花は、横髪を靡かせながら、報告する。少し得意げなのが、微笑ましい。


「お疲れ。何か飲むか?」

「えぇ、お願い。」

「はい。」

「・・・・・何かしら?これは。」


 手渡されたペットボトルを見て、凛花は薄い頬を引き攣らせる。

 ペットボトルには、如何にも健康に悪そうな青紫色の液体が入っている。円を描くように少し振ると、どぷりと水面が重たく波打つ。

 少しゲル感があって、気持ち悪い。

 そう思いながらも、凛花の問いに答える。


「回復用の魔法薬。ポーションって呼ばれ方をする事もある。」

「・・・・・なんだかゲームのアイテムみたいね。」

「似たようなものだ。さっ、1口どうぞ。」

「どうしましょう。凄まじく要らないのだけれど。」


 手を差し出して促すと、凛花は今にもペットボトルを放り捨ててしまいそうな雰囲気を醸し出す。露骨な対応だな。まぁ、気持ちは分かるが。


「そもそもこれって飲めるの?」

「あぁ、健康に害は無いぞ。余程、酷い怪我じゃなきゃ、これ1本で直ぐに治るし、疲労回復の効果も有る。」

「効きすぎよ。逆に怪しいわ。というか、一体、どんな原理が働いてるのかしら?」


 疑るように眉を顰めながら、ペットボトルを一瞥する凛花。

 そのひょんな一言に、俺は、ハッとさせられた。


「そういえば、魔法の使い方は教えたけど、『魔法』がどういうものなのかは、教えてなかったな。」


 数学の公式や化学の公式と同じで、定型さえ知っていれば、詳細な原理が分からずとも、魔法は使用出来る。なので、『魔法』と『科学』の違いなどは後回しにしていた。

 「知りたいか?」と視線だけで確認すると、凛花は無言で首肯する。

 それなら話すか。


「『魔法』は、低次元の情報体が集まって生じる事象じゃなくて、高次元の情報体が魔力と結び付いて、下位の情報を補完しながら生じる現象。っていうのが正式な考え方なんだけど、意味分からないよな?」

「さっぱりね。」

「素直でよろしい。」


 分からないなら、分からないって言って貰えるのは本当に助かる。

 頭の中で情報を整理して、一つ一つ掻い摘んで説明する。


「高次元の情報体っていうのは、『概念』とか、『魂』とか、そういった『存在そのもの』の事だ。下位の情報体は、高次元の情報体を成り立たせる小さな要素の事を指す。例えば、『俺』という存在は、手や足、頭、腕なんかの色々なパーツで構成されてるだろ?」

「そうね。それ等全て合わせて、貴方だわ。」

「そう。もっと言えば、俺はそれより小さな細胞の集合体だし、分子や原子の集合体でもある。その小さな要素が集まって、俺という大きな情報体が出ている。」

「つまり、ピラミッドみたいに、貴方という存在を頂点にした時、その下には、その存在を成り立たせる様々な要素が存在するって事で良いかしら?」

「その通りだ。」


 飲み込みが早くて助かる。


「大事なのは、この順番だ。普通なら、細胞があって、頭とか手足があって、俺がいる。そういう順番になる。」

「まぁ、そうね。」

。俺という存在が先にあって、そこに至るまでの過程が生み出される。」

「・・・・・言ってる意味が分からないわ。それだと、肉体も何も無いのに、貴方は存在していることになるじゃない。」

「そう言ってるんだよ。だから、魔法学においては、肉体と魂が別々に存在する。」


 青白い炎みたいな塊でも、霊的な何かでも構わないが、兎に角、『魂』とは、肉体とは異なる存在だ。

 そうする事で、具体的に世界に生まれるよりも先に、自分を世界に作り出す事が可能となる。

 概念だって同じだ。物理現象としての火と概念としての『火』が存在する。


 究極的に言えば、『高次元の情報体』とは、物理世界の範疇に囚われなくなった『概念』などの存在の事であり、『低次元の情報体』とは物理世界に存在する全ての存在の事を言う。


 つまるところ、『魔法』というのは、『火』という概念と魔力が結び付いた時、実際に物理世界でも火を引き起こしてしまう、という現象の事だ。


 これを別の角度から見れば、『火が起こる』と決まった後に、『物理現象としての火』が用意されている事になる。


。今回のポーションもそう。何かしらの原理が働いて、治るんじゃない。『怪我が治る』という結果に向かって、そこまでの過程が生み出される。その為なら、物理法則そのものさえ塗り換える。それが魔法だ。」

「・・・・・無茶苦茶ね。」

「ははは、まぁ、そうは言っても、魔法も全能って訳じゃない。実際、触れてみると、色んな制限があるし、もう1つの科学ぐらいに思っていれば良いさ。」


 長広舌ちょうこうぜつを振るったせいか、喉が渇く。

 俺は手を差し出して、凛花からペットボトルを受け取ると、蓋を開けて、中のポーションをごくりと飲んだ。

 少し酸味のある味わいが口の中へと広がる。


「ふぅ。」

「・・・・・」

「ははは、そんな正気を疑うような顔をするなよ。ほら、飲んでみろ。意外と美味しいぞ?」


 飲みやすいように味も変えてある。

 訝しむようにペットボトルを受け取った凛花は、ペットボトルの蓋をじっと見詰めて、ごくりと生唾を飲む。

 少し様子が可笑しいが、多分、好奇心のせいだろう。


 俺が呷るような仕草をして促すと、ままよと言わんばかりにペットボトルに口を付けた。

 ごくりと小気味よい音がか細い喉から鳴る。

 すると、深紅の双眸が驚きに見開かれた。


「・・・・・美味しい。」

「だろ?」


 手間をかけた甲斐があったな。

 頬に朱色を差して俯く凛花に、俺は言う。


「それ、売り出そうと思ってるんだよ。」

「これを?」

「そう。お金が必要って言ってただろ?それなら、素材を売るより、自分達で何か作って、売るのが一番手っ取り早い。」


 鉄よりも、車の方が高く売れるように、付加価値が生じるからだ。


「お誂え向きに、この島には『特区』が有る。ややこしい手続きを踏む必要性が無いしな。」


 凛花は顎に考え込む。

 ただの学生に過ぎない凛花だが、人任せにして、思考を放棄しないのは立派だ。


「・・・・・因みにだけれど、このポーションは何から出来ているの?」

「この辺りの魔石から魔力を抽出して、少し手を加えたものだ。」

「それなら殆どお金も掛からないわね。」


 交錯する視線。

 そこには力強い意志の光が瞬いている。

 あとは言葉は不要だった。






 『特区』は、天浮島の西側にある経済特区の事だ。

 天浮島自体が事実上の経済特区と言われる程、様々な規制が緩かったりするが、それでもドロップアイテムの売買は禁止されている。


 理由は単純明快。何が起きるのか、全く予想出来ないからだ。

 もしかすると、半径数百mを吹き飛ばす爆弾かもしれない物を、街中で売買させることを許可する訳にはいかない。

 そうでなくとも、ドロップアイテムは科学的に安全性を全く保証出来ないのだ。

 規制が緩いと言っても、限度が有る。


 しかし、特定の専門機関で鑑定した後で、市場に卸すのでは、時間が掛かるし、何より軍事転用の可能性が示唆されているドロップアイテムの流通を日本側に握らせる事になる。

 まぁ、後者は俺の憶測だが。


 兎に角、日本は、競争原理が正しく働かせ、ドロップアイテムの解析を促進させる事を名目に、ドロップアイテムの売買が可能な区画、『特区』を制定した。


 その『特区』の中で、俺達が商売の場所として選んだのは、露店通り。

 そこで路上販売をしようという事になったのだが、


「・・・・・凄い人集りだな。」

「えぇ、お祭りみたい。」


目の前の景色に圧倒されてしまっていた。

 数百m先まで続く歩行者専用の幅広い通路。その両脇に露店がずらりと並び、節操のない商品を陳列する。

 残りのスペースは行き交う無数の人々が所狭しと埋め尽くしている。

 ガヤガヤと聴こえてくる猥雑な喧騒も相俟って、凛花の言うように、何かしらの大きな祭りを想起させられる熱気だった。


「良し、頑張るか。」


 呆けていたのも束の間、俺はパンと顔を叩いて、気合いを入れ直す。

 すると、凛花も遅ればせながらに頷いた。


 空いたスペースへと移動し、シートを敷く。

 そして、俺はその中心で粛々と様子で正座をした。

 その傍らには凛花を立たせ、『腹切上等』の四文字と『これを飲めば、即座に回復!』の謳い文句が書かれた立て看板を立てる。


 普通に売っても、多分、気づいて貰えないだろうから、他の人がやらないような事をして、何をしているんだろう、と興味を持って貰う戦法だ。


(いざとなったら、本気でやれば良い。ポーションのいい広告になるし。)


 凛花には言わなかったが、そのぐらいの覚悟だった。


「おい、何やってんだ?今にも腹を斬りかねない顔してるぜ?」


 その覚悟のお陰か、一人の男が足を止める。

 射抜くような鋭い目付きが特徴的な、30代ぐらいの日本人の男で、その腕には包帯が巻かれている。どうやら何かしらの傷を負っているようだった。


「商品が売れなきゃ、実際にやってみるところでしたよ。」

「そいつはクレイジーだな。そんで何売ってんだ?」

「その腕の傷を治せるものを。」

「・・・・・こいつを?冗談だろ?」

「なら、試してみますか?効き目が無ければ、料金は支払わなくても結構ですので。」


 緊張で声が震えないように、丁寧に言い放つ。

 ポーションの質には自信が有る。

 だから、1人目の客、それを物に出来るか、出来ないかで、これからの売れ行きは大きく変わる。

 その重圧感が背筋を寒くし、脈拍を早くする。


 男は、品定めするような無遠慮な目付きでこちらを見下ろしつつ、意味深に顎髭を擦った。


「良いぜ。乗ってやる。」

「それでは、こちらをどうぞ。」


 高級感のあるボトルに入ったポーションを手渡す。

 何の躊躇も無く、男はポーションを飲み干した。

 すると、光り輝く白の燐光が包帯の巻かれた腕に集まり、弾けて消える。


「・・・・・」


 無言のまま、包帯の巻かれた腕に触れる男。その双眸は驚きに見開かれ、若干の剣呑さすら孕んでいる。

 そして、ゆっくりとこちらへと首をもたげ、厳かに聞く。


「これ幾らだ?」

「・・・・・3000フィルです。」

「買った。全部貰おう。」

「お断りします。」


 「えっ!?」と隣に立つ凛花が驚愕の視線を向けてくるが、構うことなく、言葉を続けた。


「だって、転売する気でしょう?」

「ふはははは!見抜かれたか!」


 特に証拠があった訳でも無い、無礼な発言を、全く気にせず、腕を組んで呵呵大笑する男。一見すると、闊達として良い男なのだが、その裏には明確な策謀を兼ね備えていた。

 要するに、とんでもない狸と出会でくわしてしまったらしい。


「それじゃあ、今回の分の料金と俺の電話番号を渡しておく。金に困ったら、連絡しろ。あぁ、それと値段はもっと高くしとけ。じゃねぇと、変な客が寄ってくるぞ。」


 それだけ言うと、料金よりも遥かに多い金額の札束と名刺を置いて、男は颯爽と去っていく。

 嵐の過ぎ去った後のような静けさが、俺と凛花の間を漂う。

 そして、凛花が口を開く。


「・・・・・1個500フィルの予定じゃなかったかしら?」

「そのつもりだったんだがな。」


 どうやら、まだまだ商売に関しては勉強が足りないらしい。

 1人目の客が来たお陰か、やり取りを見ていたのか、男が去ってからも客足は途絶えることなく、ポーションは、1個4000フィルで完売した。





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