第3話 人と獣とを分かつ所以




 2024年、世界にダンジョンが現れた。

 場所は日本の領海。沖ノ鳥島を巻き込むようにして、島ごと出現した。

 排他的経済水域維持のために、沖ノ鳥島を保護していた日本は、当然のように、島の占有権を主張。

 幾つかの国に「自分達で作って埋め立てたのではないか?」と言われながらも、新しく生じた島を『天浮島あまのうきしま』と命名し、自国の領土とした。

 この時は、まだ不可思議な現象が起こった程度の話でしか無かった。


 問題が起きたのは、天浮島に付随していた巨塔──後に『天浮橋あまのうきはし』と命名され、俗名『ダンジョン』と呼ばれる施設を調査した時だ。

 ダンジョンに入った人々は、まるで新しい理に触れたように、超常現象を操る力──『異能』を手に入れた。


 またダンジョン内部には、『魔物』と呼ばれる物理法則に反した怪物が多数棲息しており、それ等を倒すと、『魔石』と呼ばれる青い結晶体と魔物の肉体の一部を落とす事が発覚した。


 調べると、この魔物の身体の一部には、魔物の異能の力が込められていて、魔石も火に反応して酸素を必要としない特殊な燃焼反応を引き起こすことが判明し、そのエネルギー量も石油を超えることが分かった。


 この時、利権が、世界が動いた。

 『天浮島』の調査を名目に、アメリカや中国、様々な国家が、日本に働き掛け、『天浮島』を事実上の経済特区に認定させた。

 そこからは雪崩込むように世界中の様々な人が、企業が、異能や魔石、『魔物の落し物ドロップアイテム』を求めて、天浮島へと殺到した。


 そういったムーブメントの中で、ダンジョン探索を生業とする人を『探索者』と呼び、一つの職業として世間と認知されていった。


 そして、現在、2034年、『天浮島』はこの世で最も栄えている都市となった。






「なんというか、壮大な話だな。」


 最新型の携帯端末だと言うMRデバイスを操作しながら、俺は独白する。

 現実に起こっている以上、馬鹿馬鹿しいとは言わないが、何分なにぶん国家単位の話なので、実感するのが難しい。


「ふふふ、世界を救った貴方がそれを言うの?」


 口元に手を添えて、クスクスと喉を鳴らす凛花。

 彼女には、異世界に行って、世界を救ってきた事は伝えてある。普通、信じられないような話なのだが、彼女はあっさりと信じてくれた。

 まぁ、証拠はあったし、こっちの世界も、こんな様変わりしてるなら、そんな事も有るだろってなるよな。


「言いたくもなる。時間の流れも微妙に違うし。」

「でも、浦島太郎みたいにお爺ちゃんにはならずに済んでるんだから良かったじゃない。パッと見、私と同じくらいよ?」

「女神の加護が有るから、老化の進行が遅いんだよ。」


 俺の少しズレた回答に、凛花は、「流石、勇者様ね」とおどけるように、肩を竦めた。

 随分と柔らかな反応なのは、彼女が信頼する相手には、心を開くタイプの人間だからだろう。


(・・・・・それにしても、これからどうするか。)


 俺は凛花から目線を外し、考え込むように天井を眺める。ここまでこっちの世界が変わってるのなら、生き方とかもかなり変わってくる。

 そんな俺の心の動きを洞察するように、凛花は問う。


「ねぇ、これから貴方はどうするつもり?」

「取り敢えず、お前との契約をどうにかするつもりだ。こんな奴隷契約みたいなもの、俺は認めない。」

「それって直ぐにどうにかなるものなの?」

「・・・・・正直、かなり時間が掛かる。」


 魔法契約は、魂と魂の間に結ばれた強力な契約だ。

 当然、そこに伴う強制力も強く、契約違反者は非常に重たい罰が課され、最悪、灰すら残さずに消滅する。

 しかも、その強制力の強さが外部にも向けられていて、簡単に契約を破棄したり、解除したりすることが出来ない。

 下手に手を加えようとすれば、かえって状況が悪化する事になる。


「その間の行く宛は?」

「・・・・・無い。」


 弱々しく答える。

 侘しいが、勇者と言えど、収入が無いので無職だ。何かしらの職に就く必要が有る。

 すると、凛花は、我が意を得たり、と不敵に笑った。


「それなら、私と一緒に探索者にならないかしら?」


 期待の光を瞳に煌めかせて、晴れやかな声で誘う凛花。豊満な胸に当てられた手は、胸の高鳴りを抑えているようだった。

 麗しい美人からの勧誘。普通なら嬉しい筈のものだ。

 しかし、俺の表情は露骨に曇った。


「・・・・・お前、年齢は幾つだ?」

「15歳だけれど、どうかしたのかしら?」

「・・・・・まだ子供じゃないか。」


 こちらの様子を訝しみながら、窺うように凛花が答えると、俺は頭痛を抑えるように額に手をやり、悄然と溜息を吐く。


「・・・・・馬鹿にしているの?」


 期待の表情から一転、凛花は突き飛ばされたような顔をした後、怒髪天を衝く。

 全身の毛を逆立てるように背筋を伸ばし、眼光を鋭くする。瞋恚の炎を可視化させる双眸は、裏切られたと何よりも強く憤怒を物語っていた。


「言い方が悪かったのは認める、すまない。ただ、自分が未成年であるということには理解を持って欲しい。」

「それがどうかしたの?探索者には年齢制限なんて無いわよ。」

「そこが可笑しいんだよ。」


 有無を言わさぬ語気に強制的に割り込む。


?日本は一体、いつから少年兵を許容するようになった?」


 下手をすれば、凛花の怒りの数十倍にも匹敵する万斛ばんこくの憤怒を込めて、吐き捨てる。


 俺が異世界に勇者として選ばれた時、異世界の軍人達は、俺が18歳になるまでは決して戦場に送り出そうとしなかった。

 それが最低限、人道的な処置であり、人と獣とを分かつ所以ゆえんであると理解していたからだ。


 思わぬ指摘をされた凛花は目を白黒させて、口を噤む。そして、愛らしい口を何度か開閉させ、詰まりながらも弱々しい反論する。


「戦場って・・・・・言い過ぎじゃないかしら?確かにダンジョンの中は危険だけれど、人同士が殺し合ってる訳じゃないわ。」

「だとしても、死の危険性がある。お前だって、ダンジョンがどういう場所か、嫌という程、分かってる筈だ。」


 情け容赦なく、人が死ぬ。

 どれほど悲痛に泣き喚いても、どれだけ必死に神に祈っても、決して魔物は止まってくれない。無慈悲に殺されるか、或いは死より凄惨な生き地獄を味わう羽目になる。

 生きたまま、四股をもがれ、喉を潰され、目をかれ、五臓六腑を食い荒らされる。

 挙句、亡骸なきがらは地上へと戻らず、誰にも知られることなく消えていく。


 ダンジョンとは、そういう場所だ。


 例え、相手が魔物であったとしても、本来、子供を送り出して良い場所では無い。

 それを法律で禁止しないなんて、頭の螺子ねじが2、3本外れているようにしか思えない。


 図星なのか、うっと言葉を詰まらせる凛花。

 しかし、本質的には納得いっていないのだろう。右往左往する視線が、どうにか反論を探していた。

 俺はそれに苦笑し、大人げなかったか、と少し自省する。


「──なんて、異世界から戻ってきたばかりの俺に言われたくないよな?俺は何もしてやれなかったのに。」


 張り詰めた空気を茶化すようにおどける。

 しかし、目だけしっかりと合わせ、他の誰かではなく、凛花に語りかける。

 日本という非常に安全な国に生まれた凛花が、何故、探索者なんて危険な職業に就いているのか、俺は知らない。

 それでも、彼女の反応を見るに何らかの事情があったのだろうと推察出来る。

 ただ、やっぱりそれは、本来、国が何とかしなければならない問題であり、未成年の彼女が自己責任で身を危険に曝して、解決するような事じゃなかった筈なのだ。


「ただ、これだけは覚えていて欲しい。自分は本当に危険なことをしているんだって。」


 ──だからこそ、俺は怒っている。

 彼女の犠牲を、最も弱い立ち位置にある子供の犠牲を許容する社会に。

 お前らに矜恃は無いのか、と憤懣ふんまんるかたない想いを募らせている。


 真摯な声で、凛花に訴えると、彼女は子供のように俯きながら「分かったわ」と承諾した。


「説教臭くて悪いな。勧誘の件だが、喜んで受けさせてもらう。」


 安堵するように肩を落とした俺は、立ち込める暗雲を吹き飛ばすように、努めて明るい声を出す。暗い雰囲気のまま話したくなかったからだ。


「・・・・・そう。それなら貴方の分の入学手続きをしないといけないわね。」


 心優しい事に、凛花もそれに乗ってくれた。その気丈さに感謝しつつも、俺は訝しげに首を傾げる。


「入学?」

「えぇ、探索者になるには、資格なんて必要ないけれど、手続きなんかには手っ取り早い証明が必要になるでしょう?だから、探索者系の学校に入学して、学生証を貰うのよ。」

「ちょっと待て、なんで学校なんだ?そういうのは国が取り仕切るんじゃないのか?」


 探索者が銃で武装出来る以上、それは事実上の傭兵であり、国家がある程度管理するべきものだ。

 だと言うのに、何故、学校なんだ?

 しかし、凛花も良くは知らないのか、首を横に振り、長い髪を揺らす。


「さぁ。でも、入学すること自体に年齢制限なんて無いし、登録も簡単だから、貴方でも入学出来るわよ。それに色んな特典もついてるから、何処かの企業に属していない人は大体、利用しているわね。」

「特典って例えば?」

「・・・・・そうね。魔石の買取とかかしら。結局、探索者も商売だから、魔石やドロップアイテムの買い手がいないとお金を稼げないわ。でも、そういった買い手との伝手が無い人でも、学校側が魔石を買ってくれるから、安定的にお金を稼ぐ事が出来る。」

「最低限の保証があるって事か。」


 俺の呟きを肯定するように凛花は頷く。

 細い顎先を指で摘む姿は、怜悧な雰囲気が有り、様になっている。


「他にも『特区』で出店しやすくなったり、企業からスカウトがあったり、色々あるわね。」

「・・・・・その『特区』に関しては今度、ゆっくり聞かせて貰うとして、取り敢えず、お得なんだな?」

「えぇ。」

「分かった。それなら明日、登録しに行こう。」


 ここで迷っていても仕方が無い。多分、登録前にも説明があるだろ。

 そう考えた俺は、凛花の提案を安易に受け入れた。

 その時、微かな胸騒ぎがしたが、それさえも乗り越える覚悟で前に進む事を選んだ。





「さて、そろそろお暇させて貰うか。」


 今後の方針を固めると、俺はその場から立ち上がり、凛花の家を去ろうとする。

 しかし、凛花がキョトンとした顔のまま、呼び止めた。


「お暇するって、貴方、帰る家が有るの?」

「無いけど、一晩くらいどうにでもなる。最悪、カプセルホテルとか有るだろ。」

「有るけど、お金無いでしょ?ここじゃ円は使えないわよ。」

「は?ここ、日本だろ?」

「そうだけど、この天浮島ではフィルっていう紙幣を使うの。」


 「こういうの」と言って、凛花が長財布から取り出したのは、見た事のない紙幣だった。

 タクシーに乗ってきた時は、凛花が電子マネーで済ませていたので気が付かなかったが、どうやら本当に日本円は使えないらしい。

 想定外の事態に、俺は顳顬こめかみに汗を垂らす。


「それに本土の方ほど治安が良い訳じゃないから、外で一晩過ごすのは危ないわ。」

「・・・・・俺は勇者だぞ?」

「往生際の悪い勇者はかっこ悪いわよ?」


 射抜くような視線を浴びせかけ、薄い唇から溜息を吐く。そして、断固たる声音で命じる。


「暫くは、ここに泊まりなさい。」

「・・・・・いや、待て。流石に未成年の女性と同じ部屋で寝泊まりするのは不味い。」

「それなら、私だって、命の恩人をみすみす危険に曝すなんて出来ないわ。それに神に選ばれた勇者様なら、間違っても未成年に手を出したりしないでしょ?だから、安心しても大丈夫な筈よ。」


 うぐっと呻く俺。

 揚げ足取りな論調だが、否定は出来ない。

 ここで否定すれば、俺は未成年に手を出してしまう人物である事を肯定することになってしまう。

 その葛藤を見透かしたように凛花は得意げに鼻を鳴らし、何かを強請るように俺を見上げる。


「はぁ、分かった。お願いする。」

「ふふふ、素直でよろしい。」


 暫時の沈黙の後、遂に期待の眼差しに耐えきれなくなり、ため息混じりのお願いをすると、凛花は晴れやかに微笑んだ。

 こうして異世界からの帰還初日、長い一日が終わりを迎えた。

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