第2話 元の世界




 綺麗な子だな。

 魔物を瞬殺し、振り返って、先ず思った事はそれだった。

 少女は、涙の跡を残していて尚、大和撫子の四文字を想起させる清楚な美人だった。

 濡れ羽色の艶やかな黒髪、透明感のある涼しげな顔立ち。校章の入った白の制服を着込む肢体は女性的な起伏に富み、特に豊満な胸が服を盛り上げるようにして、はっきりと自己主張している。


(俺を呼び出したのは、あれか。)


 尻餅つく少女の傍らに落ちている深紅の短剣。少女の瞳の色と同じ光を薄らと反射させる剣は微かな魔力を放っている。


「東条伊織・・・・・貴方、日本人なの?」


 指でなぞるように丁重に口ずさみ、ふとした疑問を口にする。

 端麗な唇が呟くのは、日本語。

 僅かな驚きをもって、俺は瞠目する。


「そうだが、お前もそうなのか?」

「・・・・・えぇ、黒崎凛花よ。探索者をやっているわ。」

「探索者?」

「ダンジョンを探索する職業の事よ。知らない訳じゃないでしょ?」


 不可解そうに小首を傾げる凛花。

 俺と彼女は互いに頭上に疑問符を浮かべ、見つめ合う。

 交錯する視線と視線。

 暫しの間、沈黙が漂う。

 それはパリンと鋭い音によって、唐突に打ち切られた。

 見れば、俺を召喚した深紅の短剣が、刀身の半ばで折れ、赤紫色の魔力の煙を上げている。


「うっ!」


 途端に凛花が苦しそうな呻き声を上げる。その手が押さえる細い首には、赤黒い鎖が蛇のように巻き付いている。


魔術鎖ギアスチェイン!?対価を差し出さずに俺を召喚したのか!?」


 召喚術は、呼び出した対象に対価を支払わなければならない。基本は、事前に供物を捧げて、召喚に応じて貰うの流れになるのだが、凛花は用意していなかったらしい。

 何かが嵌ったような甲高い音が鳴り響き、鎖は姿を隠す。

 反対に俺の手元には深紅の魔術契約書ギアスロールが出現した。ふわふわと羽のように落ちる契約書をぱしりと奪い取るように手に取り、中身に視線を落とす。


「私、黒崎凛花は、守ってもらう対価として、肉体を捧げますって、どんな契約結んでるんだ!?」

「・・・・・なんの話?」


 声を荒らげると、凛花は苦悶の表情のままこちらを見上げる。怪訝に寄せられた眉間を見るに、本当に知らなかったらしい。

 俺は後頭部を困ったように掻き、一から説明する。


「その短剣、お前のだろ?」

「えぇ、私が『異能』で作り出したものよ。何も無いよりマシだと思って、作っておいたの。」

「・・・・・異能?いや、良い。それより、それが俺を呼び寄せた。」

「これが・・・・・?」


 驚きを孕んだ深紅の双眸が、同色の短剣を見下ろす。そこには恩人を見るような微かな親愛が篭っているように感じた。


「ただ、呼び出したのは良いが、対価を支払ってないから、お前が身体で支払うってことになってる。」

「なっ!?」

「安心しろ。未成年に手を出したりしない。」


 顔を真っ赤に紅潮させて身体を抱く凛花に、落ち着き払った一言を送る。

 ただの学生だった8年前ならいざ知らず、今の俺は良い大人だ。未成年に手を出す真似はしない。そんなことをすれば、勇者としての品位を落とす事になる。


「ただ、契約するならもう少ししっかりとしてくれ。」

「・・・・・対価が必要なんて聞いてなかったわ。」

「他人を働かせて、1円も払わないで良いって言ってるのと同じだぞ、それ。」


 凛花はきっと眦を釣りあげて俺を睨んだが、分が悪いと判断したのか、押し黙った。

 次に凛花が口を開こうとした時、何処からともなく狼の遠吠えのような咆哮が聞こえ、彼女は身体をびくりと震わせる。


「・・・・・取り敢えず、移動しよう。話はその後だ。」


 凛花に手を差し出すが、彼女の足が赤く腫れているのを見て、辞める。

 代わりに背中を差し出した。

 しかし、凛花は躊躇ためらって中々動かない。


「どうした?早く乗れ。」

「・・・・・その大丈夫なの?私を背負ったままだと貴方も危ないんじゃない?」

「大丈夫だ。お前を背負ったぐらいで遅れを取ったりしない。それにさっきも言っただろ。守ってやるって。だから、遠慮するな。」


 子供に言い聞かせるように諭すと、凛花はおずおずと俺の肩首に腕を回し、背中に乗っかった。

 俺は凛花の肉付きの良い太腿に手を回し、身体を起こす。


「しっかり掴まってろよ。」

「わ、分かってるわよ。」


 気恥しげに抱きつく力を強くし、身体を密着させる凛花。

 そんなに恥ずかしがらなくても、別に重くないのに。

 すらりと背が高く、グラマラスな体型の凛花だが、体重は軽い。触れている身体の感触から筋肉の気配が伺えるし、運動や自己管理をしっかりしているのだろう。


「それじゃあ、行くぞ。」


 宣言と共に勢いよく駆け出した。

 みしりと蹴った地面をへこませ、後方へと砂塵を巻き上げる。一瞬で車に匹敵する速度へと加速した俺は、ダンジョンの出口へと疾走する。


「きゃぁぁぁぁ!!」


 絹を裂くような悲鳴が上がるが、特に害は無いはずなので、無視する。


(さっき凛花はここがダンジョンって言ったよな?それなら元の道を戻れば、簡単に出口に戻れる筈。)


 ダンジョンは、奥に進めば進むほど分岐点が多くなり、迷いやすい構造になっているが、帰る時は大体、一本道になる。

 樹形図を逆からなぞったら、一本道になるのと同じで、前の道を戻る時は常に選択肢が一つになるからだ。


(まぁ、迷ったら探知魔法を使えば大体、分かるし。)


 そんな安直な考えで走り出して10分程、俺達以外の人間に出会う。

 明らかに日本人ではない外国人の集団で、警戒するように俺達を睥睨した後、その場を去って行った。

 ダンジョン内では、警察機関も機能しないので、警戒するのはよく分かるが、それでも一つ疑問に思った事があった。


(・・・・・なんだあの格好?)


 動きやすそうな服の上から耐衝撃性ボディアーマーを着込み、両手には自動小銃アサルトライフルを持つ。剣呑な装備だが、俺の知る日本なら、納得のいく武装だ。

 だが、魔物から手に入る毛皮をボディアーマーに巻き付け、魔物の牙をナイフのように腰に差しているのは、意味不明だった。

 言葉を恐れないなら、原始人みたいだ。


 訝しむように外国人達の進んだ通路を見つめて立ち尽くしていると、背後からの視線に気付く。

 振り返れば、恨むように俺を睨めつけ、唇を尖らせる凛花の姿がある。


「・・・・・怖いからそう睨むな。」

「睨んでないわよ。ただ、あんなにスピードが出るなら、事前に言って欲しかっただけ。」

「悪かった。次からは気を付ける。」

「ん。」


 素直に非を認めると、凛花は「なら良し」と言うように短い返事をした。

 まぁ、こういうのはしっかり言って貰った方が、直すのが簡単だから、正直、助かる。

 ゆっくりと歩き出し、出口へと向かう。


(にしても、ここってやっぱりダンジョンだよな。)


 凛花の話す言語が日本語だった事やさっき見た装備などを総括して考えれば、ここは元の世界の筈だ。

 しかし、ここがダンジョンである事も疑いようがない。

 魔物の姿もあるし、明らかに神の御業によって保護されている。

 その証拠に、古びた石造りの床や壁には、軽度の傷や亀裂は有るが、壁を崩すようなものは一つも無い。


「次の角を右に行けば、出口まであと少しよ。」

「了解。」


 指示に従い、角を曲がると、巨大な門が見える。

 太陽光の入り込む門は、朝日のように眩しく、輝いているようだった。


 あれが出口か。

 そのまま突き進み、吹き抜けるような風を一身に浴びながら、外へと出る。


 眼球を刺すような光の後に、飛び込んできたのは、石畳で舗装された広場。そこには様々な服装や様々な人種の人々が行き交っているが、獣耳の生えた獣人もいなければ、長耳のエルフもいない。

 どうやら、本当に俺の知ってる世界に戻ってきたみたいだ。


「帰ってこられた・・・・・」


 肩首を抱く腕に力が篭もる。

 万感の想いの呟きを落とした凛花は、俺の肩口にぴったりと顔を当て、涙を堪える。

 まぁ、死にかけてたんだもんな。

 こうなるか。

 俺は暫く彼女の好きにさせる。

 凛花が落ち着く頃には、生温かな気持ちに上塗りされたように、俺の半信半疑の感慨深さはすっかり無くなっていた。


「・・・・・ごめんなさい。」

「気にするな。そういう時もある。それより落ち着いて話せる場所に行きたいんだが、良い場所は無いか?」

「それなら私の家に行きましょう。」

「良いのか?」

「えぇ、貴方は私の命の恩人だもの。」


 抱きしめるような優しげな声音だった。

 随分と懐かれてしまった気がしないでも無いが、俺を信用したくなる気持ちも分かる。


 死の恐怖っていうのは人の気持ちを簡単に塗り潰してしまうのだから。

 大の大人ですら、死を前にすれば、簡単に精神を崩壊させる。屈強な兵士でさえ、戦場に出れば、一定の割合でPTSD心的外傷後ストレス障害を発症させるのが良い例だ。


 そんな死を前にして、藁にも縋る想いの中、唯一、死を回避する手段。どうか信頼出来るものであってくれ、と思うのが人情というものだろう。

 しかも、実際、助けてくれたのだから、過剰に信用してしまうのも頷ける。


「あっ、でも走るのは無しよ。タクシーで向かいましょう。」

「空からなら別に目立たないぞ?」

「余計に目立つわよ。それに、空まで飛べるって一体、どんな『異能』を持ってるのかしら。」


 何処か呆れたように溜息をつく凛花。


「その『異能』ってなんの事だ?」


 その疑問を尋ねたのは、自動運転で走行する無人タクシーに乗り込んでからだった。


「『異能』は『異能』じゃない。ダンジョンに入った時に、覚醒する特別な力・・・・・」


 そこまで言って、彼女は衝撃の事実を再発見したように、目を見開いた。


「貴方・・・・・!まさか本当に!?」

「そうだけど、ここでは無しだ。監視カメラが有る。」


 俺の持つ知識や力がどういう形で世界に影響を及ぼすのか、現状不明なので、用心したい。

 さっと人差し指を立てて、静かにするように指示すると、彼女はどうにか言葉を飲み込んだ。

 しかし、深紅の双眸には、好奇心の光がきらきらと煌めいており、後から大変なのは明瞭だった。



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