異世界帰り、現無職勇者の成り上がり

沙羅双樹の花

第1話 勇者の戦いはまだ終わらない




 誰か助けて欲しい。

 牙を剥き出しにして、聳える魔物の前で、黒崎くろさき凛花りんかは強く願う。

 巨大な狼のような魔物が、重たい足音を立てて、一歩近付く度に、心臓が死の恐怖で縮みあがり、生きた心地がしなくなる。

 転んだ拍子に痛めた足から伝わる、焼き付くような痛みだけが、今も彼女が生きている唯一の証明だった。


(・・・・・どうしてこうなってしまったの?)


 悲愴の涙が紅玉の瞳から溢れ落ちる。

 脳裏には、ここに至るまでの経緯が走馬灯のように流れている。

 しかし、一体、何処から歯車が狂ってしまったのか、分からなかった。


 家族の為にと頑張り過ぎた父が身体を壊し、床に伏せってしまった時だろうか。

 それとも、少しでも父母に楽をさせようと考え、志望校だった私立を諦め、探索者として働きながら通える天橋てんきょう学園に進学した時か。


 その後の『異能』目当ての誘拐の時に、大人しく捕まっていれば良かったのか、逃げようとしなければ魔物に殺されずに済んだのか。


 人生の分岐点を何もかもを間違ってしまったようにも、全てが避けられない悲劇の連続であったようにも、思えて、頭がぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。

 いっそ死んだ方が楽になれる気さえする。


「誰か助けて・・・・・まだ何も始まってないの・・・・・」


 それでも、まだ生きていたかった。

 運命に翻弄されるだけの人生で幕を引きたくなかった。

 だって、全てはこれからだったのだ。

 仕事を頑張って、お金も溜めて、美味しいものを食べたり、勉強したり、恋愛したり、結婚したり、親孝行したり、やりたい事は沢山あった。


 辛くて苦しい事だって、いつか幸せになる為に我慢しようと思って、ここまで来たのに。

 こんな終わり方、あんまりだ。


 それでも現実は変わらない。

 今にも魔物が襲いかからんと足に力を込めた瞬間、凛花はキュッと目を閉じる。


「あぁ、分かった。」


 その暗闇の向こう側で力強い声が返事をした。

 それから間を置かず、スパンと悲劇の連鎖を断ち切る音が聞こえる。

 咄嗟に目を見開くと、見知らぬ青年が純白の剣で魔物を一刀両断していた。

 希望の光明のような白の剣閃。

 黒い外套に覆われた逞しい背中と軽やかに靡く黒髪。

 まるで御伽噺の英雄のようだった。


「もう安心していい。お前は俺が守ってやる。」


 ズシンと重音を立てて魔物が倒れるのを見届けると、青年は凛花の方へと振り返る。


 穏やかな微笑を湛えた凛々しい顏。

 年齢は凛花とそう変わらないように見えるが、精悍な顔付きのせいか、大人びて映った。


「・・・・・貴方は誰なの?」


 絶望から希望への唐突な変化。

 縮まっていた心臓が一気に動き出し、早鐘のように高鳴る。純白の剣閃に魅入られたように、頭が真っ白に染まり、くらくらとする。

 青年は少し思案げにした後、冗談めかすように告げた。


東条とうじょう伊織いおり。異世界を救って帰ってきた勇者だ。」


 さっと一陣の風がそよいだ。

 暗く色褪せていた世界に、鮮やかな色が付き、きらきらと宝石のように輝き出す。

 これから何かが変わる。

 そんな予感が全身を高揚させる。

 使い古された英雄譚。

 典型的な吊り橋効果。

 それでも、黒崎凛花は、恋に落ちた。






「ぐぁぁぁ!!」


 魔王の口から断末魔の叫びが放たれる。

 その胸元には純白の聖剣が突き刺さり、影のような黒い血を滴らせている。

 俺が勢い良く聖剣を引き抜くと、「ぐっ」と苦悶の声を上げ、後ろに数歩たたらを踏む。

 影法師のような純黒の肢体をよろめかせ、荒野と化した大地へと膝を着く。


「くくく、流石だな。勇者よ。だが、私を倒しても、第2、第3の私が──」

「うるさい。」

「ぐあぁぁぁぁ!!」


 皆まで言わせることなく、聖剣を一閃。影を飲み込む光のような一太刀で魔王を消滅させた。


「・・・・・終わったか。」


 完全に魔王の魔力が消滅したのを確認して、残心を解く。

 最後こそあっさり倒してしまったが、魔王なだけあってかなりの強敵だった。

 でなければ、倒すのに8年も掛からない。


 今から8年前、天地創造の女神、アレクシアに勇者として選ばれた俺は、異世界へと召喚された。


 その目的は、魔王の討伐。

 直接、世界に干渉できない女神の代わりに、世界を救済して欲しいと頼まれた。

 明らかに高校生に頼むようなことじゃない。


 しかし、当時、高校生だった俺も「やります!」と張り切って応じてしまったのだから、自業自得だが。

 まぁ、今もあんまり変わってないような気がするから、大人になるのってつくづく難しいと思う。


「お疲れ様です、私の勇者。」


 気が付くと、俺は召喚された時と同じ真っ白な空間にいた。

 距離や時間が分からなくなるような茫漠とした白の拡がり。そこにぽつねんと俺と蜂蜜色の髪の女神だけが存在する。


 昔はここが何なのかよく分からなかったが、今なら何となく分かる。

 ここは世界と世界の狭間。

 万象万物を隔てる境界線。

 本来、力が強過ぎて、世界に収まり切らない神が、唯一、干渉出来る理の世界だ。


「女神様が態々、いらっしゃったってことは本当に終わったんだな。」

「はい、この世界の魔王は聖剣の力によって打ち払われました。本当にありがとうございます。」

「どういたしまして。」


 ぺこりと頭を下げたアレクシアに、俺は親しげな返事をした。

 もう知らない仲でも無いからな。

 アレクシアも、特に気分を害した様子もなく、清らかな顏に、慈愛に満ちた微笑みをひらめかせる。


「それで俺はこれからどうなるんだ?」

「それは貴方次第です。こちらの世界に残りたいのであれば、そうしてくださっても構いませんし、元の世界に戻りたいのであれば、お手伝いします。勿論、どんな選択をしても、貴方の力を封じたり、奪ったりはしません。」

「・・・・・おいおい、俺を試してるのか?」

「そこまで意地悪じゃありませんよ。その力は、どんな経緯があったにせよ、貴方に根付き、貴方が磨き上げたもの。生まれ持った肉体と同じで、誰かに奪われていいものではありません。」


 俺の疑念をキッパリと否定した上で、彼女は眼差しだけで、「どうする?」と問い掛ける。やっぱり試されてるみたいな感じがした。


「難しいな。正直、どっちの世界に居ても、問題があると思うし。」


 異世界に残っても英雄として権力闘争に巻き込まれるだろうし、元の世界に戻っても、魔法の力を持った俺は異物だ。

 下手したら、魔王という世界の敵を倒したら、次は俺が世界の敵になってた、みたいなぞっとしない話になりかねない。


「それなら、私と一緒にここで暮らしますか?」


 腕を組み、悩んでいると、アレクシアは蠱惑的に微笑み、ほっそりとした指で唇をなぞった。

 そんな事を言うとは思っていなかったので、鼻白むように動きをとめ、目を見開く。

 暫くの沈黙の後に、何かを言おうと口を開いた瞬間、俺の足元に複雑怪奇な模様の魔法陣が現れた。


『助けて。』


 泣き出しそうな少女の声が聞こえた。

 無意識にぎゅっと握られる拳。発しようとしていた言葉を喉の奥へと押し込み、決然と眦を上げる。


「行くのですか?」


 まるで全てを見透かしているかのように、アレクシアは訊く。


「あぁ、誰かが俺を必要としているのなら、力になってやりたい。誘ってくれたお前には悪いけどな。」

「ふふふ、大丈夫です。私は我慢強い女ですから。何年でも待ちますよ。」

「冗談が上手いな。」


 互いに気負いのない笑みを交わし合う。

 友達とも、主従とも言えない間柄だったが、こういうやり取りが出来るんだ。悪くない関係だったんだろう。

 交錯する視線を断ち切り、別れを告げる。


「それじゃあ、またいつか。」

「えぇ、行ってらっしゃいませ、私の勇者。」


 召喚術式に応じ、狭間の世界から向こう側へと転移する。

 ぐにゃりと歪む視界。

 刹那の浮遊感が全身を襲う。

 渦のように歪んだ視界の端から、純白だった世界に様々な色が付き始め、それが中央まで達すると、解けるようにして、歪みが消える。


 そして、眼前にいたのは、狼型の魔物。後方には俺を呼んだ少女の気配が有る。

 成程、勇者を呼ぶのに相応しいピンチみたいだ。

 俺は意気揚々と聖剣を振りかぶり、神速の一斬を放つ。

 勇者の戦いはまだ終わらない。


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