浪速区紳士録【幻影・幻想編】

崔 梨遙(再)

1話完結:3400字

 僕は、19歳だった。初めて出来た彼女は楓、風俗嬢だった。“風俗嬢と付き合っている”と、なかなか友人や知人に言えなくて、僕に彼女が出来たことは誰も知らなかった。だが、僕は、ほとんど毎日楓のマンションに通っていた。


 学校が終わると、楓のマンションへ行く。朝、寝ている楓を起こさないように出かける。朝一番に家に帰り着替える。それから学校に行く。という繰り返しだった。親には、友人宅を泊まり歩いていると言っていた。以前から、知人宅に泊まることは珍しくなかったので、親はいい意味で僕を放置してくれた。ありがたかった。


 楓が、親の借金を払っていることを知ってから、僕はなんとかしたいと思っていた。だが、僕のバイト代や貯金では、どうにもならない額だろう。学校をやめて働くことも考えたが、サラリーマンの初任給ではどうにもならないこともわかっていた。


 打つ手が無かった。


 楓は、


「毎日、一緒にいられるだけでええから」


と言っていたが、僕はそれだけでは気が済まなかった。楓のために、何かしたかった。何が出来るのか? わからなかった。だから、シゲさんに会いに行った。



 シゲさんと出会ったのは2年前。僕は繁華街でチンピラ2人組に絡まれた。つまらないことで言いがかりをつけられた。一方的な暴力を振るわれた。その時、僕は反撃をしなかった。手を出せば、慰謝料を請求されたり、いろいろ面倒なことになりそうだったからだ。だが、僕は謝ることもしなかった。僕は自分に否があると思えばスグに謝るが、自分に否が無いと判断したら謝らない。


 せめてもの抵抗、僕は殴られても殴られても立ったまま、膝を屈することは無かった。だが、打たれ強い僕にも限界はある。僕が限界を越えた時、僕は膝を屈するどころかうつ伏せに倒れた。チンピラの方が驚いていた。


「おい、やり過ぎたんとちゃうか?」

「まさか、こいつ、死なないよな?」


 そこで、第3者の声が聞こえてきた。


「お前等、こんなところで何やってんだ?」

「あ、シゲさん。良いところでお会い出来ました」

「なんだ? このボロボロのガキは?」

「いや、生意気だったんでしめてやろうと思ったんですが、こいつ動かなくなっちゃって、困ってたんです」

「どれどれ」


 誰かが、僕の身体に触れる。


「大丈夫だ、死んでねえよ。こいつ、俺ん家まで運べや」

「はい」


 左右両側から支えられ、僕は立たされた。身体に力が入らない。


 高級マンションの一室、ベッドの上に寝かされた。


「後は任せとけ、あんまりやり過ぎるんじゃねえぞ」

「はい、すんません」

「後、よろしくお願いします」


 僕は、いつの間にか眠りについた。


 目が覚めると、身体中に湿布が貼られていた。この家の主が手当てをしてくれたようだ。


「おう、起きたか?」

「助けてくださったんですね? ありがとうございました」

「体調はどうだ?」

「ちょっと微熱があるような気がしますけど、大丈夫です」

「打撲が多かったからな、そのせいで微熱があるのかもな、まあ、コーヒーでも飲めよ、淹れてやるから」


「ほら、飲め」

「いただきます。……痛たた」

「ああ、口の中を切ってるんだな」


「じゃあ、僕はこれで失礼します」

「おう、ここで会ったのは何かの縁だ。悩み事とか、困ったことがあれば俺に会いに来てもいいぞ。俺は夜、ここのスグ近くのSinっていうBARにいる」



 それから何回か、僕はシゲさんと会っていた。シゲさんが何者なのかわからない。反〇会的〇織の人ではないようだった。だが、夜の世界では有名人らしく、“シゲさん、シゲさん”と、シゲさんに相談事を持ち込む人間を何人も見たことがある。しかも、一般人からも慕われているようだった。謎の多い人だが、僕はシゲさんの謎の部分には触れないようにしていた。僕なんかが簡単に踏み込んではいけないと感じていたからだ。



 BAR、Sin。シゲさんはいつもカウンターの奥に座っている。隣には、シゲさんの恋人の美香さん。美香さんは芸能人級、美しくてナイスバディだ。


「なんだ、崔じゃねえか、久しぶりだな」

「お久しぶりです」


 美香さんが、1つ席をずらしてくれた。僕は、シゲさんと美香さんの間に座った。


「お前、幾つになった?」

「19です」

「じゃあ、まだジンジャーエールだな」

「実は今日、相談があって来たんです」

「どうした?」

「僕、やっと恋人が出来たんですわ」

「良かったじゃねえか」

「それが、恋人が風俗嬢でして」

「それがどうかしたのか?」

「親の借金を払うために風俗をやってるんですよ」

「そうか、まあ、よくある話だ」

「で、金さえあれば彼女は風俗をやめれるんですわ」

「それで?」

「僕、何か荒稼ぎ出来ないですかね?」

「……ついて来い」



 僕達は、シゲさんのマンションへ移動した。“何をするのだろう? 何をさせられるのだろう?”などと思ったが、言葉にはしなかった。シゲさんに従っていれば間違いないという確信があったからだ。


「ここで座ってろ」


 リビングのソファに座るように指示された。シゲさんのマンションは4LDKだ。広い。シゲさんは奥の部屋に入って、箱を持って戻って来た。


 箱の中身は、拳銃だった。


 弾も箱に入っていた。シゲさんは、弾を1発だけ込めて、回転式弾倉を回して銃をセットした。


「お前、こいつでこめかみを撃てるか?」

「撃ったら、どうなるんですか?」

「金をやる。見物料だ」

「もし、弾が当たって死んだら?」

「上手く死体の処理をしてやるよ。見物料は何らかの手段で親に渡してやる。葬式代くらいは払ってやるけど、どうする?」

「ほな、やりますわ」

「いいのか? 少しも考えないんだな」

「僕は、何かを得ようと思ったら、何かを失っても仕方が無いと思ってるんですわ。今回は、その失うものが自分の命だというだけのことです」


 僕は拳銃を取り上げた。思っていたよりも重い。銃口をこめかみにあてる。静かだった。走馬燈を見ることは無かった。思い出す“思い出”は楓のことばかりだ。後は、両親。他には何も思い浮かばなかった。以外に、恐怖感は無かった。


 僕は、思っていたよりもスムーズに引き金を引くことが出来た。


カチッ!


 不発だった。


「よくやったな」

「いや、まだです」

「どういうことだ?」

「もう1発ですわ」

「そうか、やってみろ」

「すみません、2発目もお金をもらえますか?」

「見物料は払うぜ」

「じゃあ、当たってしまった時は、マーメイドという店の静香にもお金を……」

「ああ、わかったよ」


 僕は、苦しんでいた。楓のお客さんにヤキモチを焼くようになり始めた。楓が仕事に行っている間、僕はヤキモチの炎に焦がれていた。その苦しみから、解放されるのかもしれない。どうせ、生きていても地獄、死んでも地獄だ。


 僕は2回目の引き金を引いた。


 不発だった。


「ほな、もう1回」

「もう、やめろ。充分だ」


 拳銃を取り上げられた。シゲさんはパカッと銃を開いて回転式弾倉の中身を見せた。弾丸は入っていなかった。


「え!確かに弾が入っていたはずなのに!」

「俺は手品も出来るんだよ。何回引き金を引いても弾は出ないんだ」

「そうだったんですか」

「ちょっと待ってろ」


 またシゲさんは奥の部屋へ消え、何かを持って戻って来た。


「ほら」


 シゲさんから渡されたのは札束だった。束が2つ。200万か?


「今日のお前の稼ぎだ。今日はそれを持って帰れ」

「いいんですか?」

「ああ、いい見世物だった。それに、お前とは今度いつ会えるかわからねえからな」

「いつ会えるかわからない?」

「ああ、入院するんだ。いつ戻れるかわからない」

「大丈夫なんですか?」

「心配するな。お前は彼女のことだけ心配してろ」

「でも、もう会えないなんて」

「まあ、いいじゃねえか、もしかしたら、また会えるかもしれねえよ」

「でも……」

「崔」

「はい」

「今日はこれで帰れ」

「ありがとうございました」



 楓のマンションに帰り、喜んでその200万円を楓に渡した。


「何これ? どこで手に入れたの? こんな大金」

「ロシアンルーレットをやったら、見物料として貰えた」

「崔君、何をやってるのよ!」

「でも、これで楓の借金が200万減るやんか」

「でも、そんな危ないことしてほしくない。ごめんな、崔君」



 喜ばそうと思ったのに、楓が泣き始めたので僕は困った。僕は楓を抱き締めた。ただ、抱き締めるだけ。僕は抱き締めることしか出来なかった。







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