第61話 一日千秋
帝国に、アレクへ救援を要請して一月が経った。まだ、と感じるか、もう、と感じるのかは人それぞれだと思うけど。
「ごめんね、リズ姉さま。ようやくこちらの準備が整ったよ」
にこやかに笑いながら、でもどこか疲労を感じさせる顔で告げてくるアレク。むしろこの娘は良くやってくれていた。1つ間違えば政治的失態として、彼女へ累が及ぶ。それが政治的な意味か、それとも物理的な意味で生命の危機に陥る、と理解しもなお素早い行動だった。
「いいえ、むしろ驚いてるわ。……本当、大丈夫なの。アレク?」
「うん、まぁね……。その代わり、どうしても数は少なくなっちゃったけど」
そういう彼女が召集した兵の数は約2000名――この数には後方要因、補給物資などを運ぶ
それだけの軍勢を小勢と言ってのけるアレク。彼女の認識からすればそれは当然の話。なぜならルシオン帝国はその気になれば10万からなる軍団を用意できる国力がある。
しかも、これはあくまで国軍であり、これとは別に各貴族の私兵。それらも含めれば15~20万の軍団も用立てることが可能だ。
もちろん、これは国家危急時の話であり、戦時ではなく平時では6割程度まで落ち込むだろう。それでも6万~12万は召集できるのだから、いかに国力が、そして軍事力が優れているのかが分かる。
「本当、改めて考えるとゾッとする話ね」
いくら私が姫騎士。一騎当千の実力者として言われていたとしても、実際に本気で帝国と刃を交えよう、とは思えない。
私が姫騎士などと褒め称えられようが、一人で出来ることなどたかが知れている。……確かに、局地戦なら押し留めることは可能だろう。でも――。
「結局、一振りの刃でしかないのよね」
いくら局地的に勝利を収めようとも、すべてを倒す。それどころか守ることなんて不可能だ。他の地区から浸透され、蹂躙されるのがオチだ。実際に王国の奇襲がそれを証明している。
だからこそ、お父様たちは姫騎士、という付加価値を持つ私を帝国へ売り込もうとした。もっとも、それが王国の危機感を煽ってしまった側面もあるんだと思う。
「でも、仕方なかった。そうしなければ、公国は公国という土地を守れなかった」
王国と帝国の緩衝地帯としての意味合いもあったアルデン公国。でも、それは王国内に本家。アルデン公国家に別たれる前の主家、ハミルトン公爵家が存在していたからこそ。
だけど、そのハミルトン公爵家も没落してしまった。いえ、没落させられた。というのが正確。それほどまでに公爵家は王国内で力を持ちすぎた。
「当然よね。一時期、公爵家と王家の力関係が逆転しかねない程、強大になっていたのだから」
当時、ハミルトン公爵家は王国
「問題は当代の婚約者だったアンネローゼさま。あの方が傑物過ぎた」
アンネローゼ・フォン・ハミルトン。またの名をアンネローゼ・
彼女は自身と王家の婚約を憂慮していた。それは王家に首輪を掛けられる、という意味でも、という推測もあったけど、それ以上に――。
「元々、ハミルトン公爵家自体、王家の分家という立ち位置から血が濃くなりすぎることを憂慮していた。というのが定説」
そうでなくとも、何代に渡ってハミルトン公爵家は王妃を輩出してきた、という歴史がある。それだけじゃない、継承権が低い王女が降嫁することも多々あった。ゆえに王家、公爵家ともに子が出来にくいというと問題が度々持ち出されていた。
事実、当時のハミルトン公爵家で表に出ている子供は嫡子である長男以外には件のアンネローゼさま。そして――。
「当時の侍女をお手付きにして産まれた庶子。後にアンネローゼさまの後釜として婚約者となったクロエ・ハミルトン。いえ、表向きはクロエ・
もっとも、伯爵令嬢という地位は完全な飾りだったけど。もともとクラン家自体、かつてハミルトン公爵家に反乱を起こそうとして取り潰しになった家をクロエさまに名跡を継がせ、復興させた経緯がある。
だけど、本来それはクロエさまに箔を付ける、という意味しかなく一代で終わる、筈だった。でも、それを嫌ったのは他でもないクロエさまご自身だった。
クロエさまにクラン家の名跡を継がせる、という策をハミルトン公爵に授けたのがアンネローゼさまだったから、あの方が大好きだったクロエさまはきっとクラン家がお姉さま。あの方との絆だと思ったのでしょうね。
彼女は産まれた子供のうち、継承権が低い次男以降にクラン家を継がせることを望まれた。だけど、本来一代で終わる筈だったクラン家を存続させる、というのは反乱を企てた家ということもあって外聞が悪かった。
だから、対外的には成り上がりの家、とされた。継承した男子は王位継承権を剥奪され、己が才覚だけで成り上がることが望まれた。でも、たかが男の子一人でそんなこと出来る訳がなかった。本来ならば。
「それを可能としたのは有用な後ろ楯が出来たから。もちろん、ハミルトン公爵家が反乱を企てた家の後ろ楯になる訳がない。後ろ楯となったのはアルデン公王家。腹違いの姉、アンネローゼさま。きっと、ご本人も思うところがあったのでしょうね」
そこから先はトントン拍子で出世していった。後ろ楯が大きいのは確かだけど、本人の才覚もあったのでしょうね。特に母親のクロエさまは勉学は普通だったそうだけど、こと武技に関しては凄まじいものをお持ちだった、という話だから。
「そして、その末裔が今、私の騎士団で騎兵隊長を務める幼馴染みのエルザ・クラン。エルザ姉さん、本家クラン伯爵家では初代さまの再来、なんて言われてるらしいし、きっと凄まじかったのでしょうね」
それこそ、私が夭折していればあの人が姫騎士の異名を戴いていたかもしれない。こと単純な武力だけで氷塵のアリアと渡り合えるなんて、私よりも化け物よ。あの人。
「姫さま、どうかなされたので?」
「あら、アリア?」
噂をすれば影、というやつかしらね。どこか不思議そうに私を見てくる。
「どこかおかしかったかしら?」
「いえ、楽しそうに微笑まれておられましたので」
「あぁ、そういうこと」
さっきまで考えていたことを正直に話しても良いけど、それはそれでなんか癪よね。
「ようやく公国へ戻れる、と思うとね。一日千秋、と言うのかしらね」
「一日千秋……?」
「アンネローゼさまが残された言葉でね。長く待ち望んでいたこと、という意味らしいわよ」
アンネローゼさまは数多くの言葉を残されている。その殆どは意味も分かり、王国や公国に一部定着しているものもある。でも、ほんの一部。意味の分からない言葉もあって……。
「結局、オトメゲー。と言うのはどういう意味だったのかしら?」
現在に至るまで意味が解明されていない言葉を呟きながら首を捻るのだった。
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