第57話 勇者、という少女

 アルデン公国首都、アルデン。占領された王宮の貴賓室にて1人の少女が膝を抱え、ベッドの上に座っている。

 黒髪を肩口に切り揃え、切れ長の目が本来の気の強さを見せている。が、今は精神が不安定なのか瞳が揺れに揺れている。

 そして、何より異様なのが少女の格好。この世界は騎士や貴族制度が存在する中世から近世に近い世界観なのだが、少女の格好はその世界観に似つかわしくないブレザーにミニスカート、それにソックスという出で立ち。端的に言えば学生服だった。


「なんでわたし……。こんな、こと……」


 ぼそぼそ、とソプラノボイスで紡がれる。本来であれば可愛らしい声だっただろう。しかし、今の彼女の状況もあって陰気さを感じさせた。

 よく見れば髪も少し乱れており、それを直す仕草も見せないことから、彼女に精神的余裕がないことが見て取れた。


 コンコン、と扉がノックされる。だが塞ぎ込んでいる彼女は気付かない。もう一度ノックされるがやはり気付かない。

 ノックした相手は焦れたように更にノックすると、そのまま扉が開かれた。


「……マスミ、心配しましたよ。いるならいると言ってください」


 扉を開けたのはランドティア王国王太子にして、アルデン公国奇襲軍司令官のレクス・ランドティアだった。

 彼はマスミと呼んだ少女が無事であることを確認すると、ホッとため息を吐いている。どうやら彼女が心配で訪れたようだ。

 それも仕方なかった。何せ彼女は公国の首都でのが終わった後から、ずっとこの状態だった。そんな状態の少女を心配するのは当然だろう。

 だが、なぜ司令官のレクスがわざわざ、こんな少女1人を心配するのか? それにももちろん理由がある。それは――。


「あ、れ……? レクス、さん? いつの間に?」

「……何度かノックしたんですけどね? それより、大丈夫ですか?」


 レクスに心配された少女、マスミは顔を上げて彼の姿を確認した後、再び視線を落とす。しかし、それは塞ぎ込む、というわけではなく己の両手。きめ細かく色白な肌の手を見ていた。

 ……だが、彼女の目には別の情景が見えているようで――。


「ねぇレクスさん、おかしいの。わたし、何度も何度も手を洗ってるんだよ。なのに、落ちないの。ずっとべったり浸いてるの」

「なにが、です?」

、真っ赤な血がずっと……!」


 そう、彼女の目には敵の、殺してきた兵士たちの血がこびりついているように見えていた。

 その言葉を聞いたレクスは嘆息する。


「……だから僕は反対だったんだ。いくらだとしても女の子を、しかも平和ボケした子を使うなんて」


 ……以前、アレクがリーゼロッテに王国が勇者召喚を行った。と告げたことを覚えているだろうか?

 その勇者こそが彼女、レクスにマスミと呼ばれた少女だった。

 そんな彼女であるが、召喚された当初は元気溌剌とした様子だった。フィクションのような現実味のない状況というのもあった。だがそれ以上に……。


「……わたしね。勇者になって向こうに帰れば、きっと出来る、と思ってたの」

「いったい、何を――?」

「復讐……」


 憔悴した少女が発したとは思えない昏い声。それを聞きレクスは気圧される。凄みがあった、それを成し遂げたい、と。それさえ出来れば何でもいい、という凄みが。

 平和ボケしていると思っていた。そんな少女がこんな闇を抱えているとは思わなかった。そもそも、彼女の話では住む世界は平和だと聞いていた。それなのになぜ?

 そんな疑問が次々と浮かんでくる。


「わたしね、仲の良いお兄さんがいたの。……関係で言えば叔父さん、なんだけどね。でも、死んじゃった。殺されちゃったの。怪人、なんて呼ばれる化物に」

「……怪人」


 ごくり、と唾をのむレクス。なぜか知らないが、その言葉におぞましさを感じた。


「別に狙われたわけじゃない。運が悪かっただけ、だと思う。……でも、なんで? なんであの人が、秀にぃが死ななきゃいけなかったの?」


 光のない、曇った瞳で見つめられたレクスはくぐもった悲鳴をあげそうになる。なんとか堪えた彼ではあるが……。


「……でもね、その怪人だって既に退治されてる。知ってる? わたしたちの世界、ヒロインなんていう凄い人たちがいるんだよ。それこそ、勇者の力を貰ったわたしでも勝てないかもしれない強い人たち」

「……なん、ですって?」


 それを聞かされたレクスの驚愕は凄まじかった。当然だ、彼女が、マスミが塞ぎ込む前。公国奇襲戦での獅子奮迅ぶりは凄まじかった。その彼女が勝てない可能性がある存在。しかも、彼女の語りぶりから、そんな存在が複数人いるのが分かったのだから。

 マスミの獅子奮迅ぶりは凄まじかった。しかし、動き自体は素人に毛が生えた程度。それだけ勇者の力がすごい、とも言えるのだが。

 だが、彼女が語るヒロインとやらが現実にいるのなら。そのヒロインとやらは戦う者だろう。なら、マスミのように素人の筈がない。それ相応の動きは最低限出来る筈だ。

 もしかしたら、姫騎士-リーゼロッテの同類という可能性もある。そして語りぶりからして日夜戦い、平和に貢献しているのだろう。それがレクスがマスミのことを平和ボケしていると勘違いした理由だと理解する。


 時に、勇者召喚と言えば聞こえが良いが、実際のところ拉致誘拐と大差ない。とレクスは考えている。

 仮にレクスがヒロインとやらと同じ立場だとして、守るべき民を誘拐されたらどうするか。それを考えて、さぁ、と血の気が引くのを知覚する。リーゼロッテ1人でも手に余るのに、さらにおかわり、となれば然もありなん。といったところだろう。


 ……もっとも、レクスの心配は杞憂なのだが。そもそも、彼女が行方不明になっていること自体は確認されているが異世界に拉致されているというところまでは判明しておらず、現状神隠し事件として処理されていたりする。


 それはともかくとして、マスミにとって勇者の力を得る。というのはとても都合がよかったのは事実。

 ただ、彼女にとって予想外だったのは敵が化物、モンスターではなく人間だった、ということ。

 化物相手なら問題なく戦えただろう。しかし、人間相手。さらに命を奪う、となれば彼女には荷が勝ちすぎていた。

 だからこそ、今、彼女はノイローゼに近い状況になっている。しかし――。


「……レクスさん、大丈夫だよ」

「マスミ……?」

「きちんと乗り越えてみせるから。それでもとの世界に帰るんだ。じゃないと秀にぃの仇を、今後生まれるかもしれない、秀にぃと同じ境遇の人を救えない。だからやるんだ。他でもないの家族だったわたし。が、わたしの手で」


 ――彼女の名は荒木あらき万純ますみ。かつてあちらの世界で死んだ荒木秀吉。彼の姪にあたる少女だった。

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