第49話

 店内に戻った冬木真冬は静かに椅子に座った。よく喋る方ではないけれど、今の彼女には話しかけ辛い雰囲気があるのは確か。同じ空間に居るはずだが、オレは置物のようになっていた。


 ここから先は彼女に任せるしかない。こんな時に小春と梨夏がいてくれれば冬木真冬一人にかかる負担はだいぶ軽減されるのだろう。それでも、この状況で信用ならない者達が近くにいるのはリスクがある、それが冬木真冬の判断だ。懐に招いた人間に裏切られたなら、それだけで致命的だから。


 しばらく時が経過した時、冬木真冬が椅子に立て掛けていた長い袋を手に取った。中から取り出すは一振りの刀。


「そろそろ時間です。」


 立ち上がった冬木真冬は静かな歩調で外へ向かった。彼女を追って外へ向かうと、ドアの脇で寝そべっていたシロが体を起こした。


「シロ、何か異常はありましたか?」


 だが、シロは何も言わない。冬木真冬はそれを肯定と捕らえた。


「それでは、再び屋根の上で待機しましょうか。」


 冬木真冬はそう言ってシロの背に跨った。


 この場合オレは何処で何をしているのがベストなのだろう。冬木真冬を追って外に出てみたけれどオレには何もできない。


 そんなオレの気持ちを察した冬木真冬が、お願いと言う体でやることを示してくれた。


「私が見える範囲で待機をお願いします。ここから先は何が起こるか分かりません。無論、不足の事態なんて起こらないのが一番いいのですが・・・それはお約束できませんし。」


 冬木真冬が言い終えると、彼女を背負ったシロが一足で屋根の上まで跳躍した。


 一人残されたオレは冬木真冬に言われた通りにこの場で待機することにした。


 オレの状況を簡単に言ってしまえば事実上の戦力外。オレの力なんて先に冬木真冬に言った通り。戦力的には不安要素が多い。どう考えても戦力になるとは思えないのだろう。それを考えた上で、冬木真冬が言っている不足の事態とは何を指しているのだろうか?


 オレには予測すらできない。


 出そうになる溜息を堪えつつ屋根の上を見上げると、そこには冬木真冬とシロの姿があった。冬木真冬は夜空を見上げ、シロは冬木真冬の側に控える。凛とした巫女のたたずまいと狼の純白に近い毛並みが月下に栄える。両者が並ぶ姿は何処か神秘的で、目を奪われてしまった。


 静かな月夜。だが、異変は唐突に起った。


 夜の闇よりも黒いが現れた。そして、そのは徐々に膨張をしていく。それを見て瞬間的に理解できた。


 その時が来たのだ。


 冬木真冬はすでに動き始めていた。円陣を描いた冬木真冬が中に紋章を刻んでいく。その間にも静かに、それでも急速に事態は進んでいく。まるで、時間の進行が遅くなったような、世界中の音が消えてしまったような感覚に陥る。オン、冬木真冬の口が動いた。彼女の声はオレまで届かない。それでも、紋章陣が発光、起動した。膨張を続けているは、今や人が数人入る程の大きさになっていた。


「あれが異界の穴・・・。」


 オレが呟く。その声ですら飲み込んでしまいそうな黒。まるで闇が世界を侵食しているかのようだ。


 冬木真冬が起動した紋章陣が何らかの効果を発揮した。黒の膨張が止まる。それでも縮小させるには至らず、紋章陣は術者の気力を喰らいながら起動を続ける。かろうじて異界の穴の拡大を防いでいるようだ。


「これでは冬木さんがジリ貧だ。」


 異界の穴が拡大する原動力が何なのか、それは分からない。けれど、拮抗する力のぶつかり合いならば勝敗を分ける要因は体力と運。人一人の力で抑え込んでいるのもそう長くは持たないだろう。


 この状況を打開できるような逆転の一手がない。


 冬木真冬はよく抑え込んでいる。なんせ、異界の穴に関しての情報がまるで無い状況から対策を導き出したのだから。それを考えると、彼女が用意した対策は一定の効果を発揮していると思っていい。だけど、それはあくまで異界の穴の拡大を防ぐ事にフォーカスした場合であり、紋章陣を起動させて尚異界の穴を塞ぐに至らないのは、冬木真冬の想定を上回る力が異界の穴を広げるからだろう。


 徐々に冬木真冬の表情が険しくなっていく。これで精一杯と言った感じだ。


 現在は何も動きがないけれど、もしも、異界の穴から何等かが現れたなら、この状況は一気に悪い方向へ流れていってしまう。不足の事態とはその時の事か。


 本来ならここで後一手。そう考えると、この場に小春と梨夏が居ない事が悔やまれる。


 オレが何もできないまま数分が経過した。


 冬木真冬を見ると疲労の色が浮かんでいる。消耗しているのは明白。あとどれ程体力、気力が保つのかまでは分からない。ただ、今の拮抗した状態はすぐにでも瓦解してしまいそうだ。


 そんな時、異界の穴に異変が起こる。


 広げる為にかかる力が増大しているような、押し込めようとする冬木真冬の力に反発するように、異界の穴の周囲が赤く成り始めた。それは一見すると炎のよう。


「こ、これでは・・・保たない。」


 冬木真冬の悲鳴にも似た声が聞こえた。


 冬木真冬が気を送り込んでいる紋章陣が割れた。ガラスが砕けるように、音は無かったけれど、砕けた破片が屋根の上に散らばる。


 枷が外れた異界の穴は一気に膨張し始める。


「おいおい、どうしちゃったんだ?これから何が始まるって言うんだよ。」


 思わず声に出してしまった。


 ある程度開いたであろう異界の穴から闇色の水滴が粒を成すように、黒が一雫落ちた。


 冬木真冬が刀を抜いた。月下でもわかる青い刀身。


「シロ。」


 冬木真冬の声。黒い雫が地面に落ちる。これは以前対峙した黒い影のようだ。ならば、次に現れるのは赤い単眼。背に冷たい物が流れる。恐怖がフラッシュバックした時、何かが手に触れる感覚があった。オレはそれをしっかり握り込んだ。

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