第43話
先程まで話し声があった店内は、冬木真冬が居なくなった事で静かになってしまった。湧き上がる寂しさは虚無感に似ている。一人暮らしの経験がある人には分かってくれるのではないかと思う。話し相手がいなくなると寂しいものだ。
洗っていたコーヒーカップと器具を片付けると照明を全て落とした。
帰路につく訳だが、外へ出ても冬木真冬とシロの姿は無い。ついでに言うと、ホスト野郎の姿もなくなっている。
ふと思うのだが、ガムテープでぐるぐる巻きの男をどうやって運んだのだろうか。こんな時、オレの想像力は活発な働きをみせる。大きな白い狼の背中に乗せられているガムテープでグルグル巻きの男の姿が頭に浮かんできた。
「・・・なんだか、シュールな光景だよな。」
理解が追いつかない。笑えないレベルで情報量が多い。
巫女服で歩いているだけでも目立つ。さらに、白く大きな狼が隣を歩いているのだ。それだけでも注目を集めるのは必須。その狼の背中にはガムテープで顔が見えないほどぐるぐる巻きにされた男。
警察に見つかると職質では済まない。確実に一発アウトだ。
パトロール中の警察に出くわさない事を祈るばかりだ。しかし、祈りの言葉なんて出てこない。代わりに口から漏れたのは酷く投げ槍な言葉だった。
「まぁ・・・いいか。」
今は帰る事が優先。冬木真冬には悪いけれど、些末事を考えている場合ではない。早く帰らないと同居している奴が拗ねてしまうからな。
いつものようにコンビニで食事を買って帰宅した。もちろんクロコの食事も買ってある。ぶつからないように玄関を潜る。
深いため息が漏れた。それに言葉が続く。
「ただいま。」
「おかえり。遅かったじゃない。」
暗い部屋の奥から声が飛んでくる。もちろんクロコだ。
玄関の明かりをつけると、居間へ続く廊下にクロコの姿があった。オレを出迎えてくれたのか、遅い帰宅を断罪するために待っていたのか、人であれば表情で感情を探る事もできるのだが・・・オレはまだ表情から猫の感情を察する事はできない。
「ちょっとトラブルがあってな。対応してたら遅くなった。腹減ってるだろ?今用意するから待ってて。」
見上げてくるクロコの横を通って居間へ向かう。返答は何もなかった。
「女の臭いがするわ。」
クロコの言葉を受けて立ち止まった。そして、ゆっくり振り向く。
現在、浮気を疑われた中年男性の気分を存分に味わっている。
女の臭い・・・そうか、冬木真冬を運んだ時に彼女の臭いが着いたのだろう。もっともオレには冬木真冬の臭いを感じる事はできない。クロコにはオレ以外の臭いが、特に女性の臭いが分かるのだろう。
オレは自分の体を臭ってみた。やはり分からない。これで、冬木真冬の臭いを判別できたら自分を変態認定していいと思う。
「トラブルの際に女性に触れたからな。」
クロコの表情がしかめっ面になった気がする。
「そう、密着したのね・・・忘れていた。タムは変態だったわね。」
話が明後日の方向に飛躍してしまった。
「こらこら、人聞き悪いぞ。オレは断じて変態ではない。」
猫に変態呼ばわりされる飼い主はこの世に何人いるんだろうな。最近レアな体験が多すぎて、普通が恋しくなってきた。自発的にレアな体験を受けに行ってるなら自粛すればいいのだが、この件に関しての原因はオレ以外の所にある訳で、オレがいくら頑張った所で改善されるかは不明だ。
どうしようもないこの状況を流されるまま流されて、流れから抜け出すチャンスを伺うしかない。
追い打ちを仕掛けるようなクロコの問があった。
「それなら、何?」
な、何とはなんだ?変態以外にオレを表す言葉を示せと言っているのだろうか。それならば、自覚している特徴をクロコに伝えよう。
「変人・・・かな。」
頭の中から振り絞った感を出してみた。
変態と変人の何が違うのか、その質問に答える為には多くの言葉を要するので割愛する。でも、そのへんの線引きはしっかりしておくべきだ。
今は思考する行為が凄く億劫だ。すぐにでも休みたい。
「あぁ、面倒くせえな。」
自分の状態がそのまま口から出てしまった。しまったと思った時には遅い。
「あら、それは悪かったわね。面倒な私はしばらく話しませんから。」
クロコは不貞腐れた態度でそっぽを向いてしまった。
これはオレの言い方に問題があった。自分の思考に対する感想ではあったけれど、この話の流れではクロコが面倒なヤツだと言っているようなもの。
「ごめん、ごめんって。クロコに言った訳じゃないから。」
まずは謝罪の言葉。彼女でもこんな丁寧に接したりしない。そもそも彼女がいたのは遠い昔。もはや記憶に無い。副産物で涙が出そうが事実を思い出してしまった。
背を向けていたクロコがこちらへ顔を向ける。何も言わずにジッと見上げる。
私はお前の言い訳を聞いてやるぞと言っているようだ。
「自分の考え方が面倒だなって思って。」
「あら、そんな事ならタムの近くに居る人なら皆知ってる話じゃない。今更言わなくていいわ。」
それなら拗ねたような行動をしないでくれませんかね、その言葉が出かかったけれど喉の奥に押し込んだ。
「とりあえず、ご飯ちょうだい。誰かさんが遅かったからお腹ペコペコよ。」
「へーい、その誰かさんはすぐに食事を準備しますね。」
コンビニ袋からネコ缶を取り出してキッチンへ向かった。
クロコの食事を用意すると感謝の言葉が返ってきた。オレ自身も居間のテーブルに並べた弁当の封を切って食べ始める。
さっきまでの非現実的な出来事が嘘のようだ。オレの日常はこうあるべき、そう思った。
「タム、もう少し食べたい。」
そう、クロコが喋らなければね。
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