第30話

 黒い影の頭に該当する部位が動く。そこには単眼のような赤い輝きがあり、それが目の役割を果たしているのならば、ヤツは視覚的に情報を取り込んでいる。前に遭遇した個体よりも人間に近い形をしているだけあって動きも人間に近い。


 予言書には小春と梨夏が助けに来てくれるとは記されていたけれど、すぐに来てくれるって訳ではなさそうだ。


 このまま車に乗っていればオレの存在に気付かないのではないか、そんな淡い期待をしていたけれど、黒い影の単眼がオレなのか車なのかを補足して近寄ってきた。


 どうする、この場合はどうすべきだ。


 自分に何度も問いかける。オレの中に答えが無い訳では無い。導き出される選択肢は大きく分けて二つ。このまま車に乗っているか、降りて対峙するか。前者ならば無傷で助かる可能性はある。だが、愛車と呼ぶべきこの軽自動車がボコボコにされる、そんな未来が見えてくる。何としてでもそれは避けたいような気もする。しかし、車から降りると自分の命の保証がない。


 即決しなければ全てが手遅れになってしまう。


 光のナイフが出現してくれればオレだって反撃くらいできる。前回と同様の効果が期待できれば、小春と梨夏の二人が来るまでの時間くらいは稼ぐ事ができるだろう。それならばと思うけれど、一つ大きな問題がある。オレは自分の意思で光のナイフを生成できない。


 いや、ちょっと待て・・・それって根本的にダメだろ、奇跡に命を預けるつもりか。


 誰も見ていないこの瞬間に命をかけた大博打を打つなんてエンターテイメントにもなってない。丁か半か、二択を外したらどちらにせよ待っているのは、死。


 あぁ、外に出るのは怖い。だけど、出ないと車が・・・迷っていれば済む問題じゃない。車が破損した上でオレが怪我をするのは一番ダメだ。


 大きく息を吐いて、焦る思考を無理にでも落ち着ける。冷静に情報を精査す為に。これ以上恐怖に気圧されっぱなしはゴメンだ。


 予言書によって梨夏と小春が来てくれる未来はほぼ確定しているのだ。ならば、オレと車の両方が無傷が最良。光のナイフは身の危険を感じた時に生成された。ならば、どうにかなるのではないか。生成できる出来ないはこの際問題ではない。逆説的に、オレが命をかければ光のナイフはオレに力になる。この仮説の勝算は?そんなのは知らない、ただ無謀な挑戦をする勇気の有無だけだ。


 オレは気持ちを固め。そして、行動に移す。車のエンジンも止めずに車から降りた。


 静かにドアを閉め、人型の黒い影へ視線を向ける。直接見るとたくさんの事が分かる。視覚的にも、対峙した時の肌感覚的にも、は世界にとって異質な存在なんだと。


 白いナイフの長さ、形状、数・・・それらを鮮明にイメージ。それと同時に車から離れた。


 危なくなったら助けてくれよ、オレ。


 自分の不思議な力に懇願する事しかできない。そんなオレを情けないと思うだろうか。こんな時に神頼みする奴に比べればマシだと言いたい。


 まだ人型に慣れていないのか、黒い影の歩みは緩慢で動きもぎこちない。以前現れたモノとは種類が違う、そんな印象。黒い影の赤い単眼がオレを追ってくる。獲物を見つけたハンターのように赤い単眼の輝きが増した。


 肌が泡立つ程の悪寒。それと同時に手に何かが触れる。いや、それは感覚だけ。これは以前の感覚と同様。感触なんてものは無く感覚的に何かが触れているだけ。しかし、見なくても分かる。この感覚は光のナイフだと。


 黒い影が屈んだ。次の瞬間、赤い単眼がオレの眼の前にあった。瞬間移動したと思った。オレの目では黒い影の動きを追えない。


 振り下ろされる黒い影の拳を反射的に避けたると、たたらを踏んで後退してしまった。黒い影の追撃、力任せに瞬間的に黒い影の拳が大きくなった。屈んでそれを避ける。頭上を通過する拳。咄嗟に手にあるものを投げつけた。悲鳴なんて無かった。ただ、黒い影の腹部に白いナイフが刺さっているのが見る。


 オレは体制を大きく崩され、尻もちをつく形で黒い影を見上げた。


 動体視力に自信があったけれど、それは昔の話。最後にバッティングセンターに行ったのは五年前だったか、その時は百六十キロがバットに当たった。しかし、当時見た白球よりも黒い影の拳の方が速かった。一瞬の出来事に汗が吹き出る。同時に呼吸が激しく乱れた。


 正直危なかった。前回の個体も早かったけれど、は目で追える速さではない。直感で避けることはできたけれど、もしフェイントを入れられたら、もし連撃されたら、オレは避けることができるだろうか。


 考えれば考えるほど腹の底からフツフツと湧き上がるものを感じた。


 何時になったら小春と梨夏は来てくれるのか。予言書に何も記されていなかったから、ヤツの攻撃が直撃する事はない、そう思いたい・・・単純に痛いのはイヤだ。


 黒い影が再び屈む。この体制では、同じ攻撃を避けるのは叶わない。もう、痛みを受け入れるしかない。なにか打開策は・・・。そうか


 思考が終着点に行き着いた時、黒い影を取り囲むように光のナイフが出現する。


 全速の突進を選択した黒い影。ヤツ目掛けて光のナイフが一斉に襲いかかった。オレの眼の前から全てのが一瞬で消える。それと同時に頭上を何かが通過。背後で大きな音がした。振り返ると、そこには全身に光のナイフが刺さった黒い影が転がっていた。


 黒い影の指がピクリと動く。そして、ハリネズミのような姿で立ち上がろうとしている。光のナイフが刺さったままの赤い単眼がこちらを向く。立ち上がろうと焦るオレの意思とは逆に体の力が抜けた。激しく乱れた呼吸が体の異常を警告している。そう、これは前と同じ状態。誰の言葉だったか、気が乱れた状態だ。


 黒い影にもダメージがあるようだ。ゆっくり立ち上がる。そして、役目を終えたと言わんばかりに光のナイフが消えた。


 以前はこのタイミングで彼女が来てくれたんだ。たぶん、あの二人はもう来ているはずだ。


 オレの願いが叶ったのか、何処からか詠唱が聞こえた。聞いた事のない言葉、しかし、その声には聞き覚えがある。さらに黒い影の足元には円形の陣が展開、発動した。燃え上がる黒い影。直後に呪文の詠唱が終わり、頬を撫でる風が突風となり、勢いを増して渦となった。その風は炎をより強くさせる。


 ヒーローの登場シーンみたいにならないと、オレは助けてもらえないのか。オレには苦笑いする気力すら残っていなかった。

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