第29話
冬木真冬が退店した後の営業は滞りなく進んでいく。小春と梨夏も食事を終えると退店し、その後は特に何のイベントも発生しなかった。仕事を済ませたエリは早々に帰宅し、店内に一人残されたオレはレジ周辺の締め作業をしている。
伝票の整理も完璧、レジ金にも差異はない。エリの仕事に感謝だ。余計な仕事が増えずに済む。
「よし、これで終わり。」
レジ金を金庫の中に入れて蓋を閉じた。
店内AGMも流れていない今、店内は冷蔵庫のラジエーターの音以外聞こえない。不意に昼に起こった出来事が思い出した。すると、気分が落ちたのだろう、体が重く感じられた。背もたれに身をあずけると、意図しない溜息が口から漏れた。
「予言書ね・・・また、余計な事に巻き込まれたもんだな。オレは当事者じゃないじゃないか。まったく。」
あえて口に出してみる。けれど、オレの言葉は何の効力も発揮せずに消えてしまった。言霊の存在を疑いたくないけれど、今吐き捨てた言葉はただの悪態に過ぎない。
完全に脱力しきりボーッと天井を見た。天井のシミが気になった訳ではない。ただ、今は何も考えたくない気分だった。それでもオレの思考は活動を続ける。
仮に予言書があると仮定し、それでも冬木真冬が語った内容で気になった部分がある。まずは彼女が聞いたオドって言葉だ。フェンタジーアニメや漫画、ラノベならばその単語を聞いた事がある。体の中の生体エネルギーに似た力で、主に魔術等に用いる単語だと認識している。だが、現実世界でその言葉を聞く事なんてまずない。それは魔術なんて現実に行使できる者などいないのだから仕方ない。
そしてもう一点、小春と梨夏が言っていたらしい私達の国と言う発言。そもそも彼女達は外国人なんだろうか?お隣の国で魔術の研究が盛んになったなんてニュースは見たことがない。仮にそうなればネットが大いに盛り上がるだろう。そして、彼女達の国から誰かが予言書を盗み出した経緯。さらに言えば、どんな経緯でこの店に予言書が巡ってきたのかも・・・。
「あぁ、もう分からん。」
忌々しく頭をかく。それで物事が解決するならいくらでもする。だが、解けない問題は頭の中に残り続けている。オレが首を突っ込んでなにができるって訳でもないって事だ。
とりあえず今日の仕事も終わったので、早く帰って飯にしよう。たまにはクロコの相手をしてやらないと、拗ねたら面倒だ。
だけど、そんな時に限って余計な事をしてしまう訳で。
金庫をしまう時に黒革のカバーの本がどうしても気になってしまった。軽い気持ちで黒革の本に手を伸ばした。まるで、それが必然であるように。
本に触れると、体から本に何かが流れ込む感覚があった。それは、頭で分かっていなければ気にもとめないほどの感覚。オレは多少の不快感を感じつつ、近くの椅子に座って本を開いた。やはり最初のページの日付が本日のものに変わっている。ゆっくり内容を確認した。分単位で出来事が記されている。
頭の中が毒電波に汚染されたようなその内容に、オレは眉をひそめた。
並行世界からの干渉を受け、空間に歪みが生じる。その際、黒い影が生成される。春野小春と夏川梨夏に助けられる。
黒い影・・・先日の夜の出来事が頭をよぎる。どうしてこの本を開けばヤツ現れるんだ。この本を燃やしてしまいたい気になった。
「それで、時間は・・・。」
思わず時計を見た。黒革の本に記されている時間は今から二十分後。なんでオレなんだよ、そんな泣き言を言いたい気分になる。うなだれたのは数秒、オレはすぐに立ち上がって帰宅の準備を早めた。だらだらしていたら二十分なんてあっという間だ。早々と帰路に着いて黒い影と対面しない方向にすすめたい。だが、どんなに早く動いても帰宅準備には十分程度かかってしまった。
「さて、急げ。」
店のドアを施錠して車に急ぐ。
やや欠けた満月が夜空に浮かんでいる。オレの視力では満点の星空を見る事はできなかった。
車に乗り込むとスマホに着信があった。画面を見ると業者の名が記されていた。まったくタイミングが悪い。空間の歪みが生じるまで残り五分、因果がオレをこの場に留まらせたいとしか思えなかった。業者には悪いが、今はこの場を離れる事を優先させてもらう。スマホを助手席に投げ置き、車のキーを差し込んだ。しかし、こんな時に限ってエンジンのかかりが悪い。その上数回のエンストを繰り返してしまった。
あと数分に迫るタイムリミットに焦りを覚えつつ車のキーを回す。エンジンがかかりアクセルを踏み込む。今回はエンストせずに走り始めた。しかし、店の駐車場から出る前に空に異変が起こった。
デジタル時計は予言書に記された時刻を示していた。
闇夜に赤い亀裂が入った。その亀裂が拡大して、とうとう空が割れたんだ。空の破片と共に落下してくる黒い塊。それはオレの進路を遮るように地面に落ちた。
前に見たときよりも若干小さい。表面に赤い瞳が生まれ、周囲を警戒するように動いた。
慌ててブレーキを踏んで、ギリギリ黒い塊に接触する事なく車が止まった。ギアをバックに入れ替えてアクセルを踏む。黒い塊から距離をとった。二回目で多少耐性が付いたのか前回と同様に動けなくなる事はなかった。
黒い塊はモゾモゾと動いた後で変異を始めた。だが、今回はより人間らしいフォルムとなっていた。それでも単眼は相変わらずで、身長はオレと同じ程度か少し高い程度。しかし、頭にある角のような部位が人外である事の証明のようになっていた。
車の中から見ても全身の毛穴が泡立つような、恐怖を感じずにいられなかった。
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