第26話

 忙しいようで普段通りのランチタイムだった。ピークが過ぎると昨日に引き続いて冬木真冬が来店した。毎日来てくれてありがたい話だ。


「この時間ならランチセットを注文できるんですね。」


 そう言って笑顔をパスタセットを注文。いつもはランチタイムから少し外れた時間に来店するため、今日は時間を合わせて来たのだろう。


 冬木真冬はメニューを眺め、オレが気まぐれで作ったラザニアを選択。ロングパスタ以外を選択するのは始めてではないだろうか。今日はなぜラザニアを選択したのか、その理由を聞いてみた。


「私、ラザニアって食べた事無くて、美味しいとは伺っていたんです。でも、私が行くお店って日本食が多いので、ラザニアを出してる店が・・・いつかチャンスがあればと。そうしたらランチメニューにあったので、食べるしかありませんよね。」


 凛とした雰囲気でキリッとした表情を見せる冬木真冬。


 どれほどの期待値でラザニアを注文したのだろう。彼女の期待値を下回らないと良いのだが。それは食べてもらわないとなんとも言えない。


 加えてショートパスタを注文しない件についても聞いてみた。


 それに対しては、名前を見てもどんなパスタか想像しづらいから注文しづらいらしい。オレキエッテはたまに提供している店もあるけれど、ストロッツァプレッティやマルタリアーティ等を耳にする機会はなかなか無い。食に対しては冒険する人間なら注文するのだろうが、現代日本を生きる人々は総じて食に対して保守的だ。聞いたことが無い物を注文する人はなかなかいない。


 ラザニアを手早く仕上げて冬木真冬の前に置いた。


「はい、お待たせ。これは盛り付けをワンプレートにしてみました。」


 少し大きめな皿にサラダと切り出したラザニア、そして、パンと前菜を一品。我ながら見栄えが良い。自画自賛できるレベルである。カフェを謳っているのだからこんな盛り付けもありだろう。今回は自分のチャレンジ精神に身を任せてみた。


「へぇ、いい香りですね。」


 ボロネーゼとホワイトソース、それに、モッツァレラと粉チーズの焼ける香りが混ざる。匂いで腹が減るなんて事があるけれど、焼き肉、炉端焼きに並んでこれもなかなかレベルが高い香りだ。


「タムさんのラザニアは凄く美味しいんですよ。私も好きです、コレ。」


 いつの間にか近くにいたエリが言った。エリは笑顔でラザニアを見ている。これで今日の賄が確定した。


 エリが言った、私も好き、料理を評価する言葉として非常に良い言葉だとオレは思っている。単に従業員がオススメだと言われてもピンとこない。でも、料理を食べた人が、好き、とか、美味しいですよ、とか言うなら食べてみようかと思ってしまう。


 これは料理を生業としている者の性なのかもしれない。もしくはオレだけの感覚なのか。


「どうぞ、召し上がってください。」


 オレが言うまでもなくエリが食を促した。


 オレは冬木真冬の反応を見ないで洗い物を始める。彼女の声は眼の前に座っているのだからオレにも届く。


「美味しい。」


 蛇口から流れ出る水の音に隠れるような冬木真冬の声が聞こえた。この一言が聞けるだけで満足だ。見なくたって分かる、こんな声でこの言葉が出る時の表情は決まっている。


 オレは洗い物をしながらほくそ笑んだ。


 だって嬉しいじゃないか。少しは満足してくれたって事だろ?人によって満足の度合いは違えど、作った本人としてはさやっぱり嬉しいんだ。これも感謝の言葉と同じで、相手に伝えてあげた方が良い言葉の一つ。その一言が作り手のやりがいにつながるのさ、きっとそう。何気ない一言がきっかけでその道のプロになる人だっている。何を隠そうオレがその一人だ。



 冬木真冬にラザニアのプレートランチを提供してからしばらくは、お客さんの来店が止まったままだった。ランチの終了時間が近いからだろう。


 オレは食事を終えた冬木真冬が注文したブレンドコーヒーを落としている。


 カウンターを挟んだ向こう側では冬木真冬とエリが談笑していた。女の子二人による言わば、ガールズトークには首を突っ込まない。いや、オレがオジさんだから首を突っ込めないって表現のほうが正しい。だが、二人の話の内容は日本茶の話や美味しい蕎麦屋、寝具が主であり、二人の年齢を考えればずいぶん外れた内容ものばかりである。


 冬木真冬に提供するコーヒーをカップに注ぎ入れた時、エリがお客さんに呼ばれて場を離れた。下皿とスプーンを添えて冬木真冬の前に置く。


「はい、お待たせしました。」


 テンプレートのような言葉をかける。すると、冬木真冬からお礼の言葉が返ってくきた。それから彼女が小声で話し始めた。


「昨夜ここで食事した後、妙な二人組に声をかけられまして。」


 冬木真冬はコーヒーに砂糖とミルクを入れながら言った。彼女は普段ブラックで飲む。思考しているが故の無意識の行動なんだろう。それとも、その昨夜の出来事が精神的なストレスになっているのだろうか。


 ここは年上のオレがウェットなジョークで和ませるべきところだ。


「ナンパですか?冬木さん美人ですからね。」


 オレの返答を聞いた冬木真冬の目が露骨なジト目になった。どうやら失敗したらしい。和ませるどころか一瞬殺意を感じた。心の中で、失礼しました、と呟いて目を反らす。


 わざわざ話すのだから重要な何かを含んでいると考えて良い。ナンパされたって話ならばオレに報告する必要は無いし、先のエリとの会話の中であっても良い話題だ。


 エリが場を離れてから話題を振ってきた時点で少し怖い。


「眼の前に現れたのは女の子が二人。歳の頃は、そうですね・・・おそらく私よりも少し下でしょう。」


 そもそも冬木真冬の年齢を知らない。そんな事を言って話に水を差すと今度こそ嫌われてしまうかもしれない。何も言わない事で話を先へ促す。


 沈黙を是とした冬木真冬が話を先へ進めた。


「とても可愛い女の子達だったんです。」


 そこまで言った冬木真冬がコーヒーを口に運んだ。そして、コーヒーが甘い事に眉根を寄せた。

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