第20話

「おかえりなさい。今日はずいぶん遅かったじゃない、何かあったの?」


 レジ袋を持って帰宅するとクロコが出迎えてくれた。クロコは闇と同化しているため見ることは叶わない。それでも、いつもオレが帰って来る事を察知して玄関で待っていてくれる。今日だってすぐそこに居るんだろう。


「あぁ、何ていうか、仕事終わりに一悶着あってな。はぁ、疲れた。とりあえず座りたい。」


 スイッチを押すと明かりが灯った。いつも通り居間の入口で座っているクロコはオレを見上げていた。


「あら、ずいぶんお疲れじゃない。話は後で聞くとして。お腹空いたわ、私。当然私のご飯は準備してくれるんでしょうね。」


「分かってるって。そう急かすなって。食べる前に準備するからちょっと待ってて。」


 クロコを避けて居間へ入る。照明のスイッチをオンにした後で手にしたビニール袋をテーブルの上に置く。座る間もなく袋の中から缶詰を一個取り出して台所へ向かった。先にクロコの食事を準備しないと後でうるさいからな。


 猫缶をクロコ専用の食器にあけて居間へ戻った。


「クロコ、飯だぞ。」


 クロコの食事スペースに食器を置くと、オレの後をついて来ていたクロコが立ち止まって見上げた。


「ありがと。先にいただくわ。」


 クロコが食べ始めたのを見て座椅子へ腰を下ろす。座椅子には黒い毛が着いていた。オレの髪の毛は白髪混じりだ。座椅子に付着している毛はたぶんオレのものではない。オレが留守の間、クロコがこの上で寝ていたのだろう。


 本来ならばコロコロを使って毛をどうにかするのだろうけれど、私生活においてオレは非常にガサツだ。


 不意に短い溜息が漏れる。どうしてかって、理由なんてそう多くない、先程の出来事を思い出したからだ。


 氷刃の巫女は店に来てくれるお客さんだった。服装は違えどあれ程の美人はそうそういない。ドッペルゲンガーが現れない限り見間違えるのは難しい。黒革の本に記されていた彼女の名は冬木真冬だったはず。


 それにしても、今夜の出来事をどう飲み込んでよいものか迷う。予言書には助かるとあったけれど、黒い影が現れた時点で恐怖で他の事など考えている余裕は無かった。頭の中からは氷刃の巫女の事などすっかり抜け落ちていた訳で。それを考えれば五体満足なのが奇跡のように思える。


 ポジティブに考えるのは楽観的が過ぎるのだろうが、無傷で生きているし、なにより美人の知り合いができたんだ。全てがマイナスではなかったと思うことにしよう。


 冬木真冬は黒い影について何も教えてくれなかった。「知らぬが仏って言葉があります。」彼女がオレに告げたのはそれだけ。後日お客さんとして来店すると言っていたけれど、今夜の事は何も話してはくれないと思う。


 黒い影に氷刃の巫女である冬木真冬。まるで邪を滅する守護者だな。


 そうそう、冬木真冬には聞きそびれた事が一点ある。


 黒い影を後退させたきっかけ、手に触れた感覚だけがあった白いナイフ。あれは一体何だったのだろう。いくら両手を見てもオレの手に変わりはない。すぐに消えたことを考えるとあれが物質として存在していたのかも怪しい。でも、そんなモノであんな化け物を退けることができるのか。オレには分からない事だらけだ。


 氷刃の巫女である冬木真冬ならば何等かの答えを知っているだろうか?


「どうしたのさ、手に何か着いてるの?」


 反射的に声がした方を見るとクロコと目が合った。こちらを見ながら口元を舐め回している。


「いや、別に。頭脳線が短いなって思って。」


 それを聞いたクロコは目を細めた。その表情は笑っているようにも見える。


「あら、なに言ってるの?今更じゃない。」


 クロコの返答を聞いてオレは鼻を鳴らして口元を歪めた。



 翌日の昼過ぎ。冬木真冬が来店してカウンター席に座った。今日の服装はジーンズに白シャツ。案内だけはエリがしてくれたが、他のお客さんに呼ばれたのでそちらの対応に向かった。そうなると、必然的にオレが冬木真冬の対応をしなければならない。


「いらっしゃいませ。昨晩はありがとうございました。」


 小声で感謝を告げてメニューを手渡した。


「いえ、仕事ですから。」


 あくまでクールな対応をする冬木真冬。


 仕事・・・ね、巫女服を着用して影を滅する。彼女の仕事とは一体何であろうか?


 オレの顔を見て何かを思い出したように、冬木真冬がジーンズのポケットから名刺入れを取り出した。その中から取り出した一枚をオレに差し出した。


「これ私の名刺です。」


「頂戴します。」


 反射的に受け取ってしまった。オレの名刺は何処にあっただろうか?確か・・・やはりこの引き出しの中に入っていた。お返しと言わんばかりに名刺を差し出す。


 これでは普通の名刺交換だな。


 頂いた名刺に目を通す。彼女の名前の他に電話番号とアドレス、職業の記載があった。美人女性の連絡先ゲットなんて浮かれている場合ではない。職業には、そしてその二つが書かれていた。


「氷刃の巫女・・・邪気祓い?」


 正直に言おう、どちらも初めて聞く職業だ。昨夜の冬木真冬の服装を見れば巫女であろう事は分かる。しかし、氷刃とは?日本刀を持っていたから氷刃なんだろうか。そんな彼女が影を葬った。それが邪気祓いの使命なのか。オレには理解できない分野ではある。


 それか、そんな設定を自分に課しているのか。案外、モデルのような外見をしているけれど、その実はかなりの厨二病って可能性もある。


「なんだか失礼な事を考えていますね?」


 冬木真冬に心を読まれてしまった。内心動揺したけれど、それを表に出さないように平静を装った。


「いえ、珍しい御職業だなと。初めて聞いた職業なので、どんな事をしているのかまではちょっと。」


 それっぽい事を言って誤魔化す。冬木真冬がこれで納得するかと言われれば別の問題で、そうですか、とだけ言った。

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