第16話

 オレの夜食とクロコの食事が入ったビニール袋を手にコンビニを出て車に乗って家路についた。道中を華やかにするのはスピーカーから流れてくるロックバンドの楽曲。ミドルテンポのバラード。他のアーティストは聞かなくなって久しいオレが今なお好んで聞く稀有なバンドだ。


 道すがら近所の公園の脇を通ると、数日前の事が頭をよぎった。大きな黒い影と狼男の戦い。それと、銀色に光る何かを構える狼男の主であろう人物。


「氷刃の巫女・・・ね。」


 黒い革の本に記された内容を思い出す。


 どうにも読んだページが頭から離れない。書かれていた巫女に何から助けてもらえうのかは書かれていなかった。不安だけが膨張し続けてる。だってそうだろ?明後日の夜、オレは何らかのネガティブな事象に苛まれるのだから。


 不意に溜息が漏れた。


 耳に入るバラードの歌詞は失恋をテーマにしたものだ。それも溜息ものなんだろうけれど、今のオレの心境とはミスマッチである。


「カウントダウンの数字が少なすぎるんだよな。パチンコでもカウントダウン演出は三からって相場が決まってるじゃないか。」


 明後日を零と考えれば今夜のカウントは二。やっぱり早い。せめて一週間前には知っておきたかった。


 いきなり特殊な注文をされては仕込みも追いつきやしない。どんな仕込みをすれば対処できる事象なのか分からないので、座して時を待つ以外にオレにできる事など無い。


 それでも心の準備ってやつが必要だろ。



 憂鬱な気分を抱えたまま部屋の鍵を開ける。奥から女性の声が聞こえた。


「おかえりなさい、タム。」


 玄関の電気をつけると廊下の先にクロコが座ってジッとオレを見上げている。


「ただいま。」


 クロコに告げたのはそれだけ。


 オレの言葉を聞いたクロコが目を細る。その表情が笑顔に見えた。何の不安も無いような顔。なぜか目を反らしてしまった。


「ご飯買ってきたから食べよう。」


 靴を脱いで居間へ向かった。後ろからトトトと軽い足音が追ってくる。構わずに明かりをつけると、持っていたコンビニ袋をテーブルの上に置いた。


「なんだか元気無いわね。」


 背中にかけられた言葉。オレはいつも通りクロコに接していたはずだ。それでも、クロコは何かを感じとったのだろう。野生の感って奴なのかね。


同居者とはいえ、猫に心配されるのは初体験だった。もしかすると、家族と一緒に生活していれば、クロコのセリフを他の誰かに言われていたんだと思う。


 心配してもらうのは素直にありがたい。だけど、オレにも変な意地ってやつがある。


「いや、何でも無いよ。」


 意識しなくても強がりがスルリと出てきた。


 座椅子に腰を下ろし、コンビニの袋から買ってきた冷製麺とおにぎりを二つ取り出した。冷製麺の封を解いて、食べる準備をした。


 オレ自身、素直な性格ではない事は自覚している。それに、クロコに余計な心配をかけたくない。クロコが喋りだしたのも頭が痛い事でもある。当事者に相談してもな。相手は猫だ。正解を導き出してくれるとは思えないし、へそを曲げられても面倒だ。



 結局誰にも話せないまま二日が経過した。二晩はよく眠ることができずにやや寝不足気味。黒革の本に書かれていたとおり、昨日は大久保が来店した。オレは彼を苦笑いで出迎えることしかできなかった。


 全世界の時間が止まることも無ければ、この店の時間の流れが十倍に引き伸ばされる訳でもない。氷刃の巫女に助けられると記載があった時間が迫ってくる。オレが何らかの不幸に襲われるのは十中八九間違いない。どんな内容の事が起こるのか、それを今から考えていても仕方のない話だけれど、気になるものは気になってしまう。そりゃ口から溜息だって漏れるさ。


 オレの様子を見たエリがクスクスと笑った。


「どうしたんですか?いつもより溜息が深いですね。それに回数も多い。溜息をついた数だけ幸せって逃げるらしいですよ。」


「そうか、不幸なオレだから未だに結婚できていないんだな。」


 そんな軽口を言える元気くらいはまだある。エリはそれを聞いてすぐに言葉を返した。


「残念ですけど、それはタムさんの男性としての魅力によるところが大きいです。」


 オレの心に鋭い何かが刺さった。


「でも、タムさんはその感じが良いんですよ。モテない感じが安心感につながってます。」


 エリは褒めているようで貶しているのではないだろうか。さっきから言葉が痛い。


「服装とか髪型とかもっと意識すれば女性からの好感度は高まるかもしれません。けど、タムさんの派手さのない感じ、私は好きですよ。」


 エリは勝手な事を言いえるとオレに笑みを見せた。


「あ、あぁ。ありがとよ。」


 オレは精一杯の笑顔で答えた。


 エリから心に鋭い刃物を投げ続けられたら、オレは立ち直れなかったかもしれない。男泣きでは済まない事態に発展していたかもしれない。そうなると正体不明の何から助けてもらう前に氷刃の巫女の登場を願わなければならない所だった。肝心の氷刃の巫女も正体不明ではあるけれど。


 エリが人差し指を立てた。どんな追い打ちをされるのかと身構えるオレ。


「まずは今日の営業に集中してください。後でお姉さんが話を聞いてあげますから。」


 四十歳も目前のオジさん相手に何を言ってやがるんだ。ちなみにエリさんは二十歳半ばである。一回り近い女の子に悩み相談か・・・キャバクラやガールズバーでもあるまいし。


「いや、特になんでもないから。話すことは無いけれど仕事には集中するよ。」


 その言葉を聞いたエリは再度笑顔を見せて自身の仕事に戻った。

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