第14話

 エリがランチの準備を終えてカウンター付近でコーヒーを飲んでいる。練習がてら入れて飲んで良いと言ってある。別にお客さんが居る時でも許可しているのだが、そこは彼女の中で線引ができているようで、彼女がコーヒーを入れるのは客さんが居ない時と決まっていた。今日のように朝の準備が早く終わらせた時等に毎日一杯ずつ入れている。


 キッチン内もランチの準備が整った。予定していた時間よりも早い。時計はオープンの十数分前を示している。


 カウンターから流れてくるコーヒーの薫りが鼻をくすぐる。


「オレも一杯入れようかな。準備も終わったし。」


 ポロッと言葉が口から漏れた。


 思いの外エリが入れたコーヒーの薫りが良いのだ。これでは飲みたくなってしまう。子供の頃からコーヒーを飲むのが好きだ。この喫茶店だってそれが昂じて始めたって経緯がある。


 もともとコーヒーなんて趣向品の類だし、タバコを吸わないオレは一服する時に飲むようにしていた。


 この店を立ち上げる前は缶コーヒーもよく飲んだ・・・思い出す味は甘いけれど、思い出は非常に苦いな。


 ドリッパーにフィルターと挽いたコーヒー豆を入れた時、スマホを操作していたエリがそれに気付いた。


「珍しいですね。タムさんがコーヒーをドリップするなんて。いつも仕事中に飲むのはエスプレッソじゃないですか。そっか、私が飲んでいるのを見てタムさんも飲みたくなっちゃったんですね。言ってくれれば用意したのに。素直じゃないですね、タムさんは。」


 言い終えたエリがクスクスと笑った。


 オレが素直かどうかを判断するのはエリなので、否定も肯定もする事はしない。だけど、エリが飲んでいるのを見て飲みたくなった事は否めない。


「いいよ、自分で入れた方が美味しいし。」


 ドリップの準備を進めながらぶっきらぼうに言う。するとエリが雷にうたれたような顔になった。


「そんな事言わないでくださいよ。確かにタムさんが入れた方が美味しいかもしれないですけど、私だって少しは上達したんですからね。」


 エリはそう言って手にしているカップの中身を口之中へ流し込んだ。それから、あぁ美味しい、と小声で呟いた。上達をアピールしているようだ。


オレが何気なく告げた一言がエリを傷付けたようだ。口は災いの元、素直に反省だ。


 沸かしたお湯をコーヒー豆に垂らす。この後は少し蒸らす時間が必要だ。


「・・・明日はオレの分もエリさんに入れてもらおうかな。」


 コーヒーが落ちる数秒の間に呟いた。


「ほぇ・・・。」


 気の抜けた声がした。視線を上げると、エリがキョトンとした顔をしている。エリが視線をさ迷わる。おそらくオレの言葉の意味を考えている。いくら考えたって意味は一つしかない。だが、彼女はその答えにたどり着かない。あえて事を難しく考えて解を先延ばしにしている節さえある。


 少なくともオレはそう感じた。


 それでも自分の頭で考えてもらおう。待ってあげるのも優しさってものだ。いや、この場合は厳しさかもしれないな。


「え、え・・・あぁ。え?いやいや、え、あぁ。」


 エリの口から言葉にならない声が漏れ聞こえてくる。その声を聞く限り彼女は何度かオレの言葉の解にたどり着いたのだろう。だけど、その度に頭を振ってその解を否定している。


 何をそんなに否定する必要があるのか。


 そうこうしている間にドリップし終えたコーヒーをカップに注ぎ入れ終えた。カップを口に運ぶ。そして、一口。


「美味い。」


 自然と言葉が漏れた。オレは自画自賛を恥ずかしいとは思わないからな。


「私が入れたコーヒーを飲んでもらうのもいいですけど、今みたいなリアクションにはならないと思います。」


 フリーズが解消したエリが言った。


 鼻から息を吐くと、口に含んだコーヒーの薫が鼻から抜ける。


「アレだよ、誰かに飲んでもらうのが目的だから。誰かって言ってもオレは身内みたいなものだが。美味くできたと思っても、誰か食べてもらうと微妙な反応をする時がある。その場合は改善が必要だろ?自分の好みとズレてないかを判断するのも味を作る者としては重要なのよ。」


「タムさんもいろんな人に食べてもらったんですか?」


 エリの問に何も答えずカップを口に運ぶ。そして、中を一口。苦味と心地よい薫りが口に広がる。気持ちが落ち着く。


「飲んでもらったし、もちろん食べてもらったよ。今もこうしてオープンキッチンで仕事してるだろ?お客さんが食べた時の反応が見えないのが不安なんだと思う。ある意味でストレスなんだよな。笑顔で食べてるの見れば安心。オレが作る味は間違ってないって思えるってものさ。」


 久しぶりに自分の経験と考え方を言葉にした。酒の席でもないのに。素面でこんな話をするなんて恥ずかしいな。


「それなら・・・。」


 だけど、そんなオレの恥ずかしい言葉が誰かの心に火を着ける時もある。


「それなら明日の朝、私が入れたコーヒーを飲んでください。」


 エリは笑顔だが、何処か不安げでもある。オレはそんな彼女に小さく頷いて肯定の意を伝えた。

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