第7話

 とある平日のお昼。いつものようにランチから始スタートした。しかし、オープンと同時に続々とお客さん来店したのは予想外の事で、あっという間に満席に近い状態になっていた。


 二人でパタパタと動き回り各テーブルの対応に追われた。


 オレだって普通に接客はできる。もちろんエリだってそう。二人共普通に仕事はできる。それでも、お客さんの来店ペースがこれほど早くては体が二つはないと追いつかない。さすがにこんな状況で全てをエリに丸投げする訳にもいかない。仕方ない、今は料理の提供を遅らせたとしても全てのお客さんにメニューを配ってしまうのが優先だ。それから注文を受ける。そこまでできてしまえばオレが十倍界王拳を使って・・・早く動いてなんとかする、それしかない。


 若い頃から散々言っているけれど、誰かオレに分身の術を教えてくれる人物を紹介してはくれないだろうか。切に願うね。


「これで今いるお客さんの注文は全部です。」


 一足先にキッチンの中へ戻っていたオレはエリの声を聞いた。パスタを茹でるお湯は沸いているし塩加減もバッチリだ。エリに目を向けると伝票を数枚、カウンターに置いていた。さて、ここからはオレが頑張らなければ。


「はいよ。」


 適当な返事をして注文内容を確認した。予想通りにランチセットへ偏っている。注文内容と数を確認の後でパスタの計量に入った。冷蔵庫から盛り込んでいたサラダを取り出した。ギリギリ注文数には足る数だった。それとセットでカゴの中にフォカッチャを入れてカウンターの上に置く。


 ある程度数が出揃うと、エリを呼んで指示を出した。


「とりあえず数だけ合わせてサラダとパンを出すから、伝票見ながら順番に持っていってくれるか。」


 簡潔と言えば聞こえは良いが、申し訳ないほどざっくりした指示だった。店主としては恥ずかしい限りである。しかし、この程度の指示でもエリならば理解して的確に動いてくれるだろう。そんな感覚を持てる程には信用しているのだ。


 いつもどおり、はーい、と返事をしたエリ。伝票を確認しつつサラダとパンを運んでいく。


「よろしく、次は・・・。」


 エリの返事を待っている余裕なんてない。計量したパスタをカゴの中に放り込んでお湯の中に入れる。それからタイマーをスタートさせる。数字が減っていく。急いでパスタソースの制作に入らなければ。その後はもう一種、更にもう一種。全三種を作る。


 気持ちは焦るが、焦ったところでパスタの湯で時間が早まる訳でもニンニクに火が入りやすくなる訳ではない。失敗する危険を考えても焦る必要なんて無い。考え方としては焦らず急げだ。逆に失敗して時間をロスする方が問題が大きくなる。


 焦るな焦るな、と自分に言い聞かせて作業のペースを上げた。



「これで最後。エリさん、よろしく。」


 把握している注文の最後をカウンターの上に乗せた。相変わらずマイペースな調子の返事をしたエリがその一皿を持ってお客さんの元へ向かった。


 短く息を吐く。緊張を体の中から吐き出すように。気持ち的には、終わったー、そう叫んでガッツポーズでもしたい気分だ。しかし、それはオープンキッチンなので、あくまで冷静さと落ち着きを持って雰囲気作りに勤めなくてはならない。


 来店した店で料理人が全ての注文を消化してガッツポーズをしていたら思う事はおそらくこうだ、何だコイツ。オレなら思うね、間違いなく。


 グラスに用意していた水を飲みつつ時計を見る。


「少しかかり過ぎだな。」


 最初の注文を受けてから全ての注文を消化し終えるまで三十分程度。パスタだけって事を考えると少し遅い。もう少し早く提供しなければ、調理工程のオペレーションの見直しが必要なのかもしれない。一人でこなしているからある程度は仕方ないと割り切る必要はあるし、この店に来るお客さんは時間に余裕がある方が多いのでクレームにつながってはいない。だからって何時までもお客さんに甘えている訳にもいかないだろう。


「タムさん、追加の注文が入ります。」


 エリはそう言って伝票の内容を読み上げ始めた。カウンターに置かれた伝票は数枚ある。聞いた内容はデザートだけ。間違いの無いように一応確認はしなければ。


 こんな感じで次々に注文が入る可能性があるんだ。肉や魚の調理でどうしても時間をかけねばならない物以外は、一つの作業に手をかけすぎる訳にはいかない。伝票が溜まっていくと必要以上にプレッシャーを感じて焦ってしまうから。


 これはキッチンに立ってみないと分からない事かもしれないな。


 切れかけた緊張の糸の再接続を急いで終わらせる。それから注文内容を確認して作業工程を決定した。先に聞いた通りでデザートとコーヒー。


 すぐに提供しても良いのだろうか?客席をチラッと見つつエリに問う。


「もう食事終わっているのかな?」


「いえ。まだ食事中ですけどもうすぐ食べ終わります。」


 急ぎではないけれど準備は進めてくれって事か、なんとなく状況を理解する。それ以上は何も聞かずにお湯を沸かし始めた。

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