第3話

 結局、大久保に提供したのはサラダを含めた冷たい前菜の盛り合わせと自家製のフォカッチャ。プリモ・ピアットにはタリアテッレを使用したボロネーゼ。セコンド・ピアットには豚のロースをグリルにして提供した。


「これ美味うま。」


 パスタを食べ終えたにも関わらず食べる速度が落ちない大久保。豚のグリルを口に入れて声を上げた。口元を隠しているあたり親の躾ができている。カウンターで談笑していた二人の女性が大久保の方をチラリと見た。


 それから大久保が疑問符を投げてきた。


「肉は豚なんだろうけど、このソースは何?生姜が入っているのは分かる。でも、イタリアンでこんな生姜焼きみたいな料理は無いだろう?」


「まぁ、あれよ、これは生姜焼きのタレをアレンジしたソースだ。材料も当にそんな感じだよ。」


 オレはソースに使った材料を大久保に教えた。


「最後に片栗粉でとろみをつければソースになる。コーンスターチでも良いんだけど、オレ的には片栗の方が使い慣れているからな。癖も少ないし。」


 大久保は相槌を打ちながらオレの話を聞いている。それでも、彼が豚ロースのグリルが口に飛び込んでいく速度は落ちるどころか少し早くなっていた。話し終えた時にはおよそ三分の二を食べ終えていた。


「それじゃ、オレは仕込みを始めちゃうから。もし、デザートまで食べれそうなら言って。」


 オレが言い終えるや否や・・・いや、むしろ食い気味に言った。


「食べる。」


 この短い言葉を告げた大久保。オレは彼の背後になんだかよくわからないオーラを見た。虎?いや、龍か。オレは静かに戦慄した。


 そこまで気合を入れて待つようなデザートなんて準備できない。期待外れにならなきゃ良いけれど。


「お、おぉ・・・そうか。」


 少したじろいだ感が出てしまったが気を取り直して問う。


「ティラミスとチーズケーキ、どっちが良い?」


 その問の答えを導き出すのに大久保は凄く悩んだ。一定ペースで食べ進んでいた手を止めるほどに。そして、導き出した答えをオレに告げた。


「・・・これを食べ終わってからでもいいか?」


 そう言われたオレは何も言えずに大久保の顔を見ていた。目が合う。同点の九回ツーアウト一、二塁で回ってきた四番バッターのような目だ。苦笑して見せたが、大久保は真剣な眼差しを向けたまま。何かを訴えかけているようにも見える。


 オレは数回小さく頷いた後で仕込みを再開した。



 お昼の時間が終わると、店内で食事を終えたお客さん達は会計を済ませて帰っていった。現在カウンターに座っているのは大久保のみである。


 大久保はオレが用意した簡単なおまかせコースを食べ終えてもデザートで何を食べるのか決めかねたままだった。友達とは言え今はお客さんと従業員の関係なので、彼が選択するのを待つしかない。


 とりあえずオレは大久保が食事を終えた皿を下げ始めた。


「それで、デザートで何を食べるのか決まったか?」


 その問いに大久保がジロリと視線を向ける。明鏡止水、彼の目はとても静かだった。なんだ、何なんだその目は。だが、分かっている事が一つだけある。食べるデザートが決定したようだ。言葉を発するのは明白。正直何を言われるのか分からず、思わず身構えてしまった。


 大久保がゆっくり息を吸い込む。息を飲むオレ。


「・・・ガトーショコラがでもいいか?」


 それは重苦しい声だった。何も言わずに彼を見返した。ふーん、素っ気ない返事をする。オレの視線を受けた大久保がたじろぐ。


「な、何だよ。」


「ガトーショコラね・・・まぁ、仕方ねぇな。用意するからちょっと待ってな。」


 そう告げた後は大久保の返事を待たずに作業を開始した。



 大久保にガトーショコラを提供した後、オレはサービスすると宣言してしまったコーヒーを落とす準備を始めた。するとしばらく、視界の端にエリの姿が入った。彼女はそのままキッチンの中へ入ってきた。


「どうした?」


 オレの問いかけにエリは特に返答する訳でもなかった。いったい何が楽しいのか、コーヒー豆に注がれるお湯を見ていた。


「ホールは?」


 違う質問を用いてエリに再度問いかける。


「先程帰られました。今いるお客さんは大久保さんだけです。」


 オレは店内をグルリと見渡す。確かに客席にはお客さんの姿は無かった。カウンターの端でガトーショコラを食べる同い年のオッサンを除けばである。先程までお客さんが座っていたテーブルは綺麗に片付いており、エリの仕事が速いかが分かる。


 不意にエリと目が合った。見上げられる事となったオレはなんだかドキッとして目を反らした。多少気持ち悪い反応になってしまっただろうか。


「私、お腹すきました。」


 エリはニコリと笑って言った。フィルターの中で泡を立てているコーヒー豆へお湯を追加で注ぎながら。


「少し早いけど休憩するか?休憩は少し長めでも良いか?」


 普段はこの時間もお客さんがコーヒーやデザートを楽しみつつ会話をしている。だが、今日はこんな状況だ。今後どうなるかは分からないけれど、無駄にエリを立たせておく必要もない。他にやってもらう仕事があればお願いしたいのだが、今日は特にそんなものもない。


 エリはオレの言葉を聞いて頷いた。

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