第2話

 ランチタイム中に新規で来店したお客さんはいなかった。だけど、三人の主婦にコーヒーとデザートを提供したのが呼び水となったようで、その後は他のお客さんからも注文が入った。それなりに作業に追われていた。


 カウンターの向こうからコーヒーの香りが漂い、提供されるガトーショコラとベイクドチーズケーキを見たカウンターの二人の女性。追加の注文はしないと思っていたのだが、すみません、オレに声をかける。はい、オレは顔を上げて女性二人を見た。


「チーズケーキとガトーショコラを一つづつ。それと、カフェラテを二つお願いします。」


 かしこまりました、とだけ告げてカウンターに置かれた伝票に記載、作業を再開した。


 ランチタイムを終えたこの時間、注文があるっても簡単なデザートとコーヒー、紅茶がメイン。作業しながらでも仕込みを進められるってものさ。もしも、手が回らなくなるほど注文が殺到した場合もそれはそれで数字的には嬉しい悲鳴だ。


 二つのカフェラテをカウンターの二人の女性に提供を終えた時、店のドアが開いた。しばらく来店が無いと鷹を括っていた。オレは鍋の中で甘くなった香味野菜をかき混ぜつつドアの方へ目を向けた。入ってきたのはよく見知った顔だった。


「おいっすー。」


 そう言いつつ空席となっていたカウンター席に腰を下ろした一人の男。彼はオレの数少ない友人の一人。名を大久保と言う。


 大久保は中学の時のクラスメートだ。話すきっかけは何だったか、すっかり忘れてしまった。それに卒業してからは別の高校に進学したのだが、どういう理由かこいつとは会う機会が多かった。何かと縁が続き、今では数少ない本音を話せる数少ない友人である。大久保とは波長ってやつが合うのだろう。


「おう、いらっしゃい。久しぶりじゃねぇか。」


 オレが大久保に言うと、彼はメニューを手に取りつつ目をこちらへ向けた。


「ようやく出張から帰ってきたからな。なんでいつも二週間が三ヶ月になるんだよ、まったく。俺は地元でゆっくりしたいってのによ。」


 大久保はため息交じりに言った。オレは苦笑しながら大久保と直近で会った時の会話を思い出していた。


「今回は台湾だったけ?」


「いや、中国。」


 大久保はそう言ってメニューへ目を落とした。どうやら彼の情報がアップデートされていなかったらしい。


「そっか。でも、これでしばらくは出張は無いんだろ?ゆっくり本でも読む時間できるじゃねか。」


 大久保はオレの言葉の返答として首を横に振って否を示した。


「いや、そうともいかなくなってな。来月の半ばにはまた戻らなきゃならなくなった。」


「中国?」


「そう、中国。」


 彼に対してなんて言葉をかけるのが正解なのかわからなかった。それでオレの口から出てきた言葉は、お前さんも大変だな、それだけだった。それに対して大久保は何も言わなかった。


 それから少し時間を空けて大久保に一つ問う。


「それで今日は何にする?」


 大久保は悩んでますと言わんばかりに唸る。どうやら注文を決めかねているようだ。


「そうだな・・・腹は減ってるんだけど。」


 彼にしてはなんとも歯切れの悪い言い方だ。


 オレは大久保が手にしているメニューを見て彼が思っている事を察した。ランチタイムが終わったこの時間に提供しているのはカフェメニューであり、食事もまた簡易的な物に限定していた。今の腹事情を満たせるような物を選定できずにいたのだろう。


「それじゃあ、今日の予算はいくら?」


 オレは大久保に問う。するとお財布の中身を思い出すように少し間が空いた後、大久保が答えた。


「三千円くらいで考えてくれれば・・・。」


 三千円か・・・、大久保の反応から彼の腹事情が透けて見える。おそらくそれなりの量を求めてはいる。しかし、彼の好みに合うような物を望んでいるんだと思う。腐れ縁のおかげで大久保の好みは大まかに把握できている。


「了解、それなら適当に作る。食後のコーヒーくらいはサービスしておくよ。」


 そう告げたオレは、大久保の好みに合うような食材は何があっただろう、そんな事を考えつつ冷蔵庫の取っ手に手を伸ばした。


 大久保の場合は来てからこんな形の注文をするのだけれど、電話で予約を受けた際にセットメニューの相談を受ける事は多々ある。店のホームページにはパーティープランやコースなども記載しており、まずはそちらをお勧めする事にしている。しかし、お客さんの予算や好き嫌い、アレルギー等によっては既存のメニューで提供することが困難な場合がある。その場合はお客さんに合わせた料理の変更をしている。


 大久保のように好みを把握しているお客さんに関しては、即興でレシピを構築して作ることもできる。飲食店の常連になるとその点は優遇する料理人は多いと思う。


 オレに関しては人の顔と名前を覚えるのが苦手なので、たとえ常連さんでも好みを把握していない場合が多い。多少でもオレと話をしたならば覚えているケースもあるが忘れている場合が多い。基本的にオレの頭は物覚えが良くないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る