第3話


『F市 霊媒師』

 冗談のような検索はあっさりとヒットした。

 うちの市には霊媒師が五人いた。一瞬呆れそうになったが、今まさに自分が必要としているんだと気がついて、一番ここに近い一件に電話を掛けた。


 暇なので今から行くと言った気だるい声の女は、本当に言葉通り小一時間ほどでやってきた。

 ロビーからのインターホンが鳴り、ずいぶん動くようになった身体を多井中に支えられて通話口までたどり着く。

 多井中がカウンターチェアを持ってきてくれて、俺はそれに腰を掛けた。

 やっぱり変なところで気の利く奴だ。

 感心しつつ画面を覗くと、予想以上にとんちきな身なりの女がこちらをじっと見ていて、俺は小さく悲鳴を漏らした。

「こんにちは。電話を頂いて参りました。厚木さんのお宅で間違いありませんか?」

 身なりは変だが意外と丁寧だな。

「はい間違いありません」

 施錠を解除するボタンを押そうとすると、女が話を続けた。

「相談料は二万円、除霊を行う場合は状況に応じてさらに5万~10万円。値段は現場にて見積りとなります」

 女の言葉に指が止まった。高すぎる。

「見積りまでなら相談料に含めますよ」

 相場を調べておけばよかったと思いつつ、俺はぐっと唾を飲み込んで「どうぞ」と解除ボタンを押した。

 ん? いや、待てよ。

 ふと思い立って後ろを振り返ろうとすると、顔のすぐ横に多井中の顔が合って、俺はぎゃあと悲鳴を上げた。

「なんっだよ! ちけーんだよ!!」

「いやぁーものすごい人でしたね! 髪がボッサボサ。黒い服、黒いマントに黒い鞄って、キャラたってるなあ!」

 何を関心してんだよ!

「てか! 幽霊はあんたの部屋にいるんだから俺はビタ一文払わねーかんな!」

「ええ、分かってますよ」

 多井中は頷いて、また簡単に俺を抱えあげた。

「……」

 こいつは自分が財布を忘れていることを忘れているんじゃないだろうか。

 ソファに運ばれながら、これからもう一人変な人間が自宅に来るかと思うと、不安な気持ちが胸いっぱいに広がった。




「お二人はとても霊感が強いようです。そして相性がいい」

 多井中が俺の代わりにコーヒーを出すと、それに手をつける前に女は言った。

 俺はつい眉根を寄せた。今まで一度だって今日みたいな経験が無かったからだ。

 一方多井中はハッキリと、「そんなこと初めて言われました! 今まで幽霊なんて見たことがないんですが!」と否定した。少し興奮気味なのが気になる。

「ええと、厚木さん」

 女は多井中の興奮を交わして(無視したともいう)先に俺に声を掛けてきた。

「はい」

「あなたは見える人ではありません。一般的に霊感が強いというのは、霊が見えたりその影響を受けやすい人、という意味で周知されていますが、あなたの場合、強いがゆえに霊が近寄れないという感じです。あなた自身の霊波が強いのです」

「俺自身の霊波」

 なんだかすごいことを言われた気がする。

 確かに思い返すと人生で幾たびか、「厚木さんに会ってから肩こりが治ったんです!」とか「嫌な夢を見なくなった!」とか「不運続きだったのが好転した!」とか言われたことがあった。あれはもしかして悪い霊を俺が祓ったせいだったのか?

「すごい、霊媒師探偵厚木の事件簿! とかできそうですね!」多井中が得意の飛躍をみせ、無邪気に言った。

「あのな……」

 霊媒師の女は続けて多井中を見た。

「今回厚木さんが見えたのは、多井中さんが見えるタイプの方だからです。あなたは見えすぎて人と霊の違いがわからないタイプの人です」

 女は多井中の頭のてっぺんからつま先までを一瞥したあと、「……まあ、霊とは関係なく想像力も豊かなようですが」と付け足した。

 彼女の嫌味に近いその発言を多井中はポジティブに受け取った。

「へー想像力が豊かかあ! クリエイティブな人間ってことでしょうか!」

 嫌味の方に食いついた多井中を女は再び無視した。

「その女性の霊はこの場所には関係がありません。浮かばれずさまよううち、霊感の強いお二人が作り出すパワースポット的なここへ引き寄せられたんでしょう。本来なら厚木さんのタイプに霊は近付きたがりません。うっかりすると祓われる可能性がありますから。ただこの霊は必死なんでしょうね。ここへきては弾き飛ばされ、またやってくるを繰り返しているようです」

「かわいそう……厚木さん」

 多井中がうらめしそうに俺を見る。

「なんだよ! 俺だけのせいじゃないだろ!」

「まあそうですけど」

「で、どうすればここに来なくなるんです?」

 つい苛立ってキレ気味に女に聞くが、女は俺の怒気をさらりと交わし、「まあどちらかが引越せば手っ取り早いとは思います。はい」とこともなげに言った。

「でもそれじゃあ……」

 それじゃあ、あの幽霊は浮かばれないままじゃないか。

 俺はスウェットの胸元をぎゅうっと握った。

「厚木さん?」

 多井中が俺の顔を覗き込んだ。

 さっき胸に溢れた悲しみが微かに感覚として残っている。あんな状態のままこれからもずっとこの世を彷徨い続けるのか? 亡くした子どもを探しながら?

 そんなの哀れすぎる。

「……そんなんで解決したって言っていいのかよ」

 否定的な気持ちが湧いて自然と俯いてしまった。

 俺の手を多井中が取って、力強く握った。

「厚木さん!」

 やはり真剣な眼差しで見つめられると、この男はとても頼りになりそうに見える。慰めてくれるのかと思って、つい身を寄せた。

「俺、ここ便利なんで引越したくないです!」

「へ」

 変なやつのくせにすかさず先手を打ってきやがった。

 腹立つ! あと勘違いした自分がちょっと恥ずかしい!

「俺だってそうだよ! 引っ越せば金だってかかるし! 何か他に方法はないんですか?! これで二万とるとか無しでしょう、引っ越せなんて!!」

 女は急にあったかい眼差しで俺たちを見ると、ゆっくりと瞼を閉じ、両手を合わせて祈るように頭を下げた。

「それならばお二人で祓ってあげるのがよいかと思います」

「いや専門家が祓って下さいよ!!」

 俺が身を乗り出すと、両手を合わせたままの女は、パチと開いた右目でこちらを見た。

「お二人は私よりも霊力が強いので、私の声は彼女には届きません。かといってお二人がいないと霊もきませんし、残念ですが私にはどうしようもありません」

 女は再び目を閉じて祈りのスタンスになった。

 これで二万円? あきらかに詐欺だろ!

 それとも本当に俺たちの霊力が強いのか? でも祓うってどうやって――。

 女は合わせていた手をそっと解くと、右手でゆっくりピースサインをした。

「こんなんで二万も払えるか!! 何か一つでもあんたの言葉を裏付ける証拠を見せろ!!」

 俺は腕を組んでふんぞり返った。

「お金は俺が出しますのに」

 多井中がふんぞり帰ったまま倒れかけた俺を支えて言った。

「うるさい! 納得できたら俺が半分出す!」

 俺の言葉に二人は黙った。

「厚木さんって、いい人ですよね」

 多井中がくすっと笑って、その言葉に女もちょっと笑った。

「うるさいって言ってるだろ!」

 なんだっていちいちムカつくんだこいつは!!

「では」 

 言って唐突に女がコーヒーを一息に飲み干した。

 ぎょっとしていると、女は口を開いた。


「多井中さんは去年の冬、魚の名前の女性とデートをしましたね?」

「魚の名前って」

 俺は笑ったが、多井中はぴたりと動きを止めた。

「え、あたってんの?」

 多井中は女から目をそらさず、こくんとうなづいた。

「鮎川ゆかりさんです」

 俺はうわっと声が出てしまった。

「去年の冬って、何が見えてんのあんた」

 視線を霊媒師に戻すと、女は既に俺を見ていた。心臓がぎくっと鳴った。

「厚木さんは去年の12月20日、大通り公園のミュンヘン市に行きましたね?」

「え? そんなこと覚えてないよ。あそこは仕事帰りによく通るし」

「俺行きました、20日」

「え」

 見ると、多井中が青い顔で女を見ている。その先でにやりと笑った女は、俺たちをゆっくり一度ずつ指差した。

「あの日、二人は出会っていたのです」

 なんだって?

「どういうことだよ! 俺は覚えてないぞ! 特別なことなんてなにも——」

 言いかけた俺を、女が首を振って制した。

「あなたにとってはそうです。でも多井中さんには忘れられない日ですね?」

 横で思い詰めたような顔で俯く多井中を覗き込んだ。

「何があったんだよ」

「……」

 多井中は黙っている。

「おい——」

「……女性が……消えてしまったんです」

「え?」

「俺がホットワインを買っている間に」


 ざわざわとした人混み。流れるクリスマスソング。クラムチャウダーやローストしたナッツの香ばしい香りが漂って、キラキラとイルミネーションが明滅している。

 毎年の冬の催し。


「消えてって、失踪ってことか?」

「いいえ違います」

 首を振る多井中の代わりに女が声に出して否定した。

「はっきりくっきり申し上げましょう。彼女は幽霊だったのです」

「ええ?!」

 俺が声を上げた横で多井中は息を飲んだ。

「——あの子、どうしても俺とデートがしたいって言うんです。俺が通るたび、いつも同じ植え込みに立っていて」

「う、植え込み?」

 話はもう既に変だったが、多井中は沈痛そうな面持ちで頷いた。

「毎日毎日、一回だけでいいからって。俺、根負けして、じゃあミュンヘン市に行ってみましょうかって言ったんです。手をとって、植え込みから下ろして」

 逆ナン成功か。

「それで、道すがら自己紹介なんかをして話していたら、とてもいい人だった。あの日は凄く寒くて雪もちらついていたし、暖かいお店で食事にしましょうか? って言ったんですが、ホットワインが飲みたいからミュンヘン市に連れて行ってくださいっていうんです。だからお店で二つ注文して、振り返ったらもう……」

 俯いた多井中の横で俺も俯いた。日付は覚えていないが、確かホットワインのお店の横でプレッツェルを買った。ワインも買おうか迷ってそれで——。

「彼女を消したのはあなたです」

 霊媒師は咎めるようなとがった爪で俺を指した。

「え、でも——」

「ひどいですよ厚木さん! 彼女はホットワインが飲みたかっただけなのに!」

 多井中が泣きそうな顔で俺を責めた。

「いえ、それは違います。彼女はあなたを取り殺してやろうとしていました」

「え」

「は?」

「けれどチョロすぎるあなたに油断して、うっかり厚木さんに触れてしまったんです」

「触れて?」

 女はこちらをむいて、じっと俺を見つめた。

 頭の中がぞわぞわとしてくる。まるで両手で記憶をまさぐられているような感覚を覚えた。

「白いコートの女性です。襟にファー。茶色く染めた胸までの髪をゆるく巻いて、耳にガラスのピアス」

「そうです! その人です!」

 多井中が声を上げた。

 突然耳の奥でチリーンという涼しげな音が鳴った。


 あの日、急に頭がギュッとして、ふらついた俺は誰かにぶつかった。

「あ、すみません」

 謝って振り返ると、女がいて、女は驚いたような顔をして、それで……。


「……よく覚えていない」

「そうですか」



 結局、相談料二万円と地下鉄往復代金を受け取って霊媒師は帰っていった。

 何も解決しなかったが、やってみるべきことは見つかった。俺は二万円を差し出しながら自分にそういいきかせた。多井中は部屋に財布を忘れたままだ。


「最後に」と玄関先で女は振り返った。

「先ずはそれぞれの部屋にいることです。霊が来たら厚木さんが多井中さんの部屋へ行き、必ず多井中さんと一緒に霊に触れるようにしてください」

「どうして?」

「厚木さんだけだと祓うよりも前に霊が逃げ出してしまいます。多井中さんの力とよく混ざり合う必要があります」

「混ざり合う」

「ええ、しっかりと」

「ちょっといやらしいですね」

 照れる多井中を睨みつけて女に頷いた。

「見る限り、これくらい近くにいればお二人の力が交じり合ってそれなりの結界を作っています。直接危害を加えられることほぼ無いでしょう。それに厚木さんが触れれば大抵の霊は消滅してしまいます。ただ」

 この期に及んでただ?

「なんですか」

「上下に住まう距離感が絶妙すぎて霊を呼んだと思われますので、祓った後はご一緒に住まわれるほうがよろしいかと」

「は?」

「幸いお二人とも女性の影がさっぱりのようですし」

「すごい! あたってる!」

 多井中が笑った。

「なんで一緒に住まなきゃなんないんだよ!」

「このままだと、あの霊を祓ってもまた別の霊がやって来ちゃうってことですよね?」

 急に多井中が理解力を発揮した。

「そういうことです。引っ越しか同居をお勧めします」

「んなの急に言われても無理!」

 俺は首を振りまくった。

「そうですか。では私の出番もまたあるかもしれませんね。では」




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