大河ドラマ 「鎌倉殿の13人」 感想

Athhissya

鎌倉殿に有情無情の物差しを当てて

2022年の大河ドラマ

鎌倉殿の13人は面白かったですね

これは総集編を見直して考えたことを

まとめた記事になっています。


ここでは「有情な政治」と

「無情な政治」という2つの概念を

取り入れて話していきます。


有情な政治は一般的に善政と呼ばれ、

民や部下のことを考えて政治を動かし、

己の利益のために職権を濫用せず、

非常に道徳的に正しく感じられる

幸せな世界をつくり出す政治です。


一方で無情な政治は例えば

粛正や追放を繰り返す恐怖統治、

自分の立場を守るための謀略、

支配者が悪者に見られやすくなる

殺伐とした世界を作る政治です。


作中の無情サイドには頼朝の他に

大江殿、頼家、執権以降の義時がいます。

それ以外の全員が有情サイドです。


無情サイドは政治的に無情なだけで

人間的にも無情であるとは限りません。


   政治 人間

頼朝 無情 有情


御家人を「使い捨ての駒」にするために

上総介を殺した頼朝は政治的に無情です。

が、義経の首桶に泣いて話しかけるように

人間としては有情なキャラなんです。


有情な政治は道徳的な政治、

人が死なない、許す政治。

では、許す許さぬの基準は何か。

なぜ有情な政治の心意気は

平家に対して向けられなかったか。


簡単です。平家は身内ではないから。

敵として攻撃し、滅ぼすことに

誰も違和感を抱かないからです。


有情な政治は私情を挟む政治なのです。

身内の人間を助けるために

ルールや道理を曲げる政治です。

泰時、和田義盛、政子に加えて

比企や仲章も有情サイドです。


無情な政治は私情を挟まない政治です。

なぜ頼朝も義時も自分が残るために

粛正を止められないのですが、

それは単なる利己心からでもなく、

単なる猜疑心からでもありません。


謀反の意があったと疑わること自体、

それが本物の謀反の種になり得ます。

1度疑いが向けられた人間が、

疑いが晴れて許されたとしても

良好な関係の再構築は不可能です。

なぜなら自分は無情サイドで

相手は有情サイドだからです。


有情な人間にとって無情な人物は

自分の利益のために動かない

理解しがたい存在でありかつ

自分の立場を揺るがす脅威として

できれば消えてほしい存在です。


無情な人間は、自分が消えては

ダメだと自覚しています。

なぜなら秩序・体制を維持するために

無慈悲な結果をもたらせる人物は

組織の中に自分しかいないからです。

実際、執権になった義時以外に

鎌倉に無情な政治を成せる人物は

・・・誰もいない。誰もいないのです。


頼朝がいなくなって、

頼家がいなくなって、

鎌倉には無情な政治の担い手が

北条義時しかいなくなったせいで

政子が義時を厳しく追及した時には

「鎌倉あっての北条」ではなく

既に「北条あっての鎌倉」の状態へと

変化してしまっていたのです。


よって今、彼らを許したとしても

いずれは本当に謀反をしてくるだろう。

しかし自分が殺されるのは困る。

だから相手を殺すのが早まっただけ。


和田殿は起請文の力を否定しました。

あれは近代的な考え方の描写ではなく、

義時に粛正されても仕方ない

有情サイドの有力御家人であることを

如実に表したシーンだったのでした。


さて、そんなブラック義時ですが

始めは心優しい青年でした。


   政治 人間

義時 有情 有情 → 無情 有情 → 無情 無情

    八重    比奈    のえ


上の表のように属性が変化しますが

それぞれのステージにはそれぞれ1人の

妻の存在が対応していました。


八重さんの生きている時期には

頼朝のやり方に逆らって

弱い立場の人間を救おう逃そうと

躍起になっていました。


比奈との結婚期間には

義経を陥れる謀略の主犯格になり

曾我兄弟の矜持を踏みにじり

梶原殿が京に行きそうなことを告げ口し

比企一族をまるごと殺して滅ぼしました。


しかし比奈との結婚生活は

そこそこ上手くいっていて

人間としての有情さは残っています。

彼女と離縁した後にはりくの暴走で

畠山氏を滅ぼして時政も追放。

「あなたの手を握ってやれない」と

泣いて父親を見送る義時には確かに

まだ人としての心が残っていました。


和田殿を殺して一族を滅ぼし

実朝も見殺しにして

実衣の息子の時元も自害させる。

のえとの結婚生活も散々でしたね。

政治的な無情が私生活にも浸食。


義時の人情は時政への涙によって

使い果たされたのかも知れません。

家族だろうと自分を消しに来る。

昔からの友人だとしても裏切る。

自分の周りに自分を守る人は無い。

だから誰も信じちゃいけないし

機会があれば誰も許しちゃいけない。


それだけ無情な義時でも、

完全には心を殺せませんでした。

粛正対象のうち、身内である時政と

謀略の主犯格の美衣は殺しいません。

これらは身内贔屓の私情を挟んだ

有情な政治であることは確実です。

運慶に自分似の仏像を作らせたとはいえ

政治上の無情に徹しきれなかった

という点では頼朝を超えてなかった。

そんな虚しい結論が浮かんできます。


そんな彼に討伐の勅令が出たとき

官軍になんて勝てるわけ無いから

私の首を朝廷に差し出せば鎌倉を守れる

鎌倉を守る無情政治は私にしかできないが

今はもう私より泰時に任せれば良い

みたいな考えをしたんでしょうね


鎌倉を守るために自分を守ってた人間が

鎌倉を守るために自分の死を受け入れる。

それまでの粛正はなんだったのかと

頼朝の晩年の様子に似たものを感じます。


数々の悲劇を引き起こした義時でさえ

政子の私情によって救われる。

政子は有情な政治に振り切れたチーター。

女性であるから殺される心配が無く

頂上に立つ彼女は皆を信じる政治をしても

彼女自身が殺されることはありません。

しかし、殺されないことは

当時の女・子供一般の特権でした。

(一部例外はあれど・・・)


その中で政子だけが権力を持てたのは

頼朝、時政、義時、泰時がいたから。

しかも比企など北条に反感を持った

他の有力御家人だったり

政治への意欲がある鎌倉殿がいると

尼将軍の座は誕生しませんでした。


自分勝手にルールを都合で変えながら

有情な善政として尊敬を集める政子は

ハッピーな鎌倉に最も必要なものでした。


しかし、彼女が鎌倉の最高権力者として

君臨できたのは、不安分子が一掃され

誰も尼将軍の存在に疑問を持たない環境を

他でもない義時が整備したからでした。


テレビ前の我々にも理想的な有情政治を

生み出す土壌を作った義時の立ち回りは

結局、合理的で「正しかった」のですよ。


ただ、政子が目指す有情政治で動く世に

無情でしか動けない義時は邪魔でしょう。

有情政治をするために、政子は無情にも

義時を殺してしまったとも考えられます。

ラストシーンのエグさはやばかったです。


この感想文では「有情」と「無情」という

二極の概念でドラマを振り返ってきました。


総括すると

①視聴者が賛同する政治は私情を挟む政治

②義時の無情政治は最終的には正しかった

③政子は有情な政治のために義時を殺した

ということです。


三谷幸喜の脚本は見事だなあと感嘆しました。

無情加減という物差しをあてたら

話を通した小四郎の性格の変化が

音響機器のボリュームつまみのように

ゆっくりスライドされていくイメージが

脳内にくっきり浮かんで鳥肌立ちました。


あんな物語を私も書けるようになりたい。

では、よいお年を

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