第12話 楽屋話①

 第一位となった萌菜の獲得票数は、十八万二千六百四十五票だった。

 これまでの自分の歩みや、家族やスタッフ、そしてファンへの感謝を語った萌菜のスピーチは、観客の拍手喝さいを浴び、スピーチの後の水着でのソロライブも大歓声に包まれて、イベントは大盛況のうちに幕を閉じた。

 イベント終了後は、インタビュー取材が待っていた。

 それをそつなくこなすと、ようやく少し落ち着いた気分になる。

 それまで喧騒の渦に飲み込まれていた萌菜は、ふと一人になりたくなって、マネージャーにその旨を告げて、楽屋に戻ることにした。

 楽屋の前まで来ると、ひとりの女性がそこにひっそりと佇んでいた。

 その姿を一目見た萌菜は強烈な違和感に見舞われた。

 その女性は、白と赤を基調とした制服風の「エターナル・イノセント」の衣装をまとっているのだが、その容姿は明らかにアイドルのそれではなかった。

 メイクを施してはいるものの、肌の色は若さを保っているとはいいがたく、額や目尻には隠しようもない皺が寄っている。

 美容整形で無理な若作りを試みているような不自然さはないものの、それだけに、街中でいくらでも見かけるような、ごく普通の六十代と思われる「おばあちゃん」だった。

 この人、どこかで会ったことがある・・・

 記憶をたぐり寄せている萌菜を穏やかな表情で眺めながら、その「おばあちゃん」はにっこりと笑って、

「二か月くらい前だったかしら? 

 番組の打ち上げで、渋谷のカラオケボックスでご一緒しましたよね?」

 思い出した。ああ、あのときの・・・  

「『エターナル・イノセント』の珠夢羅早希たまむら さきと申します。

 このたびは女王の座を獲得されておめでとうございます」 

 そう言って、頭を下げた。

「珠夢羅・・・ ああ、あなたが」

 珠夢羅早希。萌菜はその名前を耳にしたことがある。

 アイドル界では都市伝説的に語られている、六〇歳の現役アイドルである。

 歴史ある「エターナル・イノセント」の結成当初のメンバーで、若かりし頃は相当な人気を誇っていたというが、現在ではもちろん、かなり以前から営業的には何らの戦力にもなっていない。

 それでもグループを解雇されていないのは、今は亡き創始者でもありプロデューサーでもあった人物の意向なのだという。

 若さと美しさを凝縮したようなアイドルグループに、あえて老いや醜さという異物を混ぜる。

 そのことによって、そのアイドルグループはさらに輝きを増すという逆説的な信念をそのプロデューサーは持っていた。

 一種のゲン担ぎともいえるだろう。

 また、早希自身も今もなお、アイドルとして輝きたいという野心を抱いているから、自ら身を引く気は一切ないのだと聞いたことがあった。

 一方の萌菜は、アイドルは極端に賞味期限の短い商品だと割り切っていて、だからこそ今このときを全速で突っ走っているのであって、老醜をさらしながらもアイドルにこだわり続ける早希を理解する気も共感を覚えることもさらさらない。

 だが、ふと萌菜は、早希と話をしてみたくなった。

 さきほどから抱えていた疑問があって、それを自分一人で解決するために楽屋にこもろうと考えていたのだが、むしろ話し相手がいたほうがいいように思えてきた。

 通常ならばライバルである他のアイドルに相談するのは癪だったが、おそらく今回のイベントでも最下位であったに違いない早希ならば、萌菜にとって、気軽に打ち明けられるうってつけの存在といえた。

「早希さん。今、時間あります? 

 もしよかったら、楽屋でお話ししませんか?」

 すると早希は即座に首を縦に振り、

「ええ、もちろん。わたしもあなたとお話しがしたかったから」

 萌菜は早希を楽屋に案内し、中央のテーブルをはさんで、二人は椅子に座って向かい合った。

 すると、早希が萌菜の思いを見透かしたように、さっそく切り出した。

「萌菜さん。あなた、不思議に思っているんでしょう? 

 なぜ自分が一位になれたのかって」

 萌菜は、驚いた。図星だったのだ。

「え、ええ、そうなんです。

 もちろん、うれしいには違いないんですけど、それだけじゃなくて、なんかモヤモヤとした感じが残っていて・・・」

「そうでしょうね。

 わたしはあなたがそう思っているんじゃないかと考えて、あなたとお話ししてみたいと思ったの」

「というと、わたしの悩みを解決できるってことですか?

 わたしがなぜ一位になれたのか、あなたにはわかってるってことですか?」

 すると珠夢羅早希は、当然でしょと言わんばかりに、何をいまさらと言わんばかりに、わかりきったことを聞くなと言わんばかりに、強くうなずく。

 そして、こう付け加えた。


「だって、わたしはアイドルのすべてを知っているの。

 四十年間もアイドルを続けてきたんだから・・・」


 そう宣言して、さらに早希は続ける。

「あなたの前回の獲得票数は十五万六千七百八十票で、今回は十八万二千六百四十五票。

 二万六千票ほど上積みしたわけだけど、それでも、前回の瑠璃さんの獲得票数である二十二万三千五百十七票には遠く及ばない。

 普通に考えれば、今回もあなたの負けよね。

 でも、今回、瑠璃さんは大幅に票を落とし、今回の獲得票数は十六万八千五百七十八票。

 その結果、あなたは優勝した。

 それがあなたには釈然としない。そうでしょう?」

「ええ。だって、瑠璃さんはこの一年、着実な活動を続けていました。

 人気に致命的な打撃を与えると言われているスキャンダルも一切なかった。

 それなのに、あんなに票を落としてしまうなんて・・・ 

 わたし自身は、前回の瑠璃さんの票数を超えることができなかったのに、優勝してしまった。

 相手が自滅したために勝てたみたいで、なんだか気持ちがすっきりしないんです」

「でも、票が落ちるには、それなりの理由があるはずでしょう?」

「それは、そうですけど。

 だけど、瑠璃さんのファンの人たちは宗教団体みたいだって言われるくらい、瑠璃さんのことを奉っているじゃないですか。

 あるいは、お姫様に仕える忠実な家来のように・・・

 ファンの忠誠心・結束力はきっとどのアイドルのファンよりも固いはず。

 それが、こんなに票を落とすなんて、どうしても信じられません」

「ファンの忠誠心・結束力が固いからこそ、票を大幅に落としたのよ」

 え? どういうこと? 

 早希にそう断言されて、萌菜は混乱した。

「それはおかしいですよ。

 だって、アイドルはみんな、握手会やSNSを通してお願いするんです。『わたしに投票してください』って。

 それで、ファンの人たちは大金をはたいてCDをたくさん購入して投票するんです。

 自分が応援してるアイドルの喜ぶ姿が見たい一心で。

 人一倍に忠誠心が高い瑠璃さんのファンの人たちがいて、こんな結果になるなんてありえない・・・」

「そうね。わたしも瑠璃さんのファンの人たちの忠誠心や結束力の高さを疑ったことは一度もないわ。

 それにもかかわらず、今回、これだけ票を落とした。

 ならば、こう考えるしかないでしょう」

「どう考えるっていうんです?」

「瑠璃さんは、『わたしに投票して』ってお願いしたんじゃない。

 瑠璃さんはこうお願いした。

』、って」

 萌菜の頭の中は真っ白になった。

「そ、そんなばかな・・・」

「瑠璃さんは、ブログやツイッターやインスタグラムのような不特定多数の人が目にする場所ではなく、対面で話す握手会や有料会員限定のメールなど、より親密性の高い機会を利用して、ファンの人たちに投票しないように訴えた。

 あまりにも常識外れのお願いだったから、ファンの人たちはとまどったでしょうね。

 あまり本気には受け取らず、やっぱり瑠璃さんに投票した人が多いのでしょう。

 それでも、一定数のファンの人たちは、忠実にその言葉に従った。

 それが、今回の結果なのよ」

「そんなことって・・・」

「でも、瑠璃さんがそうお願いするには、それなりの理由があったはず。

 あなたには、思い当たることがないかしら?」

「理由? いいえ、わたしにはなにも。

 だって、投票しないようにお願いする人の気持ちなんて、理解できるわけがないじゃないですか」

「そう? 瑠璃さんの人柄を考えれば、思い当たるはずよ。

 瑠璃さんは出身地である群馬のことをとても気にかけていて郷土愛が強いでしょ。

 この間も被災地に駆けつけて、プライベートでボランティア活動に従事していたわ。きっと今回の地震の被害には相当、胸を痛めていたはず。

 なんとか被災者の力になりたいって思っていたのよ。

 それが今回の行動につながっていったのね」

「それって、つまり・・・」

「ええ、瑠璃さんは自分に投票しないように頼んだ上で、さらにこうお願いしたんでしょうね。

 投票券付きのCDを買う代わりに、そのお金を被災地に寄付してくださいって。

 おそらく、瑠璃さんはこのことを黙ってくれるように頼んで、ファンの人たちも忠実に従ったんでしょうけど、もうイベントも終わったことだし、そのあたりの事情はいずれSNSで明かされていくんでしょうね・・・」

 そういうことだったのか。

 萌菜は早希の説明に納得せざるをえない。

 忠誠心の異常に高いファンを抱える瑠璃がここまで票を落とした理由、そしてあえて瑠璃がそう仕向けた理由。

 たしかに早希が語った内容以外には考えられなかった。

 萌菜は納得すると同時に、自分に対する嫌悪感がにわかに湧いてきた。

 わたしは好きでもない男に体を捧げてまで、トップに登りつめようとあがいた。

 それなのに、瑠璃は自分の名誉よりも、愛する地元の復興を選んだ…

 人間としての器が大きすぎる。

 それに比べて、このわたしは・・・

 萌菜は自分の卑小さが恥ずかしくなり、いっそどこかに消えてしまいたい気持ちに沈んだ。

 たしかに、わたしは今回、一位を取ることができた。

 でも、名実ともに真のアイドルは、このわたしではなく、水島瑠璃なのだ。

 一位を取れば、あの少年はわたしを許してくれるだろうという気がしていたけれど、これからもきっと、あの少年の幻影にわたしは悩まされ続けるのだろう。

 わたしはこれまで以上に全力で走り続けるしかいないんだ・・・

 沈黙の帳が下りた室内に控えめなノックの音が響いた。

 そして、澄んだ女性の声。

「水島瑠璃です。萌菜ちゃん、入っていいかしら?」

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