第13話 楽屋話②
「マネージャーさんに聞いたら、ここにいるって。
一言、お祝いを言いたかったの。
萌菜ちゃん、おめでとう」
そう言葉をかけながら入室した瑠璃は、萌菜に促されるまま空いている椅子に腰を下ろす。
やはり瑠璃はその全身から、圧倒的な威光を発散していた。
瑠璃は早希に会釈をする。
どうやら知り合いらしい。
早希も軽く微笑みながら会釈を返した。
萌菜はさっそく瑠璃に問いただした。
早希が語った内容を手短に伝え、それは本当なのかと。
瑠璃は力ない笑みを浮かべて、うなずいた。
「ええ、そうなの。ごめんね、萌菜ちゃん。
わたしだけ、真剣勝負から逃げるような真似をしてしまって。
でも、来年こそは正々堂々と渡り合いましょう」
萌菜と瑠璃はがっちりと固い握手を交わす。
それを穏やかな表情で見守る早希だったが、二人の手が離れたと見るや、そのタイミングを見計らっていたかのように口を開く。
「瑠璃さんも来てくれたから、ちょうどいいわ。
実はわたしの話は終わりじゃないの」
「え? どういうことです」と萌菜。
「まだ続きがあるっていうこと。
今のお話は瑠璃さんが用意したストーリー。
でも、それがすべてじゃないの」
今の話がすべてではない?
萌菜には早希がさらに何を言おうとしているのか、まったく想像もできなかった。
当の瑠璃は不審そうにその美しい眉をひそめている。
「これまでの話には、いくつか釈然としない点が残るわ。
結果的に瑠璃さんは、ファンの人たちに寄付を強要したことになるでしょう。
でも、そんなやり方は瑠璃さんにはそぐわない。
瑠璃さんはファンの気持ちをつかむのがとても上手よね。
握手対応にしても、SNSの発信力にしても。
それって、つまり、人間の心の機微をきちんと理解する能力が備わっているからだわ。
そんな繊細な性質の人なら、寄付っていうのはそもそも強制されるものじゃなくて、個人個人の好意に基づくものだっていう発想をするはずでしょう?
だから、今回のような強引なやり方は、どうしても瑠璃さんらしくないとしか思えないの。
それとね、アイドルだって、組織の一員。
大勢のスタッフの皆さんに支えられて、初めて表舞台で活躍できるわけでしょう?
そんな当たり前のことを瑠璃さんが自覚していないはずはない。
それなのに、CDの売り上げを落として、運営会社の収益を減らすようなことを独断で行うなんて、わたしにはどうしても信じられないわ。
そして、これが最も腑に落ちない点なんだけど、瑠璃さんが勝負の舞台から自ら下りるような行為に走ったこと。
アイドルは『わたしがわたしが』の世界。
誰もがその頂点を目指して日々切磋琢磨している。
その頂点に君臨する瑠璃さんが、三連覇を目前にした瑠璃さんが、一位になるチャンスをみすみす手放すなんて、そんなことは絶対にありえない。
どうしても信じられないの。
ね、萌菜さん。あなたもそう思うでしょう?」
たしかにそうだ。
そう言われてみれば、萌菜はうなずかざるをえない。
いくら郷土愛が強いからといって、それとこれとは別なのだ。
アイドルは、人気という得体の知れない化け物を貪欲に追い求める業の深い人種なのだから。
「そう考えると、瑠璃さんは相当な覚悟の上、自分の順位を下げるような苦渋の決断をしたことになる。
そこには、強い意志を感じるのよ。
つまり、一位になれなくても仕方ない、ではなくて、絶対に一位になってはいけない、っていう強烈な意志を」
絶対に一位になってはいけない?
どういうことだろう?
萌菜は横目で瑠璃の顔をうかがった。
瑠璃は彫像のように微動だにせず、能面のように生気のない無表情で早希を見つめていた。
その口から言葉が発せられる気配はない。
「でも、どんな理由があるっていうんです?
絶対に一位になりたくない理由って」
「その謎を解くカギはあるわ。
あなたもわたしと一緒に体験したことの中に」
「一緒に体験した?」
「ええ、そうよ。
二か月ほど前に、萌菜さんとわたしで瑠璃さんのいるカラオケボックスを覗いたことがあったでしょう。
そのときに、瑠璃さんとそのマネージャーさんは、とても深刻そうな表情をしているように見えたわ」
「ああ、それは覚えてます。
けど、あれは、そうじゃなくて、なにかうれしいことがあったみたいって、同じボックスにいた美久が言ってましたよ。
『おめでたい』って言ったんじゃないかって」
「でも、美久ちゃんはそのときちょうど歌っていたわ。
そこそこの音量で音楽が流れていたはずだし、正確に聞き取れたとは思えない」
「まあ、そうかもしれませんけど」
「あのとき瑠璃さんはマネージャーさんに向かって、一言一言を区切るように大きく口を動かしたわよね。
その回数は、四回だった。つまり、四文字よ。
でも、『おめでたい』は五文字。だから違う」
「じゃあ、『めでたい』って言ったんじゃないですか?」
「それも違う。瑠璃さんは四文字目の言葉を発した後、そのままの状態でこちらを向いたでしょう?
口を上下に大きく開けたまま。
だから最後の言葉は、『あ』ないし母音が『あ』の言葉だわ。
ということは『めでたい』でもない」
「そ、そうか。ってことは・・・」
「そう、文字は四文字で、かつ最後の音が『あ』の言葉ということになるわね。
『おめでたい』や『めでたい』に近い言葉で、その条件に当てはまるのは一つしかない」
二つの条件にあてはまる言葉?
なんだろう? と考えた刹那、萌菜は思いついた。
「そ、それって、でも・・・」
「ええ、それしかないわ。『おめでたい』でも『めでたい』でもない。
瑠璃さんはこう言ったのね。『おめでた』と」
おめでた。つまり、妊娠・・・
「カラオケボックスという密閉された空間に、気心の知れた三人がいる。
そんなリラックスした雰囲気の中、まだ子どもだといってもいい美久ちゃんは無邪気に歌に夢中になっている。
瑠璃さんは美久ちゃんに聞かれてしまうかもしれないというスリルを感じながら、不意を突いて、マネージャーさんに自分が『おめでた』だと告げた。
マネージャーさんのあの驚愕の表情から、私たちが目撃したのはそんな場面だったんじゃないかと想像するの。
しかも、それを切り出すシチュエーションには、瑠璃さんのマネージャーさんに対する悪意が感じられるわ。
このことから、瑠璃さんのお相手はそのマネージャーさんなんじゃないかって、わたしは推測しているんだけど、どうかしら?」
度外れた衝撃に、萌菜はただただあっけにとられた。
瑠璃が妊娠している?
「瑠璃さんが絶対に一位になれなかった理由は、まさに、ここにあったの」
「え?」
「今回のイベントの最後に、一位のメンバーが行うソロライブよ。水着でね」
「あっ」
「妊娠していても、今は冬だから、服装のおかげで周囲に悟られることはないかもしれない。
だけど、素肌を見せなければならない水着だったら?
瑠璃さんは妊娠してることが明るみにでるのを恐れた。
だから、絶対に一位になってはいけなかったのね。
でも、単純に『投票しないで』とお願いしただけでは、色々とその理由を勘ぐられてしまう。
だから、被災地への寄付という一見もっともらしい理由を作り上げた。
いずれ瑠璃さんがファンにお願いした内容がSNSで拡散されることを計算の上で・・・」
萌菜はそっと瑠璃を盗み見る。
相変わらずのポーカーフェイスを維持してはいたが、いくぶんその頬がひきつっているのが見てとれた。
「通常なら、妊娠に気づくのは五週目くらい。
それが、あの打ち上げの頃だったとすれば、あれから二か月ほど経ったから、今はおよそ三か月といったところかしら。
この二か月間、瑠璃さんは悩んだでしょうね。
妊娠したことを公表してお腹の子を産むか、あるいは秘密にしておいていっそのこと極秘裏に堕ろしてしまおうかと。
ただ、堕ろすにしても、今それをするのは心理的に難しかったでしょうね。
ただでさえ、今回のイベントの開催が近づいていて世間の注目が集まっていたし、週刊誌の記者が執拗に瑠璃さんを狙っているという噂もあったから。
産むのか、そうしないのか。
あるいは、そうしないと決断したとしても、今、誰にも知られずにそうなるような処置をすることができるのか。
どうすべきか迷いに迷ったあなたは決断を先延ばしにすることにして、いずれにしても現段階で妊娠が発覚するのは困ると考え、苦し紛れに今回のような行動を選択した。
ね? そうよね、瑠璃さん?」
問われた瑠璃は強張った表情のまま、ふてくされたような笑みをかすかに浮かべる。
「仮にわたしが『おめでた』と言ったのだとしても、自分自身のことではないかもしれないんじゃない?
誰か別の人のことを指していたのかも」
「それはそうね」と早希は素直にうなずいてから、今まで見せたことのない、思わず萌菜がはっとするような意地の悪い笑みで付け加える。
「だから、あなたのお腹を触らせてもらえれば、わたしの言ったことが正しいかどうか、すぐにわかるというわけなの・・・」
好奇に満ちた二人の視線を受けて、瑠璃は力なく肩をすくめた。
そして、「それもそうね」とつぶやくように言ってから、慈しむように自らの腹部を撫でる。
その行為は、なによりも早希の語った内容が真実であることを如実に示していた。
ふいに萌菜の心に怒りと悲しみがわき上がり、自然と言葉がほとばしり出る。
「瑠璃さん、ひどいじゃないですかっ!
わたしには瑠璃さんを責める資格なんてない。
それは自分が一番よくわかってます。
だけど、だけど・・・、あなたはわたしにとって、決して追いつけない理想のアイドル、完璧なアイドルなんです。
普通の女の子なら当然楽しむ権利のある遊びや恋愛を断ち切って、禁欲的にアイドルの道を進む。
そんな姿にファンの人たちは引きつけられたに違いないんです。
特にあなたを熱狂的に支える男性のファンは、アイドルにそういう過剰な純粋性を望んでいる。
そのことは、あなたも充分に承知していた上で、あなたはファンが求めるアイドルを完璧にやりとげてきたんです。
あなたがアイドルである以上、そういう姿勢を貫き続けることは、ファンの人との暗黙の契約なんです。
なのに、あなたはその契約を破ったばかりではなく、そのことを隠そうとした。
あなたは、あなたは・・・ 卑怯ですっ!」
だが、瑠璃は萌菜の糾弾に少しも動じることなく、ぴしゃりと言い放った。
「萌菜ちゃん。あなた、人を本当に愛したことあるの?」
「え? そ、それは・・・」
瞬時に、話をすり替えられたと萌菜は直感した。
だが、「愛」という言葉には抗いようのない力が秘められていて、萌菜は言いよどんでしまう。
「たしかにわたしは、たくさんのファンに支えられてここまできたわ。
そのことはちゃんとわかってるし感謝もしてる。
だから、ファンの期待を決して裏切らない水島瑠璃という理想像を作り上げ、それを必死で演じてきたの。
でもね、わたしも一人の女性。
自然に恋をし、愛を育んで、子どもを身ごもったの。
それのどこがいけないというの?
でも、その子をどうしたらいいか迷ったのも本当だし、みなさんに黙っていて隠そうとしたのは、わたしの心の弱さ。後悔してるわ。
だから、このイベントも終わったことだし、私の気持ちも一段落したら、このことを公表しようと思ってるの。
そうしたら、わたしのアイドル人生はピリオドを打つかもしれない。
だけど、それは覚悟の上。
わたしは一人の女性として、愛に生きたいの」
昂然と胸を張ってそう告げた瑠璃の全身からは、神々しい光が放たれているように萌菜には感じられた。
わたしの負けだ。
この人は常にわたしの一歩も二歩も先を進んでいる。
やっぱり、この人には永遠にかなわない・・・
瑠璃はアイドルとしてだけではなく、なにより一人の女性として、一人の人間としての輝きに満ちている。
神に祝福された稀有な存在。
そんな彼女には、と萌菜は思う。
夏がお似合いだ。瑠璃は、陽光が燦燦と降り注ぐ夏の世界の住人なんだ。
それに対して自分はといえば、暗い生い立ちを背負い、いつも罪悪感にさいなまれて背を丸めながら生きている。
だからわたしは、吹きつける寒風に人々が体を縮こまらせてうつむいて歩く冬、そんな冬の世界の住人なんだ・・・
瑠璃は椅子からすっと立ち上がった。
体の向きを変え、ゆったりと自信に満ちた足取りでドアへと進む。
どこまでも優雅な所作だった。
その背中に向かって、早希が再び、あの少し唇の端を釣り上げた意地の悪い笑みを浮かべて、ひとりごとのようにポツリと語りかけた。
「一度、華やかな世界の頂点に登りつめて、地位も名誉も勝ち取ったあなたに、それらすべてを捨て去ることが果たしてできるのかしら?」
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