第10話 強敵
その後、萌菜は芸能関係の大物と目されている男性二人と関係を持った。
三本の映画にも出演し、仕事の数も安定して増えていったが、ファンが一気に拡大するような注目を浴びることはなかった。
依然としてあの少年の幻影も不意に現れては、萌菜の心をかき乱す。
なんとか精神の平衡を保とうと芸能活動に没頭しているうちに、月日は刻々と流れ、次回の「全日本アイドル・クイーン・フェスティバル」の開催まで二か月に迫っていた。
そんなある日、様々なアイドルグループが集結した特別番組の収録があって、終了後、出演者やスタッフ総勢百名ほどでカラオケに繰り出した。
平日の夕暮れ時のことで、渋谷にある大手カラオケ店のワンフロアを借り切っての打ち上げである。
萌菜も参加したし、水島瑠璃の姿もあった。
瑠璃が昨日プライベートで、地元の群馬県内で起きた地震の被災地を訪れてボランティア活動に熱心に励んでいる様子を被災者がスマートフォンで撮っており、その動画が今朝のニュース番組で放送されていた。
一方の萌菜は、アイドルになるために小学六年生で上京して以降、ラジオのレギュラー番組が始まったので数年前に久しぶりに埼玉に帰ったものの、その後も月一回、そのラジオの数本分をまとめて収録するためだけに向かうだけで、帰りもどこにも寄り道をせずそそくさと東京に戻ってくるだけなのだが。
多忙を極める身だろうに、貴重な休日を奉仕活動に費やし、今日は一転してアイドルとして完璧な姿で周囲を魅了する。
そんな瑠璃に、引け目と嫉妬を萌菜は抱かざるを得ない。
萌菜は今までにも、何度か歌番組で瑠璃と共演したことはあったが、挨拶程度の言葉を交わしたことがあるくらいである。
この日もボックスは別々だったが、敵情視察とでもいうのか、瑠璃の姿を一目見たくなった。
あわよくば、じっくり話をしてみたいという気持ちもあった。
瑠璃のいるボックスとは三つ隔てていることは入室の際に確認していたので、自分の歌う番が終わると、ボックスをそっと抜け出てそちらに向かった。
ドアの前に立ち、まずはガラス越しに覗いてみようと顔を近づけると、いつの間にか萌菜の隣に立って同じ動作をしている人物がいることに気づいた。
萌菜と同じボックスにいた六十歳くらいの女性だったが、今日まで萌菜の見かけたことのない顔だった。
そのボックスで「エターナル・イノセント」の神楽優衣と話していたことから察するに、おそらく神楽のマネージャーなのだろう。
芸能関係の仕事に就いて日常的にタレントと接する機会があったとしても、やはり日本一有名なアイドルにお目にかかりたいものとみえる。
好奇心が旺盛なのは結構だが、十九歳の萌菜からすると、いわば「おばあちゃん」ともいえる年寄りが、はるかに自分の年齢を下回る若いアイドルの様子をこそこそと覗き見るのは滑稽な図というほかなく、思わず失笑がもれそうになった。
その「おばあちゃん」がさきほど、ボックスのテーブルに並べられたピザやモンブランをまたたく間に平らげているのを萌菜は目撃している。
その豪快な食べっぷりにもかかわらず、体つきがほっそりとしていることに、萌菜は密かに少しだけ感心していた。
また、披露した歌声が年齢の割に若々しく、真っ直ぐで力強い声質だったことも印象に残っていた。
萌菜と視線を合わせた「おばあちゃん」はにっこりと微笑んで、軽く頭を下げた。
つられるように、萌菜も同様の仕草をする。
次に二人は申し合わせたようにドアの方に向き直って、左右からガラス越しにボックスの内部をうかがった。
室内にいたのは三人の男女で、姉のように瑠璃を慕っている矢吹美久は立ち上がってテレビ画面の横で熱唱中。
瑠璃と瑠璃の男性マネージャーである田中は、向かい合って腰をかけている。
萌菜が目にしたのは、ちょうど瑠璃が田中に話しかけた場面で、その言葉が聞き取れなかったのか、マネージャーは「え?なに?」と聞き返すような仕草をしていた。
すると瑠璃は、今度は相手に向かって、一言一言を区切るように、ゆっくりと大きく四回にわたって口を動かした。
そのとき、萌菜たちの気配を感じ取ったのか、瑠璃は最後の言葉を発した際の口を上下いっぱいに開いたままの状態で振り向いた。
一方の田中はこちらに気づいた様子もなく、心の底から驚いたような表情で瑠璃を見やっている。
萌菜は二人の間に流れる重苦しい雰囲気に、見てはいけないものを見てしまった気持ちになって、軽くお辞儀をして慌ててその場を離れた。
その後でトイレに向かい、用を済ませて出てくると、洗面台の前で美久にばったりと会った。
萌菜は美久と面識があるが、スタジオでは話す機会がなかった。
「あら、美久ちゃん。ひさしぶり!」
「ああっ、萌菜さ~ん」と人懐こい美久は抱きついてくる。
「さっき、ちょっとそっちのお部屋を見に行ったんだよ。挨拶しようと思って」
「へえ、そうなんですね」
「でも中には入らなかったんだ」
「え~ どうしてですか?」
「だって、瑠璃さんとマネージャーさん、なんか深刻そうだったんだもん」
「え? そうでしたっけ?」
「うん、そうだったよ。なに、話してたんだろ?」
「う~ん」
美久はあどけない顔をやや上向け、いくらか丸みを帯びた幼さの残る顎に人指し指をそえて、しばらく考えている様子だったが、
「ああ、なんか、うれしいことがあったみたいですよー」
「うれしいこと?」
「うん。なんか、おめでたい、とかしゃべってたみたいだから。
あんまりよくは聞き取れなかったんですけどねー」
「そうなんだ」
「やっぱ、萌菜さんは瑠璃姉さんのこと、気になります?」と美久が上目遣いで探るようにたずねてくる。
「そりゃあ、まあ。
けど、『アイドルクイーン』で連覇している女王様に勝つなんて、わたしなんかじゃムリかな」
弱気を見せる萌菜に、美久は屈託のない笑顔を浮かべて、
「そうかなあ。勝負はやってみなきゃわかんないじゃないですか。
わたしはどっちも応援してますよ」
いくつも年の離れた後輩に励まされてしまった。
萌菜はそんな自分自身を情けなく思ったが、たしかに美久の言うとおりだ。
結果が分かる前にあきらめてしまうなんて、馬鹿げている。
「うん。そうだよね。やってみなきゃわかんないよね。
わたしもファンのみんなを信じて待つことにする」
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