第4話 合格
五月上旬のある日の放課後。
萌菜はクラスメイトの天音から音楽室に呼び出された。
「あんた、壮汰くんと付き合ってるんだって?」
「え? なに?」
「すっとぼけたって、ダメ。
イオンモールのフードコートで二人を見かけたっていう子がいるんだから」
「・・・」
「ねえ、そうなんでしょっ」と嫉妬にぎらつく目を吊り上げて、天音が詰問する。
至近距離で睨みつけられた迫力に気圧されて、萌菜は思わずうなずいた。
「うん、そうだけど…」
「別れなさいよ、今すぐに」
「え? なんでそんなこと言われなくちゃ…」
か細い声で口ごもる萌菜に、天音はなおも顔を近づけたまま、萌菜の両目を見据えて、
「だって、いつも安物の服を着回して遊ぶお金もないビンボーくさいあなたと、会社の社長の息子の壮汰くんとでは釣り合わないでしょ。
あんた、生意気なのよ」
いつも引け目を感じている服装や貧困を指摘されて、萌菜の心は瞬時に怒りで熱くなった。
「おおきなお世話。
あんたに言われる筋合いはないよ。
壮汰くんとは絶対に別れない!」
「ダメ。別れるのよっ」と金切り声を発して、天音は萌菜の肩を何度も小突く。
萌菜は壁際に後ずさりするしかなかった。
「ね、わかったわね。別れるって、今ここで言いなさいよ!」
「・・・」
萌菜と天音は無言でにらみ合った。
やがて、天音は唇を醜く歪めると、ペッと飛沫を吐き出した。
萌菜の顔に当たった唾が、右目の下を伝う。
その瞬間、無意識に萌菜の右手は天音の頬をはたいていた。
驚いて口を半開きにしながら、叩かれた部分を手で抑える天音。
そして憎しみに満ちた目で萌菜を見据えていたが、意外にも反撃に転じることはせずに、踵を返して一言も発することなく萌菜から離れていった。
一度だけ振り返って意味深な笑みだけを残して。
五年生の三学期の春休み直前に、萌菜はクラスメイトの壮汰から告白された。
萌菜は依然としてアイドルを目指してレッスン漬けの日々を送り、異性には特に興味はなかったのだが、いざ好きだと打ち明けられると心が動いた。
壮汰は勉強も得意で、バスケ部のキャプテンを務めるクラスの中心的存在だった。
性格も優しく、男子と女子を問わず人望を集める壮汰には、以前から萌菜も好感を抱いていたのである。
ちょうどレッスンの辛さや生活の厳しさに気持ちが落ち込んでいたこともあって、自分の暗い日常に一筋の光明が差したようにも思えた。
壮汰とは、忙しいレッスンの合間を縫って、地元のショッピングモールや遊園地に出かけた。
お金が必要なときは、いつも壮汰が萌菜の分まで負担してくれる。
そのことに負い目を感じることは無論だったが、純粋に壮汰と過ごす時間が楽しかった。
そんなことがしばらく続いたあと、放課後の音楽室で天音と衝突したのは、六年生に進級してまもなくの四月下旬のことだった。
天音は、男子と女子、それに教師とで接し方を巧妙に使い分ける要領の良さを備えていて、両親の経済力と自己主張の強さを背景に、クラスの女子に絶大な影響力を誇示していた。
ゴールデンウイークが明けると、萌菜はクラスの女子から無視されるようになり、さらに様々ないやがらせを受けるようになる。
体育の授業を受けた後で更衣室に戻ると私服が盗まれ、給食の汁物には異物を混入され、トイレから帰ると次の時限で使う教科書がズタズタに引き裂かれていた。
そのうちに、壮汰からも距離を置かれるようになる。
遊びに誘われることも学校で話すことも次第になくなり、いつのまにか二人の交際は終わっていた。
やがて、萌菜の受けた仕打ちは、肉体的な暴力を受け、体の目立たない部分に痣ができるまでにエスカレートしていった。
担任は見てみぬふりをしていたのか、それとも萌菜の異変に気づくことがなかったのか。どちらにしても、そんな教師に相談する気にはなれなかった。
もちろん、母親に心配をかけるわけにもいかなかった。
そんな心身ともに衰弱しきっていた頃に、十二歳が応募資格の下限だったアイドルグループ「ファータ・フィオーレ」のオーディションを受けてみた。
どんな境遇にあろうとも、アイドルを目指すことが、やはり萌菜が生きている意味だったのだ。
その結果、予備選考を順調に突破し、日頃の努力と執念が実を結んだのか、ついに合格を果たした。
そして、冬休みを目前に控えた十二月の中旬、萌菜は逃げるように埼玉を飛び出し、家族ともども東京に移り住んだのだった。
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