第3話 レッスン
ハンバーグの真ん中にナイフで切れ目を入れると、中から肉汁とトロトロに溶けたチーズがあふれ出てくる。
萌菜の大好物、チーズ・イン・ハンバーグだ。
口の中に含むと、ボリュームのあるお肉とうま味を凝縮した肉汁が絶妙にからみ合い、さらにチーズのクリーミーな味わいが重なって、萌菜に至福の食感を与えた。
「お~いしぃ~」
「萌菜は、ほんとに、それ好きだよねえ」と母親が、一心不乱に頬ばる萌菜を優しい笑顔で見守っている。
その母親の前にはビーフシチュー、一番上の姉の前にはカルボナーラが、次の姉にはオムライスの皿が並んでいる。
だが、父親の姿は当然ない。
三か月に一回のごちそうの日。
ファミレスでの食事会。
父が家族を残して去った後、萌菜達は途方にくれた。
だが、時間は待ってくれない。
大黒柱を失った四人の女だけで生活を維持していかなくてはならなかった。
福井県在住で、個人タクシーの運転手をしながら細々と生活している母方の祖父の援助を期待するわけにもいかない。
それまでは両親が共働きで、母親はスーパーマーケットでアルバイトをしていたのだが、父親の失踪を機に退職。
家計を支えるために、日中は派遣職員として電話オペレーターの勤務に就き、夜間はコンビニでアルバイトをこなしていた。
それでも、マンションの家賃を払い続けることは困難だったので、十年間にわたって住み続けてきた部屋を引き払い、今までよりも駅から離れてなおかつ部屋数の減ったアパートに移ったが、中学生と小学生の娘三人を女手ひとつで養っていくために、生活は困窮に瀕した。
賞味期限切れ間近のスーパーのお惣菜や冷凍食品、それと母親が持ち帰るコンビニ弁当で食欲をかろうじて満たし、学校の給食が一番の栄養源となった。
衣類を買い揃える余裕もなく、萌菜はいつも二人の姉のお下がりを着ていた。
もちろん家族でどこかに出かけることも一切なくなり、学校の友達と遊ぶにはお小遣いが少なすぎた。
とはいえ、姉妹の中では、萌菜は恵まれていた。
歌とダンスを指導するスクールに通わせてもらっていたからである。
この頃には、アイドルになりたいという思いが明確になった萌菜は、まず歌とダンスのスキルを磨くことが最優先だと考えてスクールへの入学を熱望した。
だが、生活が苦しいのは萌菜も十分に認識していたので、そのことは萌菜のわがままとも言えた。
にもかからず、母親とそれに二人の姉も理解を示してくれたのである。
家族に車で送り迎えしてもらう他の生徒を横目に、萌菜は片道一時間かけてバスでスクールに通った。
自分の夢のためでもあり、また家族の好意を決して無駄にはしたくないという強い気持ちも手伝って、人一倍熱心にレッスンに励んだ。
自分には才能がないなとぼんやり自覚しながらも、アイドルになるという目標を必ず叶えてみせるんだと自らに常に言い聞かせていた。
そして、アイドルとして有名になって母親や姉にいい暮らしをさせてあげたい。
そんな気持ちも確かに芽生えていた。
会場では三十五位が発表された。
獲得票数、二万五千六百十五票。
名前をアナウンスされたのは、水島瑠璃と同じグループ「レインボー」の矢吹美久。
デビューしたての弱冠十三歳だ。
元気よく椅子から立ち上がった美久だが、身長百四十五㎝程度と小柄なため着席時と高さにさほど変化がなく、子どもが大人の集団に迷い込んだような場違いな感じが滑稽でもあり、また微笑ましくもある。
美久は水島瑠璃の妹分的な存在で瑠璃の寵愛を受けていたから、デビュー当時から注目を集めていた。
それに加え、本人の愛らしいルックスと子どもらしい無邪気な性格がファンの支持を得て、初出場ながらランクインを果たした。
快挙といえる。
そんな美久の姿を萌菜は羨望の眼差しで見つめている。
屈託がなく、けがれを知らない十三歳。
アイドルであることを心の底から楽しんでいるような。
自分にはそんな時代があっただろうか?
あったのかもしれない。
だが、今の自分には、思い出すことができそうにない。
濃密すぎたのだ、これまでの六年間が。
感傷に浸りそうになった萌菜だったが、美久のたどたどしいスピーチに盛りあがる会場の喧騒に我に返った。
全日本アイドル・クイーン・フェスティバルは中盤に差しかかりつつあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます